CONTENTS



小樽支部との交歓会の開催
ゴルフコンペ優勝者一覧
文化講演会の開催
中大音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
中大アメリカンフットボールチーム:自転車競技部への応援
北海道平和セミナーへの参加
第49回札幌国際ハーフマラソンへ応援参加
中央大学音楽研究会吹奏楽部演奏会の開催
平成17年度事業活動
平成18年度事業活動
平成19年度事業活動
平成20年度事業活動
平成21年度事業活動
平成22年度事業活動
平成23年度事業活動
平成24年度事業活動
平成25年度事業活動
平成26年度事業活動
平成27年度事業活動
平成28年度事業活動
平成29年度事業活動





支部の活動報告・・・平成27年度事業活動

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平成28年1月29日
札幌市役所白門会新年会への参加

 厳冬の中、平成28年札幌市役所白門会(会長:長谷川雅英=教育委員会生涯学習部長、会員数:68名)の新年会が上田文雄前市長、 OBと現役職員あわせて24名出席のもと、市内にあるホテルオークラ札幌3階「アセンション」において午後6時15分から開催されました。当支部からは檜森支部長、西原幹事長が参加されました。
 今回は新年会に先立ち、総会が開催され議題として@平成25〜27年度決算報告、A役員改選が審議され諮った結果出席者全員異議なく承認されました。
 尚新会長に有塚広之氏(昭和63年・法・市民まちづくり局公共交通担当部長)、副会長に水野雅人氏(昭和63年・法・豊平区役所保健福祉部保険年金課長)、 幹事長に押切栄人氏(平成11年・法・西区役所保健福祉部保護三課保護三係長)が選任されました。 懇親会は現幹事長の小松諭知氏(平成13年・法・財政局財政部財政課予算担当係長)の進行によって行われ長谷川会長の挨拶、檜森支部長の挨拶・乾杯の音頭で宴に入りました。
 新入会員3名の紹介並びに挨拶、係長昇任者の紹介並びに今後の抱負についての挨拶等もあり、会は終始和やかな雰囲気の中で進み,会員同士が杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、 久し振りの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。
 最後は全員で校歌・応援歌・惜別の歌を力一杯唄い上げ、新副会長の水野雅人氏の乾杯の音頭で盛会のうちに終了しました。その後恒例となっている二次会は、 一次会での盛り上がりそのままに盛況のうちに終了しました。

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平成27年12月9日
支部年末懇親会の開催

 温暖化気候の影響のせいか、師走に入っても市内は雪が少ない毎日が続く最中、恒例の支部年末懇親会が午後6時より京王プラザホテル札幌3階「雅の間」において 檜森聖一支部長以下100名の会員と、ご来賓に本学父母連絡会札幌支部長山下裕司氏をお迎えし開催されました。



約2時間30分お互いの近況を語り合いながら母校の更なる発展に向けて奮闘を誓い合いました。司会進行は成田寿美子((有)ミュージック企画)さんにお願いしました。
 冒頭檜森支部長から「支部長になって丸2年になります。スロ−ガンは元気で、明るく、仲良くやろうという事で本年は道内各支部との交流、父母連絡会札幌支部との交流、そして東北地区の各支部との交流を進めて来ましたが、 なかなか思い通りにはいきません。また本日ご出席されたメンバーをご覧になったように高齢化が進み若い学員の入会が少ないという事で皆さんのご指導・ご協力を頂きながら、来年度はもっと若い人達もたくさん入会して頂き、 あるいは女性にも入って頂き更に交流の輪を広げていきたいと考えておりますので、何とぞご協力を賜りたいと存じます。
 さて本学の近況を申し上げますと、明治18年に英吉利法律学校として創立されて以来本年は130年を迎えており、 この間卒業生は54万人を超えております。
@平成27年度の司法試験合格者で本学は170名と久し振りにトップの座に返り咲きました。
A去る10月18日(日)開催されました東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会で8位に入り、来る1月2日〜3日に行われる「第92回箱根駅伝」での優勝を目指し87回連続し90回目の出場を果たしました。
B去る11月9日本学の中・長期計画の一環として2022年を目途に法学部を現在の多摩キャンパスから都心部の後楽園キャンパスに移転する旨の新聞発表がありました。
C本学の男子バレーボール部は、関東大学リ−グ戦で春・秋を連覇し12月8日(日)全日本大学選手権の決勝で筑波大学を3対0のストレートで破り2連覇を達成し、全日本最多の14回の優勝を飾りました。 またラクビー部が久し振りに正月に行われる大学対抗選手権に出場する等々文武両道に頑張る事は非常にいい事だと思っております。 来年は4名の副支部長、幹事長と一緒に学員会活動をもっともっと活発にし、交流をより深める事に頑張って参りますので皆様のより一層のご協力を賜りますようお願い申し上げます。 学員の皆様には来年こそもっともっといい年でありますようこ祈念致しまして挨拶とします。」


 続いて第一部の卓話「ものづくりと地域のかかわり」に入りました。
 講師に染谷昇氏(昭和49年・商・ソメスサドル(株)代表取締役)を迎え以下のようなお話を頂きました。




「私どもは、1964年(昭和39年)に創立した会社でございます。
昨年度、50周年を迎えた年でございまして、ささやかながら祝賀会をやらせて頂きました。その時に観て頂いたDVDをご覧頂いた後で、お話をさせて頂きます。時間は7分間でございます。

 DVDをご覧いただいた通りでございますが、今年は創業以来51年目を迎えました。私は、その51年のうち、約40年間ソメスサドル(株)に関わって参りました。私は5代目の社長になります。6年前までずっと東京の営業所で仕事をしておりましたが、代表取締役に就任したことで本社に戻ったわけです。私の故郷でもありますので、40年振りのUターンになりました。
 ソメスサドルの前身は、オリエントレザーという会社で、51年前に歌志内で誕生しました。皆様もご存じと思いますが、歌志内は炭坑で栄えた典型的な企業城下で、私も子どもの頃の勢いある時代を記憶しております。何か湯気が上がっているようなそんな街でございました。歌志内は、炭鉱夫と呼ばれるような人たちや東京の本社から人事異動でくるエリート社員や家族などが暮らしておりました。 私の父親も北炭にお世話になり、家族で社宅に住んでおりましたが、私も小さい頃から様々な環境の人と触れ、異文化、炭鉱文化と言ってもいいような地域で育ちました。
 昭和30年代の半ばには、残念ながら国のエネルギー産業の変更といいますか、石炭を掘ること事態がかなわなくなってきた時代になりました。これは歌志内が市に昇格して間もない頃でした。当時は45,000人位の人口でしたが、先ず北炭が閉山になり、住友系の炭鉱はありましたが、どんどん縮小の途をたどり、小学校が一つ無くなるくらいに疲弊するのが、あっという間でございました。
 そんな時代、このオリエントレザーという会社が誕生したのです。地元の炭鉱離職者の再雇用と北海道に点在していた馬具職人が職にあぶれる時代でもあり、その職人たちが歌志内に集まり、炭鉱離職者に技術指導をし、馬具を輸出する目的で、オリエントレザーは創立しました。これは当時、上場2部の商社であります野崎産業という会社が全てを取り仕切って製造が始まりました。 歌志内市も株主になり、公共性の高いところからのスタートでありまして、創業から7年間位は非常に順風満帆だったようです。
 残念なことに、1971年のニクソンショックという予想もつかない経済変化がおきました。固定レートで1ドル360円だった円が、変動相場制になって一気に1ドル200円台になって円の価値が上がったのです。しかし輸出企業にとっては、これほどダメ−ジを受けたことはありませんでした。残念ながら、オリエントレザーも会社そのものを存続する事が非常に難しくなり、事実上の倒産に近い状態に追い込まれました。 昭和40年の後半でございました。
 実は初代、2代目と札幌出身の方が代表者であったのですが、3代目に私の父親が引き受けたことで、私と兄、兄弟二人が関わることになりました。それ自体、今思い起こしますと不思議な縁を感じますし、よく40年間この仕事に関わって来たなと感慨深いものがございます。
 私の父親は、企業誘致の際に中心的に関わった一人でした。再建者の商社の方からパブリックな要素の高い企業でもあり、何とか存続する方向でということでかなり時間をかけて協議をしたと聞いております。 結果としては、存続するということであれば、「染谷さん、社長を引き受けてくれませんか」ということで、私の父親に白羽の矢が立ち、要請を受け入れたと聞いております。私はその頃、大学3年生から4年生になる時でございました。 まさかそんな事にはなると夢にも思っていませんでした。そんな経緯を辿って、私の父親はかなりの債務を引き受けて継承したのです。しかし、社長を引き受け就任して、すぐ倒れまして67歳で亡くなりました。 少し大げさかもしれませんが、私は、父親の遺志を継ごうという思いもありまして、現在に至っております。
 歌志内が炭鉱で栄えておりました頃は、非常にスポーツが盛んで、どんなスポーツも結構レベルが高かったわけなのです。ウインタースポーツも盛んで、スキー選手もたくさんいました。私はその環境の中で育ちましたので、気がついたらアルペンスキーをやっておりまして、小学校、中学校、高校と迷いなく続けておりました。
 高校卒業から進学という段階になったところで、私としては成績も残せたし、東京の大学を志望してはいたのですが、スキーを続ける考えはありませんでした。 したがって、中央大学に進学するという選択は、私の引き出しにはありませんでした。インターハイが終わり長野から帰ると、私の高校時代の恩師と、地元の市役所に勤務していた中央大学スキー部の先輩の二人が、私の自宅に来られました。 これは、私の人生の大きな分かれめで、「昇、スキーをやらないというけれど、大学進学してスキーは続けるべきだ」と中大進学を強く勧められまして、思い悩みました。当時、まだ父親も元気でしたので相談したところ、今でも、なかなかいいアドバイスを貰ったなあと記憶しておりますが、「昇、それは自分で決めたらいい。父さんは、どっちを選んでも応援するから決めるのは自分だ」と そんなに口数の多い父親ではありませんでしたが、アドバイスしてくれました。時間がない状況でしたが、スキーを続けようと決心をしました。
 しかし、中央大学に入学できるという自信はなかったのですが、運良く入学することができまして、併せてスキー部に入り、4年間の合宿所生活を送りました。これは自主運営型の合宿所でありまして、4年間かなりストィックな生活をしておりました。 このスキーを続けたことで、学業の方はさほどではありませんでしたが、4年間で様々な経験をし、大きな事故に二度も遭遇することになりました。
 大学に入ってすぐに北アルプスの立山で遭難をしました。これはいち早く雪の上でスキーを滑るという目的で、11月の始めから後半まで合宿するのが恒例でありました。しかし、その年は山の厳冬期が早くて一週間位荒れてなかなか下山ができなかったのです。 その日は、山小屋の戸締りをして下山を開始したのですが、そこでまた大荒れ、猛吹雪に見舞われました。一緒に下山しました同志社大学の山岳スキー部の仲間14名の内7名が残念ながら亡くなりました。 これは私にとっても、非常にシヨッキングなことで、何でこんなことになったのか、スキーをやらなければよかったのかなあなど、かなり思い悩んでいたことを忘れることはできません。
 そして、3年の時でした。例年通り12月は八方尾根(オリンピックのあった)で合宿をしておりました。黒菱ゲレンデという所に中央大学山岳部の山小屋がありまして、そこで練習をしておりました。これも予期せぬ事故でした。 私の一年後輩、私が一番可愛がっておりました後輩でした。彼がスキーの練習の途中で転倒し、木に激突して亡くなってしまったのです。ほぼ即死でした。その日は、2メートル以上の長さの滑降用スキーを慣らすのに、初めて滑った日でした。 練習日ではなかったので、チームで滑っていたわけではなく自由行動でした。私は何時も後輩と行動を共にしていましたので、彼と一緒に小屋を出てオリンピックの滑降コースを一本目滑りました。前の日は大雨で、ぐちゃぐちゃの雪でした。 練習にならなかった事を覚えております。翌日、ゲレンデはアイスバーンでした。新雪がアイスバーンになっていたのです。それで一本目は一緒に滑ったのですが、滑っているとスキーがブレてしまって、身の危険を感じましたので一本目で私はやめたのです。 ところが彼は、二本目も滑って転倒し、事故にあってしまったのです。何で、声を掛けてあげられなかったのだろうと、悲しいというか、残念というか、悔やんでも悔やみきれない思いでした。
 スキーも一生懸命やりましたけれども、大きな事故に二度も遭遇したことが、4年間の大学生活を通して、自分の人格形成というものに大きな影響を与えたことは間違いございません。
 話は前に戻りますが、3代目の社長を引き受けた父親でしたが、丁度その時がその事故にあった後だったと記憶しております。輸出が100%の企業でありましたので、これはもう国内マーケットに打って出るしかないというのは当然のことでした。 当時、私は学生でしたが、郷里が大好きで、何か役に立てることがあるかもしれない。きっと将来、マーケットの面でも、東京が中心になるだろうとの思いもありました。父親にこの仕事をさせてほしいと、名前だけでいいからと伝え、東京で始めることを決意しました。
 大学卒業後、今の仕事をすることを前提で別の会社に就職し、一年で退職して仕事を始めました。当初は当然ながら馬具をつくっておりましたので、馬具製品を国内で売ろうと、馬のいる所を調べ、全国をまわって歩きました。 日本中央競馬会さんには、大変お世話になりました。しかし、20代の前半、いわば駆け出しの者にとっては、中央競馬会に馬具を持っていって買ってくれるだろうかと不安でしたが、馬事公苑などにも足繁く通いました。 なかなか注文は貰えませんでしたが、少しずつ修理をさせて頂けるようになりました。
 間もなくして、馬事公苑の中にあった競馬学校が千葉県の白井に移りました。その頃から、少しずつ競馬学校の教官の方々とコミュニケーションができるようになりました。生徒さんが使われる鞍を「こういう物を作って欲しいのだけれど、作れるだろうか、染谷さん。」とこんな声を掛けられるようになり、 徐々に一緒に開発をし、製品を作り上げることができるようになってきました。
 今となっては、日本唯一の馬具メーカーといわれておりますが、よくここまで続けてこられたなあと実感しています。騎手や競馬関係者の方々が、私どもの、ものづくりに対して期待を寄せ、製品を使っていただけたことは、信頼される馬具を提供しようと愚直にものづくりしてきた結果だと思っております。
 あの有名な騎手、武豊さんも競馬学校時代の生徒の頃からよく存じていますが、あの頃からオーラがありました。デビュー時から今に至るまでずっと私どもの鞍を使って頂いております。中央競馬会には129名の騎手がいますが、70〜80%の騎手の方に私どものレースサドルを使って頂いております。 また、武さんのご紹介もありまして、世界の超がつく有名ジヨッキーも結構使って頂いております。有難いことでございます。
 しかし、実際には馬具だけでは、輸出だけをやっていた企業にとっては、非常にバランスを欠いておりました。私も東京で馬のいる所をずっと回っておりましたが、ビジネスとしては厳しいなという思いがありました。
 海外の事例として、エルメスに代表される、過去に馬具を作っていた。あるいは、馬具を作っていたメーカーが押しも押されもせぬ世界のブランドになっているということは、一応素人なりに知識はありました。可能性は5%あるいはそれ以下かもしれないけれども、一般の革製品づくりを目指してみようとそんな強い思いになりました。 馬具の製造、販売をしながら、一般の革製品の製造、企画開発という事を少しずつ手がけて行くようになりました 。これも10年くらいの歳月がかかりましたが、最初の製品は無骨で、堅くて、重くて、さっぱり評価の対象にならなかったのですが、私は駄目もとで、有名百貨店や当時の有名ブランドにすすんで営業を続けました。 不思議なもので駄目なりに足を運んでいますと、少しずつアドバイスをして頂けるようになってきました。
 当時は、相手先ブランドの仕事も手がけていたのですが、北海道警察のピストル・ホルダーも作っておりました。これは馬具づくりと似ておりまして10年程お世話になりました。それも貴重な経験でしたが、いずれにしましても、馬具の製造技術の革製品が大前提です。 しかし、名実ともに一流と評価されるブランドになるには、これから10年も20年もかかるのだと覚悟しております。
 現在、社員が103名おりまして、その内の半数は生産部でものづくりに従事しております。平均年齢は35歳で、大体地元で生まれ育った社員ばかりでございます。まさに地域密着型といってもいいのではないかと思います。
 馬具の製造、販売と同じように力を注いできた一般の革製品におきましては、現在、直営店の4店舗、百貨店が中心のインショップで、トータル10店舗を運営しております。卸売りもやってきましたが、現在の販売体制を以前から目指してきたのです。 その直営とインシヨップ事業規模が売上げの半数を占めるようになりました。これは私どもがブランディングを意識して参りましたので、この比率をもっと高めていきたいと考えております。
 皆様にとって、革製品は、馬具は特殊な道具ですが、必ず靴やお財布、鞄、バッグ1つや2つはお持ちだと思います。革は主材料が牛です。成牛ですね。かつては北米の原皮を日本で鞣し、鞣したものが日本製として認められ、それが流通してきました。 近年は、残念ながら中国の旺盛な需要でバランスが崩れて、なかなか原皮も入手しづらい状況です。現在、日本では約100万頭が鞣されています。半分は北米、半分は国産の牛が流通しております。
 この牛の皮は肉の副産物ではありますが、大切な素材です。アメリカでは、運動もさせず、短期間で成牛のサイズまで成長させ、2年未満で屠殺されています。かつてのような自然放牧をして屠殺されておりません。あまり公表されておりませんが、餌として肉骨粉も使用されていす。 また、女性ホルモンや抗生物資が使用されているという事実もございます。私は、30年前、馬具の革は、強度がないと大変なことになるので、強度のある革を求めておりましたが、なぜ国産の革は丈夫ではないのだろうかと疑問をもち、いろいろと調べていった結果、実はそういう飼育方法をとっているということがわかりました。 経済効率優先の短期的な育て方は、自由化になっても食肉は危険です。男性が中性化してきたと言われますが、多分、女性ホルモンの影響ではないかと、まことしやかに囁かれているのです。それは、決して間違いではないという思いをしています。
 現在、生産体制として、約50名の技術職社員が砂川市の工場で働いてまして、同じ屋根の下で馬具のチーム、一般革製品のチームに分かれております。そして、大体3〜4名のチーム編成でものづくりをしております。流れ作業というものは殆どありません。 勿論、先程のDVDにも出ておりましたが、裁断をしたり、革を剥いたりするのは、機械を使わないとできませんが、その他の作業は、ほぼ手作りでございます。3〜4名という編成は、長い間の経験でそうなったのですが、これは一人の職人・技術者が一つの商品を作り上げるために最後まで手をかけることは、技術を身につけるために一番いい方法だということが解ったからです。 現在でもそのイズムは継続しておりますし、これからも基本的には変わることはないと思います。
 また、生産を支えている重要な一つの業務として、砂川市を中心に40〜50軒の家庭内職と呼んでいる生産体制があります。 これは、小さい子どもがいる方、あるいはお年寄りを抱えている方が、(家庭の主婦が多いわけですが)自宅で、手縫い専門、ミシン専門、あるいはコバ(エッチ)を磨くなど、ものづくりの一端を支えています。
 私は、ものづくりというのは、人づくりであると確信しております。かつてのような職人という世界も、私は決して嫌いではありませんが、徒弟制度というか、親方の背中を見て覚えなさいということが過去にありました。しかし、それでは時間もありませんし、今の若者にはあまり合いません。 したがって、エンジニアという表現が当たっているかどうかはともかく、丁寧に指導し、時には、ミーティングをして、何故なのかと、どうしてなのかと追求をしていくことが、製造の現場においても、とても大事だと感じております。そして、コミュニケーションも大事にしております。
 この地域で、ものづくりをしながら、人づくりをする。人づくりは時間もかかり、とても大変なことでが、そんな価値観を継承していきたいと考えております。
 先日、砂川市で女性たちの手作り品のバザーがあったのですが、とても盛況でした。ものづくりが好きなんですね。人口比に対して、ものすごく多いのにびっくりしました。多分、手芸などをする人が多いのは、冬が長いこともあるのではと思います。
 ものづくりの好きな人が集まり、ヨーロッパが発祥の働く者同士が共同で事業主として対等に働く、ワーカーズコレクティブのような発想で、長時間は働けないけれど、できる時間を使って完成品を作り上げる共同の事業をすすめたいと思っています。 砂川市の空き家を利用して、ものづくりが好きな方に集まってもらい、技術指導は私どもの社員がして完成品をつくり、会社が責任を持って引き取るという仕掛けを考えております。これは、私のライフワークのような気持で、取り組み始めるところでございます。 こういうことが、もう少し定着していきますと、もっと違った形で地域に貢献していけるのではないかと、そんな思いでおります。
 最後に少し自慢話になりますが、最近、地方創生の話をよく聞きます。砂川市も同じでございまして、ふるさと納税を展開されています。一昨年の実績が年300万円でございました。昨年の9月に砂川市の方から「染谷さん、エントリーしませんか」と、声をかけて頂きました。 その時「でも、それは食べるものが中心でしょう。革製品は向かないのではないですか。」と、私はやんわりとお断りをしました。その後、また担当者の方が来られましたので、「それでは、今出せる商品というか、可能なものを何点かピックアップしてためしにやって見ましょう」と10月から始めたのですが、何と昨年の実績は6,000万円になりました。 6,000万円のうち80%の方が、返礼品としてソメスサドルの商品をお選び頂きました。びっくりしました。選んでいただいた方の約50%は、東京を中心とする首都圏の方です。
 新年度になりまして、引き続きお世話になっておりますが、若干商品の内容は変えております。今年は、もう沈静化していくのだろうという思いでいましたところ、むしろ拍車がかかっているといいますか、今年はまだ終わっておりませんが、1億円は優に超えるだろうと、と言われております。 これまた、返礼品の比率の約80%がソメスサドルの商品をお選び頂いております。とても有難い事でございます。私はここまでになるとは思っておりませんでした。
 返礼品は、私どもで発送しているのですが、私の下手な自記筆ですけれども、『ふるさと納税へのご協力のお礼と当社を選んで頂いたことへの感謝。そして砂川市の近くにお越しになられたら、会社にお立ち寄り下さい。工場をご案内します。』というようなメッセージを添えて送っておりましたが、あまりの数の多さに腱鞘炎になりまして、今は文章を印刷してサインだけに留めることにしました。 こんなソメスサドルでございますが、これからも、ものづくりを通じて、地域に貢献していきたいと考えております。今日は、お話をする機会を頂きまして、ありがとうございました。」

 講演の終了後第2部の懇親会に入りました。
 村木副支部長(昭和55年・法・北海道保健福祉部)から「只今ご紹介頂きました北海道庁の村木と申します。先程支部長から話しがございましたが、中央大学の法学部がまた再び都心に回帰するという事ですが、また先程染谷社長からお話がありましたが、 地方創生という事で都市集中が問題になっておりまして地方の再生をどうやっていくか北海道政の中でも大変大きな問題でございますけれども、戦後から約40〜50年かけて北海道の人口が570万人まで伸びましたけれども今現在540万人という事で増田元総務大臣が発表したレポートによりますと 北海道の中で約80%位が地方消滅になってしまうという事ではありますけれども、北海道庁で先般纏めました人口ビジョンというものがございますが、なにもしなければ人口が420万人弱と単純な推計ではありますけれども、それはそうはさせないと480万人位の人口を維持出来るように頑張っていこうと考えております。
先程染谷社長から紹介がありました、砂川市の事例がまさに地方創生のモデルとなるような事で私も感心しておりました。今まさにそういう事を全道的に展開していこうというのが街、人、仕事づくりの政策でございます。アベノミクスで一段目の矢、二段目の矢という事で今6本程矢が放たれておりますけれども、 最近の矢の3本の内の2つは子育てでありますとか、介護の奉仕であるとかいう事でございます。ますますこれからも北海道の人口が増えて、皆さん方の職業が突然小売業ですとか製造業となりますと人口が売上げのベースですから人口減少に早く歯止めを掛けて頂けるようにそれぞれの企業でも頑張って頂ければと思います。 本日お集まりの皆様方これからますますのご健勝さらにはわが母校の中央大学のますますの発展を祈念いたしまして乾杯をさせて頂きますのでご唱和をお願い申し上げます。」


 懇親会は終始和やかな雰囲気で進み会員同士名刺交換を行ったり、日頃ご無沙汰している先輩への挨拶回り、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、久し振りの再会を喜ぶ姿がテーブルのあちこちで見受けられました。




















しばらく歓談の後司会者から新規入会者の紹介があり、11名の新会員が壇上でそれぞれ自己紹介を兼ね5分程挨拶を頂きました。



・一戸 麻里(平成23年・経済)アフラック札幌総合支社
・石井 健 (昭和47年・経済)(株)イシイフーズ
・稲岡 脈雄(昭和55年・経済)ほくでんサービス(株)
・後木 美緒(平成26年・商)北海道経済部地域経済局中小企業課
・川尻 寿彦(昭和57年・商)(株)札幌副都心開発公社
・作間 豪昭(平成7年・法)渡辺英一法律事務所
・佐藤 昌之(昭和49年・経済)
・白井 邦孝(平成9年・商)北海道恵庭南高等学校
・高市 有希帆(平成23年・法)(株)読売新聞東京本社北海道支社
・田原 光恵(平成19年・法)北海道空知総合振興局保健環境部
・堀内 翼(平成25年・法)明光義塾真駒内教室

 本会の目的は会員同士のより一層親睦を深めるものであり、 アルコ−ルが入ったところで恒例のビンゴ大会に入りました。





 酔いが回ったせいかなかなかビンゴが出ませんでしたが表ビンゴ、裏ビンゴ等の景品も出席者全員に当たるように支部、会員からのご寄贈もあり、「ビンゴ」の掛け声で会場内は一気に盛り上がりました。







 最後にビンゴ大賞は、作間 豪昭氏(平成7年・法)が獲得しました。
 懇親会の最後は恒例となっている校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入りました。新規入会の11名の会員が壇上に上がりそれぞれ3番までフルコーラスで熱唱し、惜別の歌に至っては全員が輪になり、 肩を組むなど誰もが過ぎ去りし青春時代への思いを馳せているようでした。















 結びは舟橋副支部長が壇上に立ち、出席者全員「よーい」の掛け声で一本締めで締め盛会の内和やかに終了し散会となりました。



 尚、年末懇親会への飲み物・景品等の寄贈者は下記の通です。
・札幌市役所白門会
・田代信一氏(昭和56年・文)京王プラザホテル札幌
・植田克己氏(昭和57年・法)日本中央競馬会札幌競馬場
・高橋恭平氏(昭和48年・理工)(株)タカラ
・吉川雅彦氏(昭和59年・経済)(株)オンワード樫山札幌支店
・工津輝雄氏(昭和39年・商)(株)エミック
・松井宏衛氏(昭和55年・商)バイエル薬品(株)北海道営業所
・前田和男氏(昭和60年・法)第一生命保険(株)北海道営業局

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平成27年9月12日
第52回ゴルフ大会の開催

 本年度3回目は昨年に続き北広島市にある「札幌リゾートゴルフ倶楽部トムソンコース」において開催されました。
小樽支部との交流を兼ねた本大会は本年で4回目を迎え小樽からは関口正雄支部長(昭和47年・法・関口・鷲見法律事務所)、佐野英昭氏(昭和54年・工・環境工房(株)代表取締役)の2名にご参加頂きました。 当支部からは西山眞吾会長以下14名で併せて参加者は16名となりました。あいにく当日は曇天で時折霧雨が降りましたが前半のアウトコースを午前8時21分にスタートしました。
 コースの後半には雨も上がりゴルフには絶好の日和になりました。恒例により競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。 優勝は当支部の工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)がアウト43、イン37で回り、準優勝は伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKO INC.代表取締役)がアウト43、イン40で回りました。 西山会長から賞品を全員に手渡しました。尚ベストグロス賞は舛田雅彦氏(昭和56年・法・札幌総合法律事務所)がアウト39、イン38で回り獲得しました。 その他にニアピン・ドラコン・大波・小波・平和の各賞を盛り沢山用意しました。
 西山会長の挨拶に続いて関口支部長から「小樽支部も会員の高齢化が進み当支部のゴルフ大会の参加者も少なくなって来ているので、札幌との交流大会には来年度も継続して参加したい」旨挨拶、優勝の工津氏から優勝の弁、 小樽支部の佐野氏からお礼の挨拶を頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気の中で進み次年度の再会と健闘を期して和気あいあいの内に散会しました。尚関口支部長から小樽の地ビール、 檜森支部長から紅茶、当支部顧問の出戸一成氏(昭和56年・経済・マックスバリユ北海道(株)相談役)から前回に続いてバッグ、 同じく田代信一氏(昭和56年・文・(株)京王プラザホテル札幌リスク管理担当支配人)からはお菓子の詰め合わせを賞品としてそれぞれご寄贈頂きました。


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平成27年9月4日
白門ミーティング北海道・東北ブロック会議への参加

 中央大学学員会では、学員ネットワークの拡充・強化の一環として、 平成26年度より地域ブロックごとの「白門ミーティング」を開催していますが今回は、北海道・東北ブロックを対象に実施され、 当日は函館市にあるロワジールホテル函館を会場に行われました。
 当支部からは、檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長が出席致しました。 道内からは他に、函館の平沼冠三支部長以下3名、小樽の内藤重雄副支部長以下2名、旭川の八重樫和裕支部長以下2名、 帯広の後藤裕弘支部長以下2名、釧路支部の中村圭佐支部長が出席されました。
 東北からは青森県支部の葛西勝尚支部長、宮城支部の村上青史支部長以下2名、秋田県支部の柴田一宏支部長以下3名、 山形支部の舟山政紘副支部長以下2名、山形庄内支部の柴田東副会長以下2名、福島白門会支部の佐久間順副幹事長、 郡山白門会支部の佐藤正廣副幹事長以下2名、会津支部の金子恭也幹事長、いわき白門会支部の桑名基勝幹事長が出席されました。
 中央大学から林勘市常任理事、また学員会本部から久野修慈会長、金井重博顧問、 石渡光一・大木田守・小畑悟・高嶋民雄・三和彦幸・安田征史各副会長、清野強事務局長、豊田裕浩課長が出席されました。
 第一部の意見交換会は、冒頭清野事務局長の進行で行われ、小畑副会長(北海道・東北ブロック担当)の開会挨拶、久野会長の挨拶、林勘市学校法人中央大学常任理事の挨拶がありました。 開催趣旨説明並びに意見交換会の進行は高嶋副会長(学員ネットワーク担当)が行いました。
 会議は事前に学員会本部及び大学に対する質問・意見・要望並びに他支部の参考になると思われる事業・活動を掲載した「アンケート」を基に進められました。
 出席された東北・北海道の各役員からは「アンケート」以外にも、支部が抱えている課題や各支部間の情報共有をはじめ、 学員会本部及び大学に対する忌憚のない意見・要望等も活発に出され、大変有意義な会合でした。
 続いて第二部の懇親ミーティングは、久野会長の挨拶、地元を代表して平沼函館支部長の挨拶があり、金井顧問の乾杯で懇親会に入りました。
 清野事務局長の司会で進められ、全国でも有名な江差追分で日本一になった民謡歌手による余興もあり、終始和やかな雰囲気の中で行われました。 東北の支部との交流は、初めてであり、お互い人脈も作る事が出来ましたので、 一過性のものとして終わらせる事なく、今後も交流する機会を作っていきたいと思います。会の最後は、安田副会長の閉会の挨拶で終了しました。


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平成27年8月6日
平成27年度定時総会の開催

 連日厳しい暑さが続いている最中、午後6時より京王プラザホテル札幌3階「雅の間」において、本学本部より林勘市常任理事、 学員会本部より大木田守副会長、東北・北海道ブロック担当の小畑悟副会長、山下祐司父母連絡会札幌支部長をご来賓に迎え檜森支部長以下100名の会員が集い開催されました。 約2時間10分お互いの近況を語り合いながら母校の更なる発展に向けて奮闘を誓い合いました。
 司会の進行は西原幹事長で行われました。議事に先立ち支部長から「本日は何かとお忙しい中平成27年度札幌支部の総会並びに懇親会に多くの会員の皆さんのご出席を頂きまして本当に有難うございます。
 札幌支部長として私も2年目になりますが、私は元気で、明るく、仲良くやろうという事をモットーにして幹事長、副支部長さん方達と一生懸命頑張ってやって参りました
 お陰様で以前になかった道内の各支部との交流も定着して来ております。また今年の9月には学員会本部、大学本部の主催で函館に東北地区の各支部の皆さんと道内の各支部からもみんな集まる事、 父母連絡会ともより一層関係を深くして仲良く今やっております。
 我々のもともとの目的であります現役の中央大学の学生さん達仲間を応援する、それから卒業したわれわれ仲間がどこで会っても、声を掛けられるような、声を掛け合うような、 あるいは後輩達の就職にも何らかのお手伝いが出来るような体制をつくっていこうと少しずつではありますが、進んで来ているのではないかと思っております。 皆さん何とぞひとつそれぞれの立場で協力をしていただければ有難いと思っております。」と挨拶があり支部会則第10条3項に則り支部長を議長に第1部の総会には入りました。




 第1号議案「平成26年度事業報告並びに収支決算報告について」
 幹事長から資料に基づき報告し、次いで会計監事の高橋恭平氏(昭和48年・理工)から監査報告があり諮った結果出席者全員異議なく承認されました。



 第2号議案「平成27年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」幹事長より資料に基づき説明し諮った結果異議なく承認されました。

 続いて第2部の卓話「海外における日本食文化について」に入りました。
 講師は西山隆司氏(昭和56年商・西山製麺(株)代表取締役社長)にお願いしました。
 講演の要旨は次の通りです。



「海外では日本食ブームと言われておりますが、今日はラーメンにしぼってお話しをさせて頂きます。前半は札幌ラーメンが出来上がる誕生、そこにはいろんな秘話なり人間ドラマもございますので少しご披露させて頂き、 後半の方で今海外ではどんなラーメンがブームになっているのか順番に話しを進めていきたいと思います。
 話しだけではなんですので、写真を見ながらの方が解りやすいと思いますので少しスライドをご用意させて頂きました。私は勉強の方は、全然駄目でございましてどちらかというと右脳派人間なのでイメージとか、 図形とか、雰囲気で捉える人間なので、写真などもご用意させて頂きました。手前共の会社の概要を申し上げますラーメン専門の西山製麺でございます。会社は昭和28年に創業致しておりますが、 実は手前共はラーメン店の屋台の自家製麺の部門からのスタートをしております。写真をご覧下さい、今二条市場にダルマ軒という店がございますが椅子に座っているのが叔父、立っているのが私の亡くなった父です。 昭和24年富山県の出でございます。親父は満州で農業でもやろうかと考えていたようですそんな事で田舎の貧しい農家だったと聞いております。
 長男が実家を継ぎ後はみんな家を出て行かなければならなかったと聞いております。ところが終戦を迎えて行くところがなくなり北海道へ出て来たと聞いております。 当初は屋台のラーメン店ではなかったのですが数ヶ月北海道に居た時に、私の祖父(孝幸)がどうもお前の従兄弟のやっているラーメン店が非常に忙しいようだ、 お前ひとつ手伝いに行ったらどうだという事で昭和24年に円山公園の出店の屋台ですが、写真のように昭和24年か25年頃屋台を牽いてスタートをしていたようです。 当時大陸の方からいろんな方が引き揚げて来ましてラーメンの屋台もいろいろと札幌市内でも増えてきたようです。
 皆さんラーメンを造る事が出来ませんので、自家製麺の屋台の麺を私の親父が造りまして、近くの今のラーメン横町のはしりの店でお分けしていたというのが会社のスタートです。
 昭和28年に叔父の方がちょっと札幌を離れる事になり、変わって私の親父が自家製麺の屋台の製麺部門だけを独立して西山製麺所という事で南3条西8丁目に店を構え、私もここで育ちました。 これが会社のスタートの歴史でございます。
 事業内容ですけれども生ラーメンの他いろいろな品目がございますが、最近は開業支援コンサルタント、例えばラーメンがまったく素人の方が店を開きたい、 あるいは最近では海外で営業している方が非常に多いのですが、当初寿司を開業したが増えすぎて来たので、ラーメンでもう一度仕切り直しをかけたい、 ラーメンの事は造り方も何も解らないので教えて欲しいという相談が大変多うございまして開業支援コンサルタントも含めた製麺のメーカーという事で、全国的にも特徴ある分野でやっているところでございます。
 昭和30年(1995年)ございますが札幌ラーメンの特徴であります卵が入って多加水熟成で、ちぢれて、あしこしの強い生ラーメンを親父が開発しました。 何故こんなラーメンを造ったかというと後ほどお話しますが、昭和62年(1987年)ですけれども、大変有難い話ですが、 札幌市教育委員会で小学校3年生の教科書の中に「私達の札幌、ラーメン工場の仕事」という事で当社の会社を取り上げて頂きました。もうこれで28年近く掲載され、市内の小学校の皆さんが勉強されておられます。
 昨年ですが札幌市内の95%の185校あまりの小学校の工場見学を当社が受けさせて頂いております。その後2006年チャーシュウの素を製造したり、ここ最近でございますが一昨年ドイツに法人を設立、 昨年にアメリカに法人を設立しております。上の方の写真が先程の教科書です。真ん中の写真はラーメンのテストをやっているところです。全国にはいろいろと麺類がたくさんございますが、 歴史の旧いところでは讃岐うどんがございます。信州のそばも歴史がございます。
 ラーメンで一番歴史があるのは九州あたりですが、札幌の小学校ではラーメンのテストをするのだよと言いましたら、嘘だろうと言いますが、この写真を見せますとビックリされます。 それだけ札幌ラ−メンというのが、ひとつのお店が造った味でもない、メーカーが造った味でもない、言ってみれば札幌市民の皆様方が造り上げていった一つの食文化であると思います。
 だからこそこんな事で我が町の現地工場にラーメン店が出て来たり、これは札幌独特の産業であります。下の写真はプレゼンテーシヨンルームでして手前共の会社の開業支援の部屋でございます。 こんな事も用意した変わったメーカーでございます。
 続いて札幌ラ−メンの誕生について少し話をさせて頂きます。うどん、蕎麦の歴史という事で、うどんが一番歴史が旧いという事で奈良時代遣唐使が伝えたという事で讃岐うどんが一番旧いかと思います。 蕎麦は縄文時代の土器からも発見されておりますが、蕎麦掻きの様な状態でありまして、現在のような蕎麦は鎌倉時代に入ってからと聞いております。
 ラーメンはその後でございます。水戸黄門の徳川光圀が食べたという説もありますが、江戸時代の末期に長崎の出島から入ってきたという事が一般的になってきております。 日本のラーメンの全てのルーツは長崎チャンポンという事です。
 ところで札幌ラーメンの歴史はどうなっているのかと申しますと、大正12年に北大前の「たけや食堂」でラ−メンが出されたという文献もございます。 出されたラーメンは今のラーメンと違って中華蕎麦のようなラ−メンという事です。今の札幌ラーメンになったのは戦後でございます。札幌ラーメンの特徴でありますが、スープがこってりして、ちんたんだ。 このスープは昭和23年頃に出来上がっております。
 今は店の方は廃業されておりますが、時計台ビルの前にありました「龍鳳」を経営していました松田さんという方が引き揚げて来まして、 札幌に来て私共の叔父の西山仙次にラーメンの造り方を教わりお店を開業され昭和23年の初め頃の話だろうと思いますが、ある時どういう加減なのか、スープを造っていてその晩火を止め忘れたのか、 どうしたのか解りませんが、翌朝店の方に出て来てみたら、こってりしたちんたん系のスープが出来上がっていました。そのスープをお客様に出した所大変喜ばれたという事です。 多分火力の強いスープであればうまくいかなかったと思いますが、非常に火力の弱いスープで当時はエネルギー事情も悪かったという事もありますのでじっくりと炊き出したという事でちんたんのスープが出来上がったという事で札幌ラーメンの一番最初のスターでございます。 「龍鳳」の松田さんという方がスターされております。それから札幌ラーメンの特徴でございますが、調理方法に一つ特徴がございます、中華鍋を使う、フライパンで野菜を炒めて盛りつけをする、 これ札幌ラ−メンの特徴でございます。みそラーメンを造られて有名な「味の三平」大宮さん、有名な方でございますが、実はその前に中華鍋で野菜を炒めたというのが昭和26年頃に始めておられます。 別に仕事をされておられましたが、昭和25頃にラーメン店に転身されたと聞いております。
 何で野菜をフライパンで炒めて盛り付けをしたのか、というところなのですが、これは「あじの三平」のみそラーメンを造くられた有名な大宮さんは満鉄の機関士で大連にお住まいでした、 幼い頃大連に居たという事で、中華料理を目の前で見ていたようですね、中華料理はフライパンでワァッと火をあおって作ります、火がバァッと上がります、 それをラーメンの方に取り入れたかったと話をされておりました。私は何度もその話や昔話をいろいろと聞かされました。本当に「味の三平」大宮さんとは家族同様のお付き合いをさせて頂きました。
 私は隆司と申しますが「隆司ちゃん、何でフライパンで野菜を煽るのかというと」聞かされたのは、「目の前で火が揚がると美味しく感じるのだよ、もうすぐ出来上がるんだと、音が出る、映像で火が出る、 匂いも出る、これらが鼻に入ってくる、そうすると口の中から唾が出てくる、美味しい物は更に美味しく、美味しくない物も美味しくなるんだ」という話をされていたのを記憶にございます。
 一昔前まで地産地消という言葉がよく使われましたが、札幌では当時小学3年生でもラーメン工場とか玉葱とか農業について勉強するのですね。
当時は 札幌でも玉葱をたくさん生産していましたし、農業をしている人達もたくさんいました。地産の野菜を使って煽ったという事です。もう一つお客さんの前でパフォーマンスのショーを見せたかったのです。 それが目的だったのです。今新聞、雑誌、テレビとかラーメンといいますと漫画なんかでも先程申しました屋台の店です、お客さんの前で、常連さんですと会話が弾みますが、 常連さんでないお客様が黙ってラーメンが出来るまで待たせなければならないですので、何とかお客様に待たせる間楽しんで貰う事が出来ないのかと、いう事で同じようにフライパンで野菜を煽った、 調理のショーをお見せしたという、「あじの三平」の大宮さんが話をされておりました。そのあとの話として野菜を煽ったのを具材として造る事によって、平面的なもの作りから立体的になったとか、 あるいはこってりしたス−プがあったんで野菜をいれる事によって非常に消化がよくなったとか、彩りも良くなったとかそんな話もございます。それらは全て後付の話でございます。 最初はお客さんにフライパンのショーをお見せして、常連さんでも、初めてのお客さんでもラーメンが出来上がる迄楽しんで貰おうとやったのが最初だったと聞いております。
 それから次ぎに昭和28年頃から考え出されました「あじの三平」の大宮さんが造られたみそラーメンのたれでございます。北海道は非常に味噌料理も多く、 何とかして味噌の味つけのラ−メンが出来ないものかと昭和28年頃に研究開発されたようです。
 丁度手前共の会社も創業が昭和28年でございます。私の亡くなった親父とは本当の兄弟のようなお付き合いをさせて頂いたと聞いております。 一緒になって手前共の会社の麺を担当していたわけでございますけれども、黄色くて、ちぢれが強く、足腰の強いラーメでございます。みそラーメンの開発と同じように併せて行ったと聞いております。 なんでみそなのか申しますと、もっともっと麺にカロリーベースを一食として、主食として、間食するラーメンではなくて、一食としてカロリーベースの高い、ご満足頂けるラーメンを造りたかったのです。 北海道では味噌を使った料理が非常に多いですので、何とかしてみその味付けのラ−メンが出来ないものかとみそに着目したわけでございます。
 当時でございますが、昭和20年代の後半でございます、札幌にもいろんな中華の方々もおられました。噂話を大宮さんから聞いたのですが、「大変だったのですあの頃は、みその味付けのラーメンを造り始めて、 その噂が広まって、今までみその味付けのラ−メンはないと、世の中には無いと、もしそんな美味いラ−メンが出来上がっていたら、 もう既にラーメンのスタートである東京なりそれから九州なりでみそラーメンが出来上がっているはずだ。そんな満鉄の機関士で引き揚げて来た人間が、 みその味付けのラーメンそんなもの出来るはずがないじゃないかという噂も行ったようです。」大変なご苦労もあったようですけれども。
 最後の決め手は香辛料であったようです、こってりしたスープが出来上がっていたそれからフライパンの中にラードを入れ野菜を炒めますので、また油が入ります。こってりしたスープがあって、油分があったので、 味噌という和の世界を中華の世界の中に結びつけるものが香辛料の葫とか、生姜とか、札幌ラーメンは非常に葫とか生姜が効いておりますので、味噌の世界と中華の世界を結びつけるいい結合の素材になったと聞いております。
 ですから東京とか大阪のような都会ではみそラーメンは出来なかったと思います。みそ汁の昆布味しか出来なかったと思います。札幌であったからこそ出来上がったのがこのラーメンの特徴でございます。
 今まで四つお話をさせて頂きましたが実は、札幌ラーメンは全国でも一番、最後発のラーメンでして昭和30年頃にメニュ−に載ったと聞いております。
 私は昭和33年生まれの56歳ですからまだ70年あまりでございます。そんな風に全国的にあるいは世界的に日本のラーメンと言いますと、九州の豚骨ラーメンもございますが、もう一つは札幌のラーメンと出て来ます。
 九州の豚骨は明治時代初期からありますから、札幌のラーメンは昭和の戦後ですから何でこれだけ有名になったのか、皆様から自分の事のように思われる食べ物になったのか、大きな特徴はお話しましたこの四つのわけでございます。 普通の食べ物ですと一つのお店なり、シェフがされる仕事なのです。ですから美味い物が出来上がっても秘伝の味だとか、自分の味だとか言って出さないのです。だから一つのお店だけで終わってしまいます。
 これに対して札幌のラーメンの特徴は、全部ばらばらなのです、いろんな方が造って来たのです。という事でみなさん方の対話が生まれて来たというのもございます。 それから一つのお店で有名なシェフの料理というのは、自分で料理を始めますと悩みますね、悩んだ時には、自分の師匠に聞けるのです、師匠が教えてくれるのです。 ところが札幌のラーメンの場合は戦後皆さん引き揚げて来た方々が造られた食べ物でございますので、師匠が居ないのです、悩んだ時に誰に聞くかといいますと、お客さん聞かざるをえないのです、という事で五つ目は、 お客様と店主との対話の中で生まれ来たわけです。だからこそなおさらの事札幌の市民の方は、札幌ラーメンは一体誰が造ったのだと言いますと、ラーメン店を始められた方は俺が造ったのだと言います。
 あの店の味は実は俺がね(店主)相談した時にいろいろとこうしたらいい、あるいはああしたらいいという事で札幌ラーメンの食べるお客様ですが、ラ−メンに対する思いがちょっと他のエリアとは違う、 だからこそこれがザァッと広がって行ったのだと思います。
 面白い話がございます「サッポロ一番を造っているサンヨー食品社長」の井田さんですが昭和40年の頭と聞いております、「あじの三平」の大宮さんのお店に来られたようです。それまでは長崎チャンポンのサンヨー食品でした。 その即席麺のメーカーの社長が、お店に来た時に初めてみそラーメンを初めて口にして「これは美味いと」という事で、井田社長が大宮さんに「実は私はこういう者です。群馬の方で即席麺を造っている会社でございます。 私は味噌ラーメンの即席麺を造りたい、味噌ラーメンの粉末スープを造りたいのです、ついてはそのみそラーメンのたれを私にくれないか」と言ったそうです。普通だったら誰もあげませんよ、ところが大宮さんは、 よしわかったと言って社長にビニール袋にたれを入れて渡したそうです。井田社長はそれを早速持って帰り分析して、日本で始めて粉末味噌の即席麺の味噌スープを造ったのです。その後会社名をサッポロ一番に変えたそうです。 そんな話にもある位本当に札幌の方は、互助会精神があるのか、助け合い精神があるのか、いい面でも、悪い面でもそんな中で生まれて来たのが札幌ラーメンなのです。
 また北海道の気候風土がこってりとしたス−プを受け入れたというのも背景にあるのではないかと思います。さて昨今海外の方でも非常にラーメンが大ブームでございます。 手前共でも最近は非常に多くなっておりますが、実は売上げベースでまだまだ会社の売上げから申しますと分母は低いのですが、昨年は1億2千万円程でございました。 今年は170〜180%位伸びを見込み、多分2億円くらいに海外の売上げが乗るかと思います。今大ブームでございますけれども、実は今からかなり前ですが、1985年位まだバブルの前でございます、 海外へ日本の百貨店がたくさん進出して行った時代です、ハワイの方へ白木屋さんとか、香港へ大丸さんとか、いろんなところから海外の物産展で日本のラーメンの茶屋を出してくれと手前共に要請がありました。 それ以来10年あるいは15年と引き合いが長くございました、手前共も出て行ったわけでございますが、結構これが大評判でございまして札幌ラーメンの特徴先程申しました「フライパンの中で調理をする」のです。 当時鉄板焼きで、紅花さんがお客さんの目の前でステーキを焼く時にパット火が上がりますね、こんなようなパフォーマンスがあったと思いますが。 お客様の目の前で火を上げて調理をするラーメンという事で、このような事は世の中にはないので非常に好評を博して、長く続いて行きました。
それから成長期の初期になりますか、2000年の頃から香港、シンガポール等から日本のラーメンの専門店を開業したいというお客さんの引き合いが増えて来ました。という事で先程の開業支援の部屋を創ったわけでございます。
素人の方にラーメンを教え、簡単に言えば70点位まで無料で教えます。
100点満点教えても自分の魂が入らないと教えた事にはなりませんからお金も取りません。ですから70点くらいまでしか教えません。後の30点は自分の魂を入れて下さいと言っているのです。 お金を取ってラーメンを教えて繁盛しなかったら、金を払っているのに繁盛店にならなかったから何とかしてくれって来ますから。という事でお金は取らないのですが、そんな教え方をしております。 後、海外の方に食材を生かす為の調理師だと、なんぼ日本のいい食材があっても、生かさないと日本料理になりませんのでそれを含めて開業支援の部屋を用意したという事です。
 現在ですが19の国と地域に出店しております。一昨年はヨーロッパの方に手前共100%の法人を作りまして、こちらで作ったものを(現地では生産しませんので)アメリカの方で製麺のテストをした事がありますが、 日本で作ったものと同じ物は出来ません、気候・風土・水が違いますので、あくまで日本で作った物を海外に持っていくというスタンスで今はやっております。本物のラーメンをやろうという事でやっております。
ヨーロッパの法人の方へはこちらで作った物を小樽から釜山経由でスエズ運河を通って冷凍のコンテナで持って行っております、またアメリカの方へは去年作ったところですが今のところホールディングにしております。
ホールディングにしてお客様にもお店に少し出資をしたり、経営の参加をしたりしているところです。スタートはアジアの方が早かったのですが、何故かヨーロッパが先になり、アメリカが先になったとよく皆さんから言われますが、 売上げだけを目的であればアジアが先で、次ぎにアメリカで、その次ぎがヨーロッパだろうと、市場規模から言うとそんなものだろうと、経済のイロハを西山社長はわからないのかと、よくお叱りを受ける事がありますが、 ご縁が遠くにあったからというのも一つあります。それから日本の食文化なり食材についての価値を認めて貰らえるという観点から申しますと、ヨ−ロッパの方が非常に日本に対してその価値を認めて貰えます。 アジアは今大競争になっておりますので、という意味で札幌の食文化、札幌市民が育てて頂いたラーメンを大事に高い値段でというわけではでありませんが、その価値を高めながら売っていくというエリアの順番から申しますとヨーロッパ、 アメリカ、アジアが順番かなあと思っているわけであります。
 国内事情を申しますと、少子化の影響で非常に厳しい状況でございますが、勿論軸足はこちらでございますが、海外市場で文化、食文化を味わうという事をヨーロッパに出てわかりました。 さてラーメンの値段でございますが、よく皆さんから言われます「海外ラーメン高いですね」とよく言われます。私が思うには、海外が高いのではなくて日本が安すぎるのです。
 日本からの食材を使った値段でございますと、大体アジアでは、1,200〜1,400円位、アメリカが1,400〜1,600円、ヨーロッパに行きますと1,400円というのが大体フランス・ドイツあたりがこの値段ですが、 高いところでは2,000円がベルギー、ロンドンに行きますともっと高くなり2,500円に、スイスでは2,700〜2,800円位になります。
 中東のドバイになりますと3,000円くらい、ちょっと高すぎると思いますが大体1,500円くらいが海外における日本のラーメンの文化価値、食の文化の価値だと思っております。 現地の製麺の値段は200〜300円安いというのが現地のながれです。海外では多くの国でラーメンという言葉が既に認知されております。寿司と同じようにラーメンでございます。 それから今から40年前には海外では皆さん箸の勉強をされたように、今では皆さんラーメンを啜っているのです。驚きです。
 去年か一昨年ですが、ドイツに行った時に、ドイツのパートナーの社長が言っておりましたが「最近ドイツ人はラーメンを啜るんですよ」私が「啜るのですか」とい言い返す、私が「啜る事は多分難しいですよ」と言う、 ただ音を立てているだけです。
ドイツ人が5〜6人で店に入って来るのですね、みんなラーメンが大好きですから、ドュセルドルフで手前共の麺を使っているのは、6〜7店ございますがラーメン大好きなので、 店の中で皆さんラーメン談義をしながらラーメンを食べているようです。日本とまったく同じです。その中で一人が音を出して啜るのですね、ずるずると啜るんです、理屈じゃないですこの世界は。 そうすると皆さんがふっと見て、「お前今ラーメン啜ったな」と言うのです。啜ったら鼻高々ですよ、まだラーメン啜れないの、お前ら今ラーメンの事を語っているけど、ラーメン啜れるようになってから語れよと、 まだラーメンの事を語るのは、早いと会話をしながら食べているんですよ。これ現実です。そこまで日本の食文化の価値が認められて来ております。今アメリカでもかなり啜っております。
 ですがなかなか啜られない方も多いのでレンゲが大きくなっております。
 まさにそんな時代に今来ているという事です。下の写真です、左が香港のお店です。真ん中がシンガポールのお店です。シンガポールは大体今ラーメン一杯1,350〜1,400円位です。 今から12〜13年前から始めておりまして当時はシンガポールドルで65円位でしたね。60円の前半でした。今はもう95円ですか、ラーメンも上がっております。下の写真はワシントンD.Cのお店です。 このお店は2階が居酒屋になっております。昼は大行列というお店でございますが、夜になりますと居酒屋に皆さん上がります。それから最後に締めでラーメンを同じ店で食べます。席が空いたら呼んでくれよ。 こんな話です、下に降りてきてラーメンを食べて帰られるという事です。
 ラーメン店の客単価は夜の時間帯になりますと10,000〜20,000円です。これが向こうのラーメンの事情です。居酒屋とラーメン店がほとんど一緒になってしまいます。これで今大成功されているのが九州の一風堂さんです。 次の写真は左がドイツの手前共のパートナーのお店です。実はこのビルの上の方に手前共のドイツの法人の事務所があります。お客さんの店の中にお借りしております。右側がベルギーのお店です。下は先月オープンしたばかりです。 フランスの郊外の日本人がまだ20人位しかいないという郊外のお店です、日本人の方ですけれども今お店は大行列という話を聞いております。
 下の真ん中の写真がミラノ万博の会場の写真です。今日本館が大人気という事を聞いておりますが会場内にラ−メン店が2店あります。その2店の麺を手前共が提供させて頂いております。 下の右側の写真ですウラジオストックのお店です7月にオープンしてばかりです。ラーメン一杯600ルーブル(1,300円位)です。上の写真をご覧いただいたらお解りになりますが、ヨ−ロッパのお店はカフェで、 食事をする時は皆さん外で食べるのですね、北海道とよく似た気候風土でからっとしているので外で食べた方が美味しいというような食スタイルがあるという事です。それから中東でございます。 こちらも一昨年ハラルにテスト的に進出しました。今ドバイの方にラーメン店を1店出し食べて頂いております。これは向こうのお客様から送って頂いた写真なのですが、それを見て吃驚しました、 あの格好をしてラーメンを食べるのかと、豚を食べられないのではないか、豚は抜いております。美味しく仕上がっております。
 ただ吃驚したのは、皆さん方箸を上手に使って食べているのです。昨年ドバイに行って来ましたが、寿司屋は大変多いですね、ですから日本食の数も多いです。という事で皆さん箸の使い方が上手いものです。 ラーメンもこれから広がって行くと思います。ドバイへの進出は、正式なハラルの認証ではなくて、ドバイ政府の機関に認証されたという事です。エピソードがありまして、味噌と醤油はアルコールが出てくるのですね、 ハラルにも味噌と醤油があります。
 当初出したものが、微妙にアルコ−ルが出ていまして、その時にドバイ政府の認証機関からお客様(店主)が呼ばれまして、微妙にアルコールが出ているので駄目だと言われたのですが、 そのお客様は日本の味噌ラ−メン店をやりたいものですから「日本の味噌・醤油は歴史のある食料であり食べ物なので、製造過程ではアルコールを使っていませんが、製造後に微量のアルコールが出て来るのです」とドバイ政府に話され 「アルコールが出ない菌を殺した味噌・醤油もありますが、ドバイの方は本当に日本のラーメンを食べたいのですか、死んだ味噌・醤油を食べたいのですか、生きた味噌・醤油を食べたいのですか」と聞いたところドバイの役人の方が 「本物を食べたいからいいよ」という形で認可されたのがドバイです。マレーシアハラルはまだ認可されておりません。
 現地法人は手前共100%出資しております。「中小企業の我々がコンサルタントにも相談しないで、100%出資の現地法人を設立したのか」とよく聞かれますが、私共は現地に行って、 現地のラーメン店さんと一緒に組んでやりました。手前共が現地に出ることによって、お客様のメリットが多いとわかると、本当にいろいろと相談に乗り、手伝ってくれます。私も現地に行きまして全ての情報を取りました。 弁護士・公認会計士・司法書士の先生方もご紹介して頂 きました。アメリカ法人の弁護士の先生は、中央大学の出身です。銀行口座等もご紹介して頂きました。今は資材を置いておりません。 全部蔵入れ、蔵出しという事でお客様に委託料を払っております、お客様の事務所の中に机を一個借りてやっております。という事でなかなかこれ雇用という事になりますと、日本より現地の方が難しいようですので、 解雇という事になりますと大変な事になります。
 いろんな保険の手続きとか、手前共のような中小企業なんかはわかりっこないですから、とりあえずスタートをさせて今は勉強中という事です。下の写真はドイツ法人の手続きをしているところです。 右側の写真はドイツ銀行との口座開設という事で、非常にフレンドリーな銀行でした。私が行って全部サインを致しました。
 コンサルタントも通さないという事ですので、行政の皆様方にご支援を頂いております。
 中東の方にもいろいろと行政の皆様にご支援を頂いており、真ん中の写真は経産大臣が手前共に来られてハラルでご出席頂いたときのものです。
 それから石破大臣にも食べて頂きました。欧州の方ですが、現地も日本のおもてなしの産業を誘致しておりますので、実はドイツ本国から助成金を貰いました。申請用紙がドイツ語なのです。 ドイツ語では書けないから、要らないと言っても、ラ−メンの拠点を作って貰ったのだから、うちの公社の実績にしたいからと言うので公社に全部書いて貰いまして、3,000ユ−ロ位ですけれども (400,000〜500,000円)助成金と登記証を頂きました。
 アメリカの方も札幌の総領事に手前共の会社の方に来て頂きまして書類に印を頂きました。今後の事でございますか、ラーメンも寿司と同じように二極化が始まるのかなと思います。 手前共の会社は本物のラーメンを、日本で作った物を海外に持って行って、もし札幌市民の方で手前共のラーメンがお好きな方が、海外で食べられても、やっと美味い物が食べられる、「ナンチャッテラーメン」とは違うな、 さすが西山さんだと、こんな事をするのが、手前共が今やるべき事かなと思い、今海外でやっている事です。今後も皆様のご指導・ご鞭撻を賜りながら中央大学の卒業生として、恥ずかしくない社会人として頑張って参りたいと思います。」

 続いて第3部の懇親会に入りました。
 当支部顧問の(35年昭和・法・和田丈夫法律事務所所長)から「皆さんしばらく振りです。と申しますのは檜森さんにこの支部長職を禅譲致しましてその後他の予定とかち合って、この総会を失礼した事がございますが、 幹事長からご指名を頂いた機会にこうして口達者なところで出て参りました。只今は西山社長さんから本当にもじ通りグローバルですね、地球規模インターナショナルじゃないんですね、 グローバルなラーメン食文化のお話を非常に興味深く伺いました。本当に有難うございました。
 先ず東京からお見えのお客様、それから父母連絡会の方も暑いところお運び頂き有難うございました。西山さんのこれからのますますのご発展を祈念致しますが、これを前提に我が母校、 それから白門会の今後のますますの発展とご出席の皆様方のご健勝をお祈り致しまして、声高々に乾杯を致したいと思います。ご唱和をお願い致します。」



 ご挨拶と乾杯の音頭で宴に入りました。続いてご来賓の林勘市常務理事から「昭和48年法学部卒業でございます。現在キヤンパスの施設担当、国家試験対策、そして学員会の担当をさせて頂いております。
 昨年の6月に新しく深澤理事長の元で新体制がスタートし、11月には総長・学長の酒井正三郎先生に就任頂きました。今年の5月には評議員会の議長に元日弁連会長の山岸憲司先生に就任して頂きまして、 深澤執行部としては2年目を迎えたところでございます。
 この一年間を振り返りますとスーパーグローバル創生支援大学索引型23校の選に漏れまして、大変皆様にご心配をお掛けし致しました。大学の計画が徹底した国際化ではなくて、 中途半端な取り組みの目標数値だったという事で落選致しました。また今年の1月には箱根駅伝でも本選でシード権を取れずに終わりました。大変皆様にがっかりさせました。 青山学院がクロスカントリーコースを造って急激にタイムを伸ばしたという事がありましたので、学員の皆様からのご寄付を頂戴致しまして、 現在本学の陸上競技場の外周コースの一角にクロスカントリーコースを造設して工事に入りました。学員皆様の物心両面に亘るご支援が選手一人一人に伝わって、きっと頑張ってくれるものと期待しております。
また最近本学の志願者が減少してきて非常にブランド力にかげりが出ているのではないかという事でありますが、しかし現在の学生の皆さんは一所懸命頑張っておりまして国家試験、 特に司法試験では本年度択一合格ではありますが9名の差をつけて、早稲田に差をつけて現在1位でおります。
 9月8日には最終合格者数が発表されますが、1位、2位を早稲田と争うというところにきております。また公認会計士試験も昨年は7名の差で早稲田に抜かれて3位におりますがもう一歩で早稲田を抜くところ迄きております。
 特に皆様ご承知の経理研究所が非常に良い教育をしておりまして昨年も大学一年生で公認会計士試験に合格しております。内訳を申し上げますと、一年生で1名、二年生4名、三年生10名、 四年生10名合計でばりばりの現役で22名合格させております。非常に早期合格は経理研究所で鍛えているお陰であります。現役の学生は一所懸命頑張っております。
 最近はマーチの一角に並ばされていまして、マスコミでもマーチから中央がまっさきに零れるのではないのかという所まで揶揄されておりますが、決してそうではなくて非常に質の高い学生が現在も頑張っております。
 そのあたり、でもやはり志願者減の傾向を何とか食い止めて、中央大学のブランド力V字回復を果たすために現在中・長期計画を立て10月末を目途に策定中でありまして、何とか未来の中央大学、 本年は創立130周年に当たっておりますが150周年、20年後には早稲田、慶応と互角に戦っているあるいは、 それらを越えているような中央大学に持っていきたいという事で頑張っておりますので皆様からのご支援を今まで以上に賜りますようお願い申し上げます。」



 続いて大木田守学員会副会長から「先程、檜森支部長がとにかく札幌支部は明るく、仲良く、楽しくとこれが正に学員会の方針でありまして、そういう楽しい会がいいですね。 札幌支部の総会は久野会長が楽しみにしておりまして、今回伺う予定でしたが、7月24日からTTPの交渉でハワイに行っており、8月2日に帰国しましたが仕事が山積しておりどうしても出席が出来ませんので、私が代理で参りました。
 学員会の支部は全国に238支部ありますが、その中で設立が100年以上の支部が21支部あります。札幌支部は1898年8月18日に札幌支部は誕生しております。明治31年全国の支部の中で8番目に出来ております。 今年で札幌支部が誕生して117年ですから、3年後は設立120周年になります盛大にお祝い下さい。
 本学も本年は創立130周年でございます。先程林先生からも大学のご報告ありましたが、私は10月25日ホームカミングデーを今年担当している立場からその内容についてご報告させて頂きます。 卒業後50周年の皆様をご招待しておりますが、北海道から1名参加する事を聞いております。
 ホームカミングデーにおいては、創立130周年の記念の特別企画を立てており、掻い摘んで申し上げますと10月25日(日)午前10時から深澤理事長から今後の本学の中・長期構想についての骨子をお話し頂き、 続いて酒井正三郎総長・学長、久野修慈学員会長の挨拶があります。本年は130周年に当たりますので、来賓の方等、政界、財界、法曹界そして文化、スポーツ、芸術の代表の方も招待する事になっております。
 その時に今年3月に卒業した白門2015年支部のスタートを祝って既存の80支部がのぼりを持って集まります。また式典では本学の130周年に相応しい、「中央大学の未来へ〜私の提言」というテ−マで記念論文を募集し、 賞金の額も130周年に相応しい130万円を最優秀者に渡す等のイベントをいろいろと考えております。ついては本日お集まりの学員各位におかれても是非ご応募して頂きたい、 どんな厳しい提言でも結構でございますのでよろしくお願い致しますます。
 もう1つ「中央大学とオリンピック」というテーマで特別企画を立てております。当日は遠藤利明氏(東京オリンピック・バラリンピック担当大臣・昭和48年・法)にご出席頂くほか木村憲治氏 (日本バレーボール協会会長、ミュンヘン五輪金メダル、昭和43年)の講演「オリンピックと私」、秋山俊行氏(東京都副知事、東京オリンピック・バラリンピック組織委員会副会長、昭和52年・法)の講演 「世界一の東京オリンピックに向けて」、また「アカデミック企画」として山田正氏(理工学部教授、河川・水門研究室)、石川幹子氏(理工学部教授、環境デザイン研究室)両氏による対談「東京が動く〜白門力で東京再生を」、 また「寄席の世界を楽しむ」と題して柳家小団治師匠(昭和42年)、桂やまと師匠(平成11年),春風亭朝也さん(平成14年)、林家つる子さん(平成22年)出演による落語「笑いからはじめよう白門ファミリーの輪」等。
 続いて小畑悟氏(学員会東北・北海道ブロック担当副会長)から「実は2年半前に金井さん(学員会顧問、昭和38年・商)から学員会の副会長をやれと命令されまして、このような立場になっておりますが、 なった以上は母校のために一生懸命努力しそしてまた私共の同窓会・OB会の為に結束を固めて頑張っていきたいと思っております。 また私の爺さんが明治時代に札幌で落盤事故で亡くなっておりますものですからこれも縁かなと思っております。いろいろとお世話になりますがよろしくお願い致します。
 もう一つお願いがあります秋田は何もないところですが、新正というお酒が大変有名です、その荒又酒造会社の女社長は中央大学の出身です。 またそのご主人も本学出身でして、本日はこの銘酒を持って参りましたので皆さんでご賞味頂ければと思います。」



懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み、会員同士が名刺交換をし、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、 久し振りの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。






 今回新たに会員となった学員は総勢16名で壇上に立ち自己紹介を兼ねそれぞれ挨拶を頂きました。
・大高 英男氏(昭和39年・商)
・大山 裕司氏(平成27年・商)SMBC日興證券(株)札幌支店
・倉知 康男氏(平成3年・商) 新日本有限責任監査法人札幌事務所
・黒坂 頌胤氏(平成17年・法) 司法修習生
・小北 和雄氏(昭和48年・商) 札幌商工会議所
・小水 基弘氏(昭和63年・法) (株)コミーズ
・谷口 雅子氏(昭和59年・法) 谷口雅子公認会計士事務所
・戸張 博之氏(平成3年・法)(株)日清製粉グループ本社総務本部
・新見 雅也氏(平成5年・理工) 第一生命保険(株)道央支社
・二階堂 はるか氏(平成24年・経済) 北海道文化放送(株)
・西川 宗助氏(平成27年・法) 北海道建設部住宅局住宅課
・原山 知寿子氏(平成7年・文) 十勝毎日新聞社札幌支社
・半田 武大氏(平成17年・商) カワモト白衣(株)札幌営業所
・宮腰 侑希氏(平成26年・経済)恵庭市保健福祉部福祉課
・村木 一行氏(昭和55年・法) 北海道保健福祉部
・村田 康広氏(平成7年・法) (株)アークス総務部グループ

 会の最後は恒例となっている校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入り、全員が輪になり肩を組み合ってそれぞれ3番までフルコーラスで熱唱し、誰もが過ぎし学生時代へ思いを馳せている様子でした。






 結びは柴田副支部長が壇上に立ち「今日は本当に大勢の皆さんにご参加頂きまして先ずは有難うございました。何時も締めを仰せつかっているのですが、この校歌、応援歌から本当に30年前私でいうと38年前位になりますが、 ワープして青春時代を思い出すというか、血が騒ぐというか、皆さんもそうだったのではないかなあと思います。
 恐らく50年前、60年前を思い出している諸先輩もいらっしゃると思いますけれども、有難うございました。いや本当に元気で何よりだと思います。 最近札幌支部は檜森支部長に代わられて参加者の世代が代わってきたのか、今日参加されている方も見ましたら非常に若い方が増えているような気がします。
 私のポジションはどちらかというと、偉大なる先輩から私が次世代に繋ぎ役の世代かなと思っております。若い世代の人は是非頑張って頂いて、この偉大なる先輩の功績を継いで行くという事ですね。 先程お話しがありました通り当支部も3年後には創立130年を迎えます。
 恐らく我々の世代でいうと、もう二つ位上の世代の歴史があるという事ですので、本当に繰り返しになりますけれども、是非偉大なる先輩の後を引き継いでいく次代の皆さんに頑張って頂きたいと思っております。
 まあしばらくは檜森支部長が老骨に鞭を打って頑張ると言っておりますので一つ応援をして欲しいなあと思っております。恐らく白門、中大というのは気質からいうと質実剛健だと思います、男らしさという事ですね。
 では最後は一本締めで気合いを揃えて行きたいと思いますのでよろしくお願いします。」



 懇親会は和やかに終了し、散会となりました。尚総会へ札幌市役所白門会より飲み物の寄贈がありました。

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平成27年7月23日
学術講演会の開催

 本学主催、学員会札幌支部・父母連絡会札幌支部共催、札幌市教育委員会・札幌商工会議所・(協)中小企業振興センタ−後援による学術講演会が 北海道経済センタ−8階Aホ−ルにおいて午後2時から開催されました。



 講師に佐々木信夫氏(学校法人中央大学経済学部教授)を迎え「人口減少時代の地方創生−もう1つの視点−」と題した講演に札幌市民、商工業者,学員、父母連絡会会員、 音更町・当別町・石狩市・北広島市等地方自治体の職員も参加され100名近くが熱心に聴講されました。


 講演に先立ち舟橋健市学員会札幌支部副会長の開会の続き講演に入りました。


「ご紹介を頂きました佐々木信夫でございます。
 北海道は久しぶりでございまして、3年くらい前に全市町村長179名の方々とご一緒に、どこかの大きいホールで講演会をしたことがございますが、 高橋はるみ知事もその時お見えでございました。
「北海道制と言う道制は無くなったのではないでしょうか?」
 知事さんを驚かしておきまして、本人は大変慌てておりました。
 言っている意味が全く分からないかもしれませんが、都道府県という制度の道と言うのはいったい何でしょうかと?
 北海道の場合は北海都とか北海県とか北海府と言う歴史がございませんので、それは函館県とか根室県という時代はありましたけれども、北海道と違って地名で定着をしている、 ただ日本で都道府県と呼んでいる意味では道は一つしかございませんけど。
 それと今日、最後に若干、地方創生の関連で申し上げると、今政府が進めている地方創生は、一つの伝統的な自由民主党型の地方創生のやり方、 25年前の竹下内閣の「ふるさと創生1億円」、遥かに今やっているよりもあの方が優れていたかなと思いますが、自ら考え自ら行う事業で市町村の規模に関係なく、 1億円ずつ資金を配って考えて頂くと、まあこういうことが25年前に行われ、小渕政権、小渕内閣においてはそれらしいことがまた、 「プレミア振興券」という形で今発売が始まっておりますが、「地域振興券」というものが、15年前に小渕政権で行われた。
 半年間で年配の方、子供達は2万円、そうでない方は1万円という範囲で、地域でお金を使うようにと、こういうことが行われて。
 6年前からは「ふるさと納税」、これ北海道は大変熱心でして、私も総務省の研究機関でもありますが、地方自治研究機構というところで、 昨年は、「ふるさと納税」というものは日本でどれだけ行われ、何処にお金がどう動いているかっていう研究会を1年間やりまして、概ね145億円程度であります。
 個別のところは、1億円確保したとか、経費が3分の1かかったとか色々個別の数字はございますが、日本で「ふるさと納税」で、 この6年間で平均をしますと145億円程度のお金が動いています。
程度のお金が、と言うと何かたいしたことの無い話をしているように聞こえるかもしれませんが、たいしたことがあるのか、たいしたことがないのか、 少なくとも地方創生という一つの戦略の中で語られるほどの事では実はない、という風に申し上げざるをえないのですが、この「ふるさと納税」の制度が今度、 更に2倍に拡大をすると言うことが、現在の安倍政権で始まったと、ふるさと納税は住民税の2割までは「ふるさと」と思えるところか、 或いは「好きなところ」に納税出来る。
 概ねこれで300億円くらいのお金は動くと、概ね大都市圏から、北海道、沖縄を含めて地方都市圏に金が動いていくという意味では、 自主的な一つの納税行為でありますので、それはそれで一つの面白い仕掛けでありますが、こういう伝統的ないわゆる「ふるさと創生地域振興券」、 「ふるさと納税」、さらに「プレミアム振興券」、「優待券」のようなもの、こういうもので日本の本当に地方創生と言うことが、 特に人口減少という日本の20世紀以前には経験したことのない動きが始まっておりますので、その程度の話で良いのかどうかと言うことを、 もう一つの視点と言うところで申し上げて実はみたいと思います。
 それで、じつは唐突に北海道というものは無くなったのですか?と言う話を申し上げて、それを解説しないと物事は始まらないと思いますので申し上げますと、 北海道という制度は戦後出来たある意味行政制度でありまして、北海道内の14の支庁、支庁というのは首長ではなくて、 支庁制度まあ北海道庁のある意味ブロック出先機関の様な形で、支庁制度を置いている制度を道という制度でまあ呼んでいる。
 少しホットな話題で申し上げると、大阪が都になろうとした。
 住民が止めたと言うのが、5月17日の住民投票でございましたが、橋下徹氏らとこの3年間私も一緒に、一所懸命大阪に迎えられました、 住民の方々にもタウンミーティングと称する500人規模の説明会を街頭も含めて何度もやりました。
 関西のテレビでもラジオでも色々お話を申し上げました。
 この顛末はこれからちょっと話題として申し上げるとして、都と言うのは、北海道が道は北海道しかないのと同じように、東京都しかしかないわけでありますね、 あと京都府と大阪府という2府があるわけで、それ以外は43県であります。
 これって何でしょうか?と言うことを少しだけ考えてみたい訳ですが、都というものについては、いわゆる普通の府県で有りますが、 府県の仕事に市町村が行っている広域の行政を府県に移して、水道、下水道、交通或いは港湾という、まずはこういう話でありますが、 でそれを移してある意味府県が広域政策の中心である、普通の県でそれは当たり前の話でありますが、 大都市を抱えたところで実は東京都はそれを広域行政として県に当たる区がやっている。
 ただそれだけではありませんで、今度は内部の昭和18年まで東京市であったところでありますが、東京市を東京都と合体して実は特別な自治体を作っている、 特別区と呼んでいますのが、23の特別区になっている。
 実は戦前は特別区ではありませんが、東京は35区、もっと古くは明治22年から日本の市制町村制が始まり、明治23年から府県制度も始まりますが、 東京は、内部は15と言う札幌で言いますと行政区に近いものがあった。
 それを昭和4年に杉並、世田谷等当時の郡部で有りますが、5郡62町村、東京のコアになる小さい東京市の15区時代から昭和4年に拡大をして、 世界と戦える東京を作るのだと言って人口を広げてですね、それで20区に実は62町村を20区にして旧15区と合わせまして東京は一旦35区になっております。 それが昭和4年から昭和22年戦後まで続いた体制でありましたけれども、それを昭和22年にほぼ半分に、例えば大森区と蒲田区を一緒にして大田区とかですね、 あまりセンスの良い付け方ではないと思うのですが、大体二つの区を一緒にして公選の市長が居る、公選の議会を持つ限りなく市に近い、 しかし市とは違う特別区という制度を取っていると。
 実はこの特別区という制度を県の中に置いているところを都と呼ぶと、これは昭和22年以降ずっと東京しか有りませんで、全く想定をしていなかったわけですが、 3年前に実は日本で、札幌も実は北海道が区になろうとすれば出来るんですが、その可能な制度を国会は議員立法で大都市地域特別設置法という法律を3年前に議員立法で可決をして、 それを受けて実は大阪府は大阪都になろうとしたと言うことであります。
 逆に申し上げますと、大阪都を作るために実は国会で大都市地域特別設置法を議員立法で可決をしたと言うのが正確な言い方でありますが、 ただそれは大阪のためだけの法律を国会が作るというわけにも行きませんので、実は日本で8地域、札幌とか仙台とか広島とか概ね単独でも良いのですが、 今単独で200万以上の市というのは、横浜と名古屋と大阪だけでありまして、ただ法律は200万以上になるように隣接の区域と合併をした場合はその区域に特別区を設置できると、 ただそれは市の中に特別区を作るわけではなくて、市を廃止して市に変わって特別区を作ると。
 こういう制度が他でも使えるようにしたと、これはいったい何を意味するのかと、大阪の特殊事情も有りますけれども、880万という大阪府の中に270万の大阪市という中心部に今伝統的に明治22年から 横浜、名古屋、京都、大阪、神戸そして東京と6大市が存在してきたのも日本ですけれども、そのまあ東京市は昭和18年に東京府と合体をして消えておりますが、 70年遅れて大阪市を廃止して5つの特別区と、それから880万全体を大阪府に変えて大阪都にしようと、そのことによって衰退著しい関西の経済の再生を図ろうと、 そのコアになる特に大阪の活性化を図ろうと言う戦略の基に行政の仕組みを変えようとしたのが大阪都構想でありまして、 98%まで到達したところで法律に書いてある通り住民投票によって最終的に結論を出すと。
 これは多分順調に行けば、順調かどうかは分かりませんけれども、憲法改正に関わる国民投票というものは、少なくとも安倍政権は想定をしておりますね、 まあそれの一つの地域版としての実験でもあったと、いう風に見ている人達は居るわけで、最終的に69万票対70万票、 答えが反対であれば大阪都構想が実現したわけでありますが、70万票が反対票で69万票が賛成票であった。
 たった1万票ではありますけれども、それによって5年間積み上げてきた大阪都構想、大阪市を廃止して特別区にし、更に大阪府を大阪都に変える、 従って日本は東京都と大阪とが並び称する形で2局構造を作っていこうと言うことはストップした、終わったとは申し上げませんがストップした。
 今年もまもなくでありますが11月の22日に大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙が想定されています、決まっています。
 ここが大阪の乱の最後の戦いの場になるでしょう、多分。
 橋下さんはもう出ないと言っていますので、来月8月6日に個人的に大阪にお伺いをして、夕食をともにすることなになっていますが、 これからいったいどういう風におやりになるのか聞きますけど、今のところ本人は政界からは引退をする。
 多分嘘だろうと思いますが、そういう気分で有ったと、5月17日テレビでご覧になった方はまさに名記者会見であったと見たかもしれませんが、 「こういう形で政治家を辞めるのは政治家冥利に尽きる」と意味不明な事を言ったと思いますが、多分ものすごく疲れたはずなのですね。 顔には出ていませんでしたけれども、私は特別顧問を3年間ですけれども、5年間の彼らの設計の動きを見ますと、特に大阪市議会、 大阪府議会これがなかなか過半数を支持する勢力を持っていないものですから、水道、下水道、交通、府立大学、市立大学統合、さらに大阪市の港湾局、府の港湾局、 こういうものの合体を条令案として5度提案していますけど全部否決でありますね。
 それを認めますと、一気に今度はこの都構想の骨格である特別区制度、大阪市廃止に一気に政治勢力が流れていくと言うことから、 どうも地元の議会はそれを止めるという政治闘争しか実はやっていなかった。
 お話はちょっとずれたかもしれませんが、その話はその話でたくさんございますけれども、少なくとも都という制度は内部に特別区という独特の制度を持っている、 これは公選の区長公選の議会はあるけれども、たとえば札幌市はちょっと大きいので、これは政令指定都市で特殊でありますが、普通の北海道の場合35市が有りますが、 札幌を除く34市、或いは中核市になっている函館市を除いても、33市ございますけれども、一般の市よりも若干特殊性があるとしますと、広域的な行政については、 もちろんそれは都がやっているわけですが、固定資産税、今市町村の財源というのはごく単純化して居るわけです。
 民間でお仕事をなさっている方が半数以上今日お見えですので申し上げますと、単純に二つしかないですね財源というのは、市民の方々が納めてくれる住民税、 もう一つは資産に課税をしている固定資産税この二つしかない。
 それでは都道府県の場合は実は単純に言えば3つしかない、大きく言えば2つなんですが、いわゆる県民税、ここで言いますと道民税、 みなさんの個人の所得に課税をしている道民税、県のレベルの住民税ともう一つは、法人事業税、法人住民税という法人2税、 つまり法人の方々の所得に課税をしている利益に課税をしている、この2つしか都道府県の場合に財源はない。
 国の場合はご承知の通りですね、基幹5税といったら所得税、法人税、消費税、さらに酒税、たばこ税、これから多分金がなくなってきていますので、 消費税の値上げも10%の先も色々シナリオはありますけれども、そう簡単に選挙を通じて国民は認めるとは思いませんので、多分一番これから上がっていくのは相続税、 相続税は国税になっている訳であります。
 相続税を毎年納めるという方はおられないわけでありますが、しかし全体で言いますと、相続税も主要基幹5税に加えて基幹6税になってしまう可能性がある、 ですから相続税対策は早めにおやりになった方が良い。
 面白い話があるんですよ、マイナンバー制度っていうのが始まりますね、あれは何のためにやっているか?いろいろ行政上は便利になるとか言っていますが、 単純に言えば、「十五三一(とうごうさんぴん)」と言われた、いわゆる一般のサラリーマンの方は10割所得を捕捉されていますが、パチンコ、病院、更に農業、 10割捕捉されているところもあれば、5割しか所得が捕捉されていないところもあれば、3割しか所得が実際は捕捉されていないところもあれば、 1割しか捕捉されていないところもある。
 これを限りなく10割捕捉しようと、それによってある意味法律に基づけばそれは当たり前なのですが、課税を強化しようと言う、 こういう狙いが大きい背後にございます。
 それは別に税の公平な負担と言う意味では今一番サラリーマンの方が、1940年の戦時体制に始まった、日本の典型的な中央集権大成の一つは、 皆さん当たり前のように思っておられますが、源泉徴収制度、これは戦費を確実に確保するために、 会社のレベルで働いている会社の給与係に税務署の仕事を実はお願いして、給与を払った段階で税金を計算して税務署に納めて頂くという、 世界に冠たる源泉徴収制度が出来たわけでありますね。
 それ以来ずっとサラリーマンの方々は10割ほぼ捕捉されているわけですが、実際に確定申告なり、青色申告なりをする事業主の方は必ずしもそうなっていないわけで、 仕事によっては色々、業種によっては色々と、これを相当程度正確に把握していくと言う、それだけの目的ではもちろんありませんけれども、 マイナンバー制度が始まりますね。
 税対策について面白い話をしている人が居ましてですね、今日税務署の方が居ないでしょうからあえて申し上げると、 新聞・テレビも居ないとして、申し上げるとですね。
 一千万円ずつ札束を、皆さんお金持ちですからいくらでもあると思いますが、真空パックにして頂いて、銀行でもやってくれるのだそうです。
 真空パックに入れて仮に5千万なら、5つの束を真空パックでお持ち帰りになって、それでタンス貯金でもなく、 もちろん銀行預金にしますと全部それは把握されますので、庭に埋めると、なんだそうです。
 やっていますよ、やっていますよと言ってもこれが一般に広まっていきますと、多分それを狙ってくる。
 昔聞きますと、密造、お酒ですよね、お酒は非常に貴重であった頃、お酒は個人で造ってはもちろん今でもいけませんけれども、 酒樽は竹藪の中に密造したものを埋めておくと、言うことをやった時代があったようですね。
 税務署が調べに来るので、掘っても分からないのは竹藪だと、というのは根が非常に良く張っていますので、そう簡単に見つからないと、 ここほれワンワンみたいな話ですが、なかなかこれからですね、この税なり個人の資産に対する課税の問題というのが、厳しい状況になっていきそうであります。
 何のお話からずれたかと言えば、実は国税の主要5税プラス相続税、都道府県の場合は、いわゆる道民税と法人の事業税と法人住民税、とりわけ法人事業税、 市町村の場合は市民税と固定資産税、特別区制度から話がずれていきますので、特別区制度とは東京23区で使っていますけれども、 この固定資産税をここで言いますと府県の財源にするわけであります。
 府県が全部使うわけではなくて、いわゆる水道、下水道、消防等広域行政と言われる部分を都がやっていますので、 45%を都がその財源として固定資産税の中から頂いて、55%を23区に還元すると、ただ還元するだけではなくて、この貧乏な区と豊かな区と言うのが、 それは札幌の中でも行政区ですけれどもあると思うのですね。
 貧乏なところに手厚く、豊かなところにはお金が行かないようにして、いわゆる例えば東京ですと850万の旧東京市区域に住んで居る人達は、 負担は色々だけども経済力は地域によって違うけれども、受けられるサービスは同じであることが望ましい。
 従ってサービスは統一か共通に受けられる様に財源調整するという度に、特財源調整制度と言っておりますけれどもその制度として55%使っていると、 大阪もこれをやろうとしたのですね。
 もう一つ府と言う制度はなんでしょうか。
 明治23年に日本の47府県制度が始まった時府は3つ何ですね、東京府と京都府と大阪府であります。
 昭和18年に東京府と東京市が合体して東京府はなくなって東京都になったと。
 ただ府と県は何の違いも無いです。
 ただなぜ明治23年に府と呼んだかと言うと、政治的に重要な都市を抱えているところは府と呼ぶと、ですから東京市と,京都市と大阪市、 当時で言いますとこれは都政治的に重要な都市であるとの認識を基に3府44県大成が始まり、戦後北海道は道になり、1道1都2府43県制度になった。
 冒頭に北海道は無くなりましたねと申し上げたものはですね、実は数年前に道庁の方が居られればご存知でしょうけれども、14の支庁、 支庁といういわゆる道庁の総合出先機関について、地域振興局という風に名前を変えているのですね。
 これは高橋はるみさんにパーティーの席で申し上げたら、「私は法律違反をしたかしら?」と言ったのです、「その通りですよ」と言ったのです、 「それは大変な事をしたのではないですか?」言ったのです、半分冗談ですけれども。
 しかしそれはやっぱり北海道道庁の職員も優秀な方が居られる訳でありまして、いわゆる北海道の条令で、支庁を地域振興局に変える、 従って読み替えるだけの話でありまして、事実上支庁という制度は形の上では残っているのですね。
 そうでなければ北海県と言わないと多分辻褄が合わなくなっているはずでありますが、そうでないです。
 そこで話を進めます。
 せっかく皆様の手元にレジメを用意しましたので、実は第31次地方制度調査会これはまあ行政関係者しか重要な機関だと思って頂けないかもしれませんが、 2年単位で総理の諮問機関ですけれども、地方制度を変える時に30名の大きい調査会でありますけれどもそこで一旦、諮問に対して答申を作って、 通常国会で中央次地方を改正すると、こういうことを繰り返してきているわけであります。
 たとえば平成の大合併については、北海道179市町村はほとんど変化しなかったですね。
 それは、北海道は面積も広いし北海道の判断でそうなさったのでしょう。
 ただあの種の例えば平成の大合併を進める、そこに財政支援を付ける、或いは合併した当初は議員の任期は延長できる、 まあこの種のいわゆる制度設計は基本的にその地方制度調査会の中で議論した上でそれで法改正をするというこれを繰り返して来ている訳であります。
 今回テーマになっているのは、「人口減少時代の地方行政体制のあり方」なんです。これは大きいテーマですよ。
 日本の人口というのはご承知の通り、レジメの途中から出て参りますけれども、短期的な人口予測は、 短期的というか最近の昨年5月以来話題になっている人口予測は3つ位有るのですよね、 一つは増田リストと言われる増田寛也さん達が日本創成会議という一応民間の団体でありますが、装いは民間の団体でありますが、 それを受けて政府は色々な対策を考えると言う意味では、上手く使っている感じがしますけれども、この2040年には日本の1718市町村、 正しプラス一部政令市の人口が減る区が入っていますけれども、1800弱の市区町村の半数が消滅可能性のある自治体であると、これを増田リストと言ったわけですね。
 2040年というのは25年後ですから、25年後に日本の市町村の半分が消えると読んだ方が居るわけで、消滅可能性都市と言うのは正確に言うと、 その2040年に現在よりも人口が半分以下になるところ、もちろん0になるところもあるのですよ、予測としては、0になるところは、 予測の中では1万人よりも人口が少ないところの減り方が大変大きいので、0になるところも無いわけではありませんけれども、 実際は半数以下になるところが消滅可能性都市、それが日本の市町村全体の半分を占める、とりわけ1万人未満の人口規模の小さいところほど減り方が大きいと、 こういう予測が出たのが一つございますね。
 それ以外に国土交通省、総務省等々から、そこまでは過激ではないけども予測が出ている。
 概ね人口は8千万人位になるであろうと、2100年85年後8000万人位になるだろうと、政府としては1億人で止めると。
 今日は政治家の方が居られたかどうかですね、私も政治学をやっている一人でありますが、政治家の本能というものを見ますと、 闘争心、権力欲があるとか色々と属性としては上げることが出来ますけれども、一つは人口が減ることについては、 非常に拒否的な反応をするという性質を持った動物であります。敢えて申し上げれば。
 政治的動物の特徴として、そこで日本でどういう現象が起こるかと言えば、人口減少が始まったのが2008年なのですよ、何も去年から騒ぐ必要は無い、 2008年から始まっている。
 なぜ去年から騒ぎはじめたかと言うことを敢えて申し上げれば、これは先般参議院の国の統治機構に関する調査会に参考人として呼ばれて、 兵庫県の知事と私2人呼ばれまして、参議院の30名の議員の方々と3時間議論をする時間がございました。
 来週の水曜日は民主党に呼ばれておりましてですね、民主党はここの出身の逢坂さんとかいう方々がやっているようですけれども、 それは最近の地方自治法改正すべきものは何か?と言うことを話せっていうことのようなのですが、その統治機構に関する調査会で議論になって、ここだけの話ですが、 と言って多分議事録から外れた部分で、何でこの急に人口減少を問題にするようになったのですか?と、 もう一つ地方創生、地方創生と安部さんが言っていますけれども地方創生というのは、日本は昔からやっているわけで、それは地方再生と言ったかも知らんし、 地域再生と言ったかも知らんし、ふるさと創成と言ったかも知らんけれども、それは言葉の一つのマジックであってですね、 何とかこの東京一極集中とか3大都市圏に過収集すること、あるいは北海道で言えば札幌一極集中状況にならないように、 なるべく人口が分散するようにと言うことをずうっと田中列島改造の頃からやってきたでしょう?
 それをあえてなぜ地方創生とおっしゃるんですか?と聞いたのです。
 そしたら「安部のミクスの一環だ」と、こういう答えが自民党の議員さんから、相当ポストの高い大臣を年々も経験した方がそうおっしゃったのですね。
 そして何ですかと言ったら大胆な金融緩和、今やっていますよね、 公定歩合政策はとれませんので0金利で日銀は民間にお金を貸しても0金利で貸すしかない状況でこれは利かない、そこで今何をやっていると言えば、 年間80兆から100兆円、日銀がまあ多分日銀の育ちの人から見れば禁じ手をやっている訳で、国債を買っている訳でありますね。
 皆さん個人で国債をお持ちの方も居るでしょうけれども、多くは実は日本は銀行が国債を買っている訳です。
 皆さんが三菱UFJ何とか銀行に預けたお金が、個人で国債を買わなくても北海道の三菱UFJが政府の発行している国債を買っている。
 これを実は日銀が買い始めて、日銀が買うって事は通貨を発行するところが買っていますので、この80兆から100兆円の規模でお札が余計に出回っているわけですね。
 でありますので狙いは物価を2%程度上げて、それが上手く回り回って企業の収益にも繋がって、もっと言えば回り回って賃金の値上げにも繋がって、 それで企業が元気になって人々の生活が豊かになっていけば良いってのが、安部さんの描いている安部のミクスでありますすね。
 金融ともう一つは財政出動、もうこれは何度も繰り返してきた、日本の場合ですね。ちなみに、後で申し上げますが、1991年の日本のバブル経済が崩壊して以後、 バブル経済って言うのは1985年から91年ですから、91年の日本の国債発行残高は300兆円なのです。
 300兆円、で当時もGDP500兆円経済ですから、皆さんの資料には95年からのデータを載っけてございますが、ほとんど日本の経済はここ20年間、 15年間データは掲げておりましたけれども、500兆円経済はそのままなんですけれども、 世界の中でどういう風に相対的地位が下がってきたかをご覧頂くためのデータですけれども、そこに出てこないものとして、国債発行残高は300兆円しかない。
 つまり記憶にあるでしょうけれども例えば国鉄、北海道の国鉄がJR北海道になった、いわゆる国鉄の解体、それから少し遅れましたけれども、電電公社の解体、 NTTですね、更にたばこ専売、塩専売、アルコール専売、いわゆる3公社を民営化した。
 それが昭和56年から58年まで続いた、あの目刺しを食べながらと言った、土光敏夫さんを中心とする土光臨調という第2次臨時行政調査会の答申に基づいて、 増税無き財政再建をやるという目標の下に、まず3公社の民営化を図った、もう一つは強い地方行政改革をやった。
 その後実はバブル経済を起こして、内需を拡大すると言うことを中曽根政権がやるわけですが、今よりももっと大胆ですよ、ですから泡の経済を起こすために、 そういう狙いであったわけではもちろんないんですけれども、1985年、1990年がバブル経済のピークだとして、その頃何が言われたかと言えばですね、 ものすごく日本列島全体の地価が値上がりをするわけですが、日本列島の総地価でアメリカ大陸が買えると、長谷川徳之輔とかまだ生きておられると思いますが、 よくぞ言ったと思いますけれども建設経済研究所専務理事、その後明海大学不動産学部長、ぴったりの学部を作ったと思うのですが、 そのそういういわゆる土地の値段がものすごく急騰して、大都市から上がり政令指定都市に波及をし、更に県庁所在地の土地の値段が上がり、 最後、夕張もそれで被害を受けていますけれども、リゾート、リゾート法を定めてリゾート地域に投資をすると言う風にお金が動いていくわけですね。
 その投資先を失って6年で日本のバブル経済は崩壊をしているわけです。
 しかしその91年崩壊をした91年段階で日本の国債発行残高、累積債務残高は300兆円になります。
 500兆円経済の中で300兆円の借金、これはヨーロッパに行きますと健全な財政の国と、ヨーロッパのEUに加盟出来る条件を定めた、 マーストリヒト条約に書いてある、健全な財政の国しかEUに入れない、まあ入った後おかしくなる国はありますよ、イタリアであり今回はギリシャですよね。
 そういうところはあるとして、ドイツでもフランスでもイギリスでもご覧になると、ほぼ60前後で推移していると、 アメリカでもEUに入っていませんけれども健全な財政の国は、その国のGDP国民が働いている総生産の6割程度の借金残高を持っていれば返せると、 こういう判断で健全な国。
 この健全な財政の国の状態は実は1991年、バブル経済崩壊後の日本では出来上がっているのです。
 そういう意味では増税無き財政再建をやるという、土光敏夫氏でもこの一つの強い行政改革は成功しているのですね。
 ところがその後、日本の経済はずっと500兆円ですよ、大きくはなっていないんですが、借金だけは、来年は景気が良くなる、来年は景気が良くなる、 来年は景気が良くなると言って、この20年間その金融は金融として別ですが、財政出動はずっと続けて参りましたね。
 それがしかも当たり前のような形になった、例えば今年の予算、少し景気が良いのでと言っていますけれどもですね、ここ3年位を平均してみますと、95兆円という国の歳入の規模、歳出も同じでありますが、 歳入の規模の50兆円から55兆円は借金でしょう。
 そこからさかのぼる3年半の民主党政権の時は更に、税金よりも借金の報が多いと強く言われた戦後のいわゆる復興期にも当たるような状況であると、管政権の頃言われた訳ですけれども、 そうでなくても現在を見てもですね、96兆円ですがざっくり95兆円税収が52〜3兆円ですね、で霞ヶ関埋蔵金及び使用料、手数料含めて5兆円で58兆円、96兆円のうちの残る48兆円が借金でしょう、借金。
 これもかつてのように道路とか橋とかいわゆる社会資本の整備、公共施設とかそういうものを整備するために建設国債を大量に発行すると、これはまあ20年30年40年掛けて、 次の世代の方々まで負担をして頂くという意味では、まあ住宅ローンを組むようなものでありますので、これは法律上認められ、大量の建設国債を発行した時期はあります。
 現在それは6兆円くらいです、残る40兆円くらいは赤字国債でありますね、つまり40兆円常に足りないわけです。
 それが当たり前の予算編成になって、ついに1000兆円を累積債務残高が超えたと。
 この20年間で日本は300兆円から1000兆円まで債務残高がふくれあがった、これ実はは国の話をしているだけで、更に地方債の発行残高が200兆円有りますので、併せて1200兆円。
 そうするとヨーロッパの健全な財政の国の物差しから言いますと、500分の1200ですから60%どころの話ではなくて、240%、夕張は大変厳しい状況ですね、それは再建にがんばっておられますが、 日本の政府の状況というのは政府に物差しがないだけに何もおっしゃいませんけれども、夕張よりもよりもっと厳しい状況でありますよ。
 そこでですね、財政出動をあたかもお金があるように、いろんな使い方をしていますが、40兆円は赤字国債、これを少なくとも0にするようなことをやらないと実際はダメでありますが、 それでも既に1000兆円、背後に累積債務が有るわけで、単年度の収支を併せてみても1000兆円は誰が返すんでしょうかと、でそういう中で、 実は安部のミクスの3本の矢というのは成長戦略と言っているわけであります。
 大胆な金融緩和と金融政策と大胆な財政出動としてその間に願わくば成長戦略、実は地方創生というのは、この安部のミクスの効果が地方に及んでいない、地方とは何処を指すかですね、 色々な指し方はありますけれども、たとえば東京、名古屋、大阪、三大都市圏を除いたところを敢えてそういう呼び方をまずここでするとすればですね、 その地域に及んでいない北海道にも安部のミクスの効果は及んでいないと、そういう強い批判があると、そこで地方創生でですね地域は今一所懸命がんばっています、やがてこれがその成長の芽を生み、 いわゆる日本の再生に繋がっていくんだと言う、この成長戦略の一環として地方創生が位置づけられているんですね。
 これはやっぱり経済の再生のための地方創生と、これは必ずしも、例えば今人口減少で問題になっている、どうすれば人口はこの国で減ることを食い止めることが出来、人口が増えるのでしょうかと、 そういう話とは必ずしも結びつかないんですね、経済、経済と言って経済が豊かになれば、国民の生活が豊かになるとずうっと経済大国日本を目指してやってきたこの国が、 経済は確かにアメリカに次ぐ世界第2位の経済の規模になったのは、皆さんのレジメの2枚目にあると思いますが、1995年の段階をご覧になれば、もっと早いですよ、 昭和43年にドイツを抜いて世界第2位の経済大国日本が誕生していますが、500兆円経済の規模になった時期で見ますと、不都合な真実と書いてありますが、 これは経済界でお仕事をなさっている方は常識かもしれませんが、正確なデータをとれるとこだけ掲げておきましたけれども、1995年から2010年、5年前迄です。
 ただこの5年間がそれほど別に経済が成長してないですよ、間違ったアナウンスが行われているのは、景気変動と経済成長を混同した発表の仕方があまりにも目に余るんですね。
 対前年度何%伸びています、それじゃ5年間遡るとどうですかっていう話はしないのが今の状況ですので、15年間をとってありますが世界経済全体は1995年から倍に拡大しております。
 世界のGDPは合計しますと2倍に拡大しております。アメリカも実はアメリカ経済というのは95年段階から世界の4分の一はアメリカ経済だと、 現在でも1%減った数字になっていますけれども世界の4分の一はアメリカ経済、つまり15年間でアメリカ経済は2倍になっている。
 それで、中国は3%しか世界に占める経済規模がなかったものが現在では10%だ。
 8倍、15年間で8倍経済規模が拡大した、ただ国民が日本の10倍以上ですから一人あたりの国民所得から見ますと、日本より豊かになったという話は全くないのですが、ただ国家としてみますと、 大変経済成長著しい国になりますね。
 こういう時代が日本の昭和40年代の高度成長期にもあった、ロシアは1%しかなかった国が3%、韓国は2%の2%ですから、2倍の成長を維持してきたと、ところが日本というものはそれだけ、 900兆円もの国債、地方債も含めて借金をつぎ込んで内需を支えたけれども、公共事業等で支えたけれども、実は500兆経済のまま成長は1倍ですので世界に占めるウェイトは18%から9%に下がった。
 しかも経済大国は軍事大国になるという法則を、その通り歩みだしているのが中国ロシアでありまして、日本はそうならないようにと言って、たぶん戦後憲法で歯止めをかけた、 しかしこれを外すかもしれない、それは周辺が変わったのでそれに合わせる形でないと日本を守れない、「戸締り論」という言い方を安部さんは最近盛んに国会で述べていますが、 まあ憲法改正まで行くかどうかはわからないのですが、憲法9条の改正まで、狙いに安保法制をとりあえず法制改正をやろうということでしょうけれども、60日ルールから言うと、 たぶん今の国会の状況からいうと、参議院がどんなに抵抗しようが60日、否決しようがしまいが、たぶん9月20までの延長通常国会の中では、衆議院3分の2の多数で再議決をして、 安保法制11本の法律は可決をすると。
 従って今後どういう状況になって行くかを見なければいけませんが、日本の経済状況はこういう状況であります。
 確かにそれは、経済成長のための地方創生は必要だろうと思いますが、ただこれから申し上げるのは、地方創生、地方創生と言う伝統的な、いわゆる「ふるさと創生一億円」でも、「地域振興券」でも、 「ふるさと納税」でも、「プレミアム振興券」でも結構でありますが、果たしてどれほどの効果があるのでしょうか?
 実際この人口減少で統一地方選は統一地方選で色々問題課題はありましたけれども、無競争当選が多くなりまして、3割近い実は日本には今、都道府県の議員さんが2660名居られます、 で35000名の市区町村の基礎自治体の議員さんが居られます。
 ざっくり申し上げますと2割くらいの方々が選挙の洗礼を受けないで、いわゆる無競争当選という制度は、選挙制度として例外として存在はしますけれども、5人に一人が無競争当選であるという、 仮面を付けた代表者と私は申し上げていますけれども、0票議員、0票議会、つまり1票も投票していない訳ですね。
 何が問題かとい言えばですね、話が行ったり来たりして申し訳ないのですが、選挙のことだけ申し上げておくと、投票箱、投票箱とはただの箱ではありますが、 あれは一つのその代表を選ぶ儀式の箱でありますね。
 何の変哲もない箱でありますが、みなさんが一般の市民の声として、紙に書いて代表はこの人が良いと言って入れますよね、これを民(ミン)の声、民(タミ)の声と言う風に表現している人が居ます。
 それを投票箱に入れる、何の変哲もないマジックボックスが、突然投票箱を空けまして開票をしますと、天の声になると言っている訳であります。
 例えば40名立候補されて25名が当選者だと、この25名が当選者だと決まった瞬間にその方は公共の意志決定をして良いと、資格を手に入れるわけでありますね。
 皆さんの投票を受けて初めて、マジックボックスをくぐってそういう資格を得るわけです。
 その儀式がないわけですね、無競争当選というのは、そうしますと2つの不幸な事態が起こるわけで、この中には居られないと思いますので申し上げますと、当選した人、 当選と言われてもそれはせっかく立候補したのだから当選をみんな目指してやっているわけでありますので、大した選挙もなくて良かったと思って居るかもしれませんが、 自分の足場には1票も無いわけですよね。
 何票を代表し誰を代表して議会で発言しているかという根拠がないわけであります。
 もう一つ、バッジを付けて歩いておられますが、私たちはあの方を当選者として当選させた覚えは無い、と来るわけであります。
 そうすると、有権者から見ても代表ではない、仮面を付けた代表者と言われても本当の意味で代表という一つの民主主義の儀式は得ていない、従って正式な免許証は貰っていない。
 これをテレビで、BS11と言うテレビが割と深堀で良くやっていますので、2回やりまして、ちょっと調子に乗ったわけではないのですが、無免許運転の状態ではないでしょうか?と言ったのです。
 そしたら私を名指ししたわけではないのですけども、「先ほど番組の中で不適切な発言がございました」とアナウンサーが謝っていましたけれどもですね、それを指したかどうか知らないですよ。
 まあしかし多分、無競争当選をした人からクレームが来たのかもしれませんね。
 我々は何で無免許運転だというかと、あれはけしからん!と言った可能性はありますけれども、まあしかし実際、運転をして良いと誰も認めていない、 こういう制度が実は今回18回目でしたけれども19回目4年後、20回目8年後これを想定していきますと日本の地方議会、日本の地方議員の半数は、消滅自治体は問題にしていますけれども、 議会そのものの半数は実は今申し上げた様な、民主主義の装置ではないものになる。
 実は地方制度調査会のもう一つのテーマはこれでございまして、地方選挙制度、地方議会制度をどうするか。
 これは構造的に矛盾があるんですよ、もはや日本の制度はまあそれは土曜日、日曜日、夜間に議会を置きなさいとこういう提案は一つありますよ、 でもそれですと女性の方は行きたくないという話にもなりますし、みんな忙しいですからですね、結局ですね8割以上がサラリーマンである社会に於いて、 一般のサラリーマンが議員に実質上なれない仕組みになっているというのが日本でしょう。
 これはヨーロッパ、アメリカと全く違うわけでありますね。
 これだけいわゆる事実上母集団を2割ほどに絞り込んで置いた上に、高齢者の議員しか多く居ないとかですね、自営業者しか居ないとか、こういう話をしてだんだんそれがこう細りながら、 特に都道府県の選挙、都はありませんでしたが道府県の県議選では一人区はほとんど無競争であったのです今回、ですから道府県議会議員の3割近くが無競争当選なのです、 これはほとんど一人区なのですね、と言うことは昨年の衆議院選挙の結果を見るようなものなのです。
 一人区というのはそういうことで一人の選挙区から一人が選ばれると今こう言う仕組みでありますね。でどうしたら良いのでしょうかと言った場合に、 やっぱりその会社に勤めながら公共の意志決定に参加できるという制度を一般的に労働法制に含めて考えない限りですね、この流れが細るだけであります。
 しかし、その地方議会というものが大した存在でないと見ておられる方が居るかもしれませんが、ただこの日本の500兆円経済の今3分の1、160兆円が公共活動なんです、その160兆円のうち3分の2は、 3分の1は公共活動GDP全体のですね、それの3分の2は地方自治体が実は意志決定をしているのです。
 特に2000年以降の地方分権改革以降は議会が全ての意志決定者なのです、それ以前は国が決めたものを知事市町村長に委任をして、 8割処理するという機関委任事務制度の下で議会が2割程度実質上の決定権は無かったのですけれども、今は10割有ります。
 こう言う中で国民全体を見ますと160兆円のうち、100兆円、都道府県市町村併せて100兆円の部分については、地方議会が決定しちゃうのです。
 国は95兆円の予算規模があるじゃないかと、数字が合わないような感じがするように思われるかもしれませんがこう言う話なのです。
 実は国は95兆円、地方は都道府県市町村を併せて100兆円なのです資本財政は、併せますと195兆円ですよね、で500兆円経済の中で195兆円が公共かって言うと実はそうではなくて、 35兆円が重なっているのです。
 国から地方に移されているお金が補助金と交付税で18兆円と17兆円、併せて35兆円がダブるカウントされていますので、地方側で100兆円でカウントして国側の95兆円から35兆円を引くわけです。
 そうすると国が95兆円、地方自治体が100兆円ですね。
 これを、仮面を付けた代表と思われる方々の意志決定にゆだねて本当に良いか?民意を反映した意志決定が行われていくのでしょうかと考えますと、国政でも色々やっていますが、 島根と鳥取を一緒にすると現場ではかんかんに怒っていますけどもですね、北海道は議席数が増えたのでしょうかね?
 などなどですね、しかし実際は10増10減ですから、242名の参議院の数を減らさない形で、5倍の投票格差があればもう何とか3.0倍以下に押さえ込むという、単純な作業でありますね。
 まあそういうことをしかし国会では延々と議論してようやく決着が付いた、とまあこういうことをやっておりますけど。
 さあそこで色々と申し上げました、意志決定の機関もそういういわゆる戦後70年経って投票率も45%になり無競争当選状況が非常に広がってきていると、 経済については申し上げたとおり大変お金を使ってきたけれども、対全体は大きくなっていないと。
 そこで人口減少と地方創生なのですが、人口はこういう勉強会ですから増田リストとか国交省とか、総務省が言っている数字は中期的なところまでは言っていますが、実はこう言う話なのです、 日本は明治維新150年前、そこからさかのぼること800年間大体1,000万人なんですよ、日本国民というのは、農業の時代で馬舟徒歩ですから、1000万人時代が長くて、 開国をして明治維新から明治政府が出来る内閣制度が明治18年、国会が明治23年、市制町村制が明治22年、府県制度が明治23年ですね。
 概ね20年かかって近代国会日本が始まるのですが、そこで3500万人に増えているんです、開国効果なんですね、まあいろんなビジネスが始まる、いろんな知恵を海外からも学習して日本を、 そして農業の国から変わりはじめる。で、その明治政府が出来て第2次世界大戦で若干人口を減らす、大変大きい苦難の状況を一旦味わいますけれども、それでも7000万人なのです、人口としては。
 戦後昭和22年頃、1947年新しい憲法始まった頃、2倍になっているのですね。
 明治政府が出来て半世紀で2倍、で戦後7000万人が2008年、7年前に天井を打ったと言って、概ね13000万人、2倍ですよね、60年間でほぼ2倍になった、つまり倍、倍、倍と来たと、ざっくり言うと20世紀は、 日本は人口大爆発の世紀であったと、多分歴史上はそういう風に位置づけられるでしょうね。
 しかし明治政府が出来た、或いは皆さんの市町村制度、府県制度が出来た頃、125年前ですけれども、遡って考えると3500万人が4倍にふくれあがった、これが例えば2100年に8000万人だという予測を、 ほぼ多分人口学者から言うとこれを1億人で維持するとなかなか難しいんですね、8000万人受け入れた方が良いまずは、問題その減り方の歪みとですね、 その有るところに集中して有るところが非常に過疎化していくというこう言うこういう歪みをどう問題を処理していくという問題は残るとして、人口の絶対減そのものは8000万人でも問題は無い、 例えばですよ、それでも明治時代よりは2倍の人口ですよね。
 何が問題がないかと言えばですね問題は無いわけではないですが、1億3000万人が暮らしやすいように、北海道もそうですが道路を整備し、様々な施設を整備し住宅を整備しましたね、 これを8000万人が使える社会というのは多分GDP500兆円経済を人口3分の1減ることを頭脳の優秀な国民ですから、これを活性化させることによってハイテク技術によって500兆円経済を、 これから85年間維持出来るとすれば世界で一番豊かでクリーンになるのですよ。
 今までのように人口が増える時代は経済のパイも大きくしなければ行けなかった、で人口が減っていく時代は放っておきますと多分経済は縮小すると言うまあこう言うものの見方をしていますけれども、 ここで何ですね、ここでどうすればハイテク技術というのは一つの例ですけれども、日本全体が活力あるこう言う国の状況になって行くだろうかと言うことを申し上げますと、 実は日本型州構想の話をしなければ行けないんですが、今のやり方を連綿と続けても短期的にはそれはお付き合い申し上げても悪くはないですよ。
 例えば10カ年の各市町村に或いは都道府県毎に地方創生計画を戦略的に作れと言っていますね。
 良くできたところには交付金を少し割り増しをすると、更にうまくいったところには表彰もすると言ったところが有るかもしれませんけど、 しかしこれは毎度お馴染みのってーところがどうしてもありましてですね。
 結局大阪をやってみてもそうなのですが、このネックになっているところがあるわけで、日本の場合何をやってきたと言えば、分散型の国土を作ろうとして頑張ってきたことは間違いないのです。
 何も東京一極集中状況は今が問題で合ったわけではなく、ズーと戦後言われてきていることは間違いない、ただこれ止まらないんですね、止めようとした、止めようとした一つの切り口とは、 あの昭和40年半ばの田中列島改造ブームの頃の日本列島改造論です。
 あれは象徴されたものです。あれは田中角栄氏が書いたことになっていますけれども、彼が自由民主党の幹事長の時、昭和40年頃ですね、出たのは47年ですけれども昭和40年頃、 都市政策大綱というものをこれから作ろうと言って、自由民主党の総力を挙げて官僚を巻き込んで作ったのが、インフラの整備を中心とした職住近接型社会を狙いとする3大高速網の整備と高速道路ですね、 新幹線、それは札幌までは来なければ行けない、早くですね、ほっとくとあれ九州の方が一生懸命ですよ、先週は九州に行きましたけれども鹿児島からこう繋がりましたね博多に、 どうやら長崎新幹線も出来るのですね、更に彼らが言っているのは、今度はこの大分側のこの何とか経路、要するに九州をぐるぐる回るように新幹線をやろうとか言っているのです。
 確かにですね九州は今調子が良いのですよ。沖縄を除いても九州7県の出生率は一番高いんです日本の中で、10番うち5番までは、沖縄入れると6番までは九州なのですね九州は出生率は高い、 それと市場は東シナ海と日本海を睨んでみますと、中国、インド、東南アジアと言うこれからの大市場に一番近いのです。
 こちらの方はロシアを相手に戦うと言う意味では悪くはないですよ、環太平洋の時代はほぼ成熟した状況になるでしょう、むしろこれからのび白が大きいのは日本海及び東シナ海側ですよね。
 そういう事もあって九州は一所懸命ですね、ほっときますと3本目の新幹線が入ってきますので、とりあえずここは函館まで来るとして、札幌新幹線は急がなければ行けない。
 急ぐ意味はですね、実は日本のインフラ整備はジェット空港と高速道路と新幹線網、そして高度情報通信網の整備は、まだ残っているところはあるけれども骨格はほぼ出来上がってきていますね。
 何が出来上がってないかというと、これをハードインフラの整備と申し上げると、ソフトインフラの整備なのです。
 神経系なのです、意志決定の仕組みはそのままなのです、ですから逆の効果が出てきた、つまりより早く、人、もの、金、情報が動くようにしたものですから、 それをする意志決定の仕組みいわゆる中央集権体制のまま、東京はそのままおいてありますので、どんどんどんどん東京に集中する形になってきていると、これは多分田中角栄氏らが想定をした職住近接、 工場分散をして、近くで働けば東京に出稼ぎに行かなくても良いという、こう言う社会を彼らは想定をしながら言っているわけでありますが、そうならなかった。
 そこで、これからもう一つのいわゆる大きい改革としては、本当にこう日本を8000万人でも500兆円経済で世界の中で一番豊かな国にしていく、本当の意味の地方創生をしていくためには、 いわゆる垂直型の国家の仕組みではなくて水平型なのですね。
 皆さんの北海道についても、これはなかなか北海道のここまでの動きから言いますと、相当中央政府に依存をしてきた歴史もありますので、とは言ってもですよ、中央政府はもうまもなくお金がない、 まもなくお金がないというのは、ギリシャのようになるかどうかという話はない方がもちろん良いんですけれども、1400兆円の貯金を食いつぶしているわけです、 今1200兆円の借金で国民一人一人に代わって銀行を通じてですね、政府がお金を吸い上げてきていますよね、でこれは返さなくて良いお金ではありませんので、 つまり地方にいろんな形でお金を分配する力はなくなっている日本は。
 この広域のけいいき毎に働く稼ぐ仕組みを考えない限りですね、この国ってものは再生しない、いかに東京に依存しても再生しないのだろうと思うんですね。 東京都って言うのは国土面積のたった1.0%、これに1300万人国民の一割が集中していますね。少し拡げて一都三県、東京圏と言われるところが3.6%、ここに今3500万人、 ほっとくと5000万人になると言っていますが、こういう国って言うのはお隣の韓国のソウル一極集中と日本だけなのです。
 これはまあアジア型近代化を達成した国の一つの姿でしょうけれども、成熟した国の形ではない、そこで今安倍政権の一時議論の有った日本を州に変えていこうという議論はほとんど封印されています。
 私がちほうする調査会の中で人口減少社会に対応した地方行政体制のあり方は、盛んとこれから出て参りますのは市町村の連携ですよ、連携。
 特に政令指定都市と中核市を核に、中核市というのは北海道ですと函館ですね。
 中核市も特例市、中核市を一緒にしましたので、20万以上の中核市を核に、その隣接の市町村と連携協定を結んで、地域作りと同時に公共サービスを担保する、 これが今から10年、15年前ですと合併の話だったんですね。
 合併ではなくて連携で行こうという話であります。
 ここに連携協約を結んで一つの連携中枢都市圏というのを作って、人口が減っても公共のサービスが担保され、さらに色々な資源をブレンドして活性に役立つような地域作りが行われるようにと言う、 こう言う仕組みを一所懸命やろうとしているのが、地方創生本部もそうですが、仕組みを考えている方の地方制度調査会の役割は、それは多分12月に答申で出ています。
 そこに色々と交付税等の措置はあるのでしょうけれども、これはずらっと並びますとですね、北海道は札幌市、函館、 もうちょっと広げて10万から20万に届かないところが5つか6つ可能性としてもちろんありますけれども、日本列島全体で見ると20万以上の規模で政令指定都市70万以上に届かないけれども、 中核市と称するところが80有るのです。
 それと政令指定都市が札幌から熊本まで20有りますよね。
 100都市25万くらいから35万くらいまで拡げて連携をする。
 まあ100万なり150万のところはさらに拡げて200万くらいに連携をしてですね、これで大体国民全体の75%位はカバーできると言うこう言う計算になる。
 問題はそこから外れていく25%はどうでしょうかと。北海道は大変面積も広いですし、大都市がそんなに各地域にバランス良く居座っているところではありませんので、 しかも調べますと現実に179市町村のうち143市町村が過疎地域の指定を受けていますよね、過疎地域。過疎地域は別に悲観する話では無いのですが、 いろんな条件がある意味不利な条件を持っている地域が相当多いと、多分こういうところをどうするかと言った場合に、そういう連携中枢都市圏、これは成功するかどうか分からない、 その先に現地でいろんな声を聞きますと一旦連携した上でその次に合併の話が来ませんかねと皆さん非常に考えるものですからなかなか連携協約に判を押さない。
 そうではないと言っても、誰も断言出来るものもないし、よく考えますと、例えば20市町村で真ん中に一つ中心市があってそこにまあおんぶする形になりますよね、実際は中心市に。
 それはまあ病院にせよいろんな機能を中心市におんぶするとして、20の市町村長が居て20の議会があって、20の財布があって、20の計画があってそれで100の仕事は連携協約によって5都市に依存しましょう、 と言った場合に本当にうまく行くのでしょうか?と。
 それならどういう形が一番良いのか分かりませんが、完全な合併が良いのかもっとこう密度の高いですね、ヨーロッパ型の連合庁のいるような形のですね、緩やかな合併体が良いのか、 それは色んなこれから工夫があるかもしれませんけれども、だんだん一つの型紙になって行かないと物事はどうも上手く動いていかないような感じはしますけれどもですね。
 ただまあこう言う75%位はそういう中心市である、連携中枢都市圏であると、でそこから外れたところで本当に離島、群島とか中山間地域でないところは、 生活定住圏5万人位を核に小さな定域を作れないかと、更に最近言い出しているのは、道の駅を中心に道の駅に色んな機能を集めることは出来ませんかねと。
 それでも増田リストから言うと2040年には現在人が住んでいるけど人が住まない地域が20%位、人口空白地帯が出てくる、そうした場合そこには道路は通っているけれども人は居ないと、 荒れてきますねやっぱり、空き家もある、空きビルもある、廃屋がだんだん色んな意味で動物が住み、もしかして犯罪の巣になる可能性もあるので、それは誰が管理するのですかと言った場合に、 人が住まないところに自治体が無くなりますので、管理自治体のような制度を定めてある程度体力が有るところが、人口が居ないところの自治体を管理するという指定まで必要ではないでしょうかと、 この辺の議論まではしているのですがもちろん答申には出てこないと思いますが。
 そこでですね、そこでこうやって今市町村、市町村を何とかって言う事が今盛んに議論しているところです。地方創生も市町村ベースでやっている。
 ただ骨格はやっぱり明治23年以来、馬舟徒歩の時代の、まあ北海道は単独の国で良いわけで有りますが、州で良いのですよ、179市町村長とお話をした時に地名の話から北海道の道はどうなりましたかね? って話とですね、知事さんとやったときの、北海道はやっぱり地名でしょう、行政制度の北海道という道、道制は事実上無くなっていますからそれはそれで良いとして、北海道州、 九州は九州で有るわけですね、九州は遠慮して九州府と言っていますが、今の府と言うのは成り立ち上府県制度が有りますので、九州州と北海道州で良いと、 呼び名がそうなりますと日本は道州制と言う呼び方が必要なくなるんですよ、無くなるんです。10州、2都市、2都市州と私は申し上げておりますけれども、日本を概ね、JRの単位か電力会社の単位かですね。
 まあ北海道、東北、そんなに違和感は無いですよ、九州と、こういう風に呼んで広域的な活動をしている、ただここで府県の壁が非常に厚いですから、これを外した上で一つの広域の州政府を単位として、 それぞれの10州なら10州が水平的に競争する関係を作っていくと。
 これで北海道は、九州ですとオランダ、現在オランダですけれどもですね、九州7県にばらばらになっていますとオランダという意識は無いのですが、 九州は一つという風に考えますとオランダを超えるのはそう難しくないのですね。
 北海道は40年前に、松下幸之助さんが色々言っているところから言いますと、こう言っていますよね松下幸之助さんは、廃県置州の話をしながらですね。
 北海道は国家であったかと言う問題設定をしていますけど、この北欧諸国、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークよりは南に位置していると、しかも今地球は温暖化していますので、 全体的にそう気象条件はですね、厳しさが和らいできていますが、気候風土も良く様々な条件はこれらの国々よりも優れていると、恵まれていると、人口もこれらの国々と北海道は大差ないと、 ところがどうかとスウェーデンは一人あたり国民所得世界第2位とその他の国も20位の日本より全て上にあると、もし北海道が独立国なら、つまり北海道は中央政府の規制にがんじがらめになり補助金、 交付税に依存する体質が強くなり、そうした制約から創意工夫によって自立する気概を弱めていると、もしこうした制約がないなら北海道は北欧諸国をしのぐ発展した国になれる。
 これは絵に描いた餅かどうかっていう話をしますと、日本の切り札というものは、もう少し中央政府の官僚のなかにアイディア無いですよ、実際そんなに高等な人間が集まっているわけではない。
 今や現場を抱えたところにしかないんです、現場を抱えたところにしか。
 で、ここにやっぱり優秀な人が更に集まって、権限と財源を持って、それから民間が力を出さなければ行けないわけで、今回地方創生の一つ良い点はですね、官官官民民官学金と言っているわけです、 金というのは初めて出てきた。
 いわゆる民間企業とそれから役所ですよね、色んなレベルの役所、それから大学、大学も天下国家のためっていうよりは地域のために色んな事をやる、北大だってそうなの、 日本全体の大学であるけれども北海道の大学だ。
 それから金融機関ですよ。
 お金の流れを変える工夫というものをしながら、それをいかす工夫というもののノウハウを持っているのはやっぱり金融機関だと。
 このスクラムを組む形で、一方もう少し大きい州のくくりにくくった上で、対外的に競争する。
 国内的にもそうでありますが、対外的に全部外務省をくぐし国をくぐさないと何も出来ないというこう言う仕組みではなくて、それぞれの州政府がロシアとも中国ともインドとも交流できる形ですね、 交易できる形で日本を発展させて行くしかないんでないでしょうかと。
 これは多分2020年の東京オリンピックに間に合わせるようにそういう議論をしようと言いましたけれども政府はやらない、やらないのですが2020年以降は日本は大不況になりますよ、これから。
 新国立競技場に2520億円?今日も帰ったらテレビでコメントしろと言われていますけど、コメントしたってしょうがないあんなもん。
 半分で出来るかもしれない。
 テレビに出てきた建築家が絡むと高くなるのですよ、某安藤忠雄氏が絡むと高くなるのですよ。
 それは大阪で困っている、橋下さんも困っている。
 彼が出てくるプロジェクトはものすごく高いんですよ、今、丹下健三も黒川紀章も有名な建築家は亡くなりましたね。
 彼は独学でのし上がってきた立派な方ですよ、ですけれどもどうもその辺が、お金についてはまあ非常に高い。
 本人は見積には関わっていないと言って、決めただけだと言っていますけれども、決める段階で全てが決まっているものですからですね、それはあんまり信用できないんですが、多分国立競技場でも、 多分半分になるんじゃないでしょうかね。
 それで良かったと言うことになるのでしょうし、なぜあの段階で白紙撤回するかっていうのは、やっぱりそういうメカニズムが見えたことをですね、外に出る前に消したと思うんですよ。
 これは私の全くの推論でありますので、そうだという風に断言は出来ませんけれどもですね、いずれにしましても一つ、一事が万事そうであるように、例えば野田政権が尖閣諸島を買った、 買うまで良いけれども、その後は日中関係を悪化したもので既に何とも出来ない状況になって来ているように、日本の中央政府のいわゆるガバナンス、 統治能力というのはそんなに皆さんが頼るほど強いものではなくなっている。
 信ずるのは自分の足で立っている地域を信ずるしかないのではないかと。
 彼らを利用しながら賢く簡素な地方政府を作りながら、なるべく増税をしないで、みんなでお金がまわるような社会を作っていくというのがこれからのもう一つの視点の地方創生ではないかと思います。

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平成27年7月18日
第51回ゴルフ大会の開催

 ゴ−ルド札幌カントリ−クラブにおいて午前7時15分集合。 台風11号の余波を受け生憎の曇天の中、西山会長以下19名の参加のもと注意事項の説明の後7時15分にアウトコースをスタートしました。途中から霧雨になりましたがインに入って雨も上がりゴルフ日よりになりました。
競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。
 優勝は西山会長(昭和41商・西山製麺(株) アウト43 イン47)、準優勝は村上一元氏(昭和39文・(株)五英商事(株) アウト45 イン39)、 ベストグロス賞は工津輝雄氏(昭和39商・(株)エミック アウト38 イン41)が獲得し、会長から優勝者並びに入賞者全員に賞品を授与しました。
 尚次回は9月12日(土)札幌リ−ジェントゴルフ倶楽部トムソンコ−スにおいてかいさいする旨会長から参加を呼びかけ、和気あいあいの内に散会しました。

 今回副賞の景品の寄贈者は下記の通りです。
・工津輝雄氏((株)エミック) 優勝、準優勝2点
・出戸一成氏(昭和35経済・マツクスバリユ北海道(株))1点
・檜森聖一支部長(昭和45法・(株)北海道二十一世紀総合研究所)1点
・西原幹事長(昭和39商・(株)メディアプラン)2点
・西山眞吾会長(昭和41商・西山製麺(株))5点
・柴田龍氏(昭和56理工・(株)北洋銀行)1点
・奥村徹氏(平成5経済・日清製粉(株)札幌営業部)2点
・田代信一氏(昭和56文・(株)京王プラザホテル札幌)3点
・植田克巳氏(昭和57法・日本中央競馬会札幌競馬場)20点


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平成27年6月20日
中央大学父母連絡会札幌支部総会並びに父母懇談会へ出席

 ホテルロイトン札幌において開催の「父母連絡会札幌支部総会・父母懇談会」へ西原幹事長が出席されました。
 当日は在校生の父母150名程が参加されました。午後12時30分より総会の議事に入り、熊坂和也(昭和59理工・(株)ビ−ムオン代表取締役)支部長の挨拶に続き「2014年度事業報告・決算報告」、 「2015年度事業計画案・予算案・役員改選」が審議されました。 その結果、新支部長に山下裕司氏、副支部長に百井元幸・小沢知文の両氏、他新役員が選任されました。
引き続き午後1時10分より「父母懇談会/進路・就職懇談会」が開催され、理工学部部教授の樫山和雄氏からは「大学の近況について」、経済学部事務室課長の池上京子氏から「学業・学生生活について」、 キャリアセンタ−キャリア支援課長の池田浩二課長から「最新の進路・就職事情にについて」お話がありました。次いで企業担当者・卒業生等による就職アドバイスに深瀬聡氏(昭和58商・)終了後は 希望者に対し個人相談会、懇親パーティー(希望者)も開催され父母の交流が深まりました。

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平成27年5月30日
第50回ゴルフ大会の開催

 本年度第1回のゴルフ大会(通算50回記念大会)は五月晴れの中札幌南ゴルフクラブ駒丘コ−スにおいて開催されました。 西山会長、檜森支部長参加のもと12名の参加申し込みがありました。
 当日は、3組と少ない人数ながら午後12時にアウトコースをスタートしました。絶好のゴルフ日和に恵まれ楽しいゴルフ大会になりました。競技終了後は表彰式を兼ねて懇親会をおこないました。
 優勝は、舛田雅彦氏(昭和54法・札幌総合法律事務所・オウト:42 イン:42)で、同氏はベストグロス賞も併せて獲得しました。また準優勝は、檜森聖一氏(昭和45法・(株)北海道二十一世紀総合研究所・アウト:44 イン:46)が獲得しました。尚ベストグロス賞は舛田氏の他に工津輝雄氏((株)エミック アウト:45 イン:39))も獲得しました。 今回は50回を記念して檜森支部長から1点、西山会長から1点、高橋恭一氏から5点、出戸一成氏(昭和35経済・マツクスバリユ北海道(株))相談役)から1点、西原幹事長から1点、 田代信一氏(昭和56文・(株)京王プラザホテル札幌・リスク管理担当支配人)から3点の寄贈がありました。尚景品は大会の副賞として、 優勝者を始め大波賞、小波賞、平和賞、飛賞等参加者全員に当たるよう利用させて頂きました。
 懇親会は終始和やかな雰囲気で進み、最後に事務局から次回7月18日(土)のゴルフ大会、7月23日(木)開催の「中大学術講演会」、 8月6日(木)の「札幌支部定時総会」への参加要請を願い和気あいあいのうちに散会しました。




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平成27年5月7日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において、午後12時より檜森支部長、柴田・舟橋・永井・長谷川副支部長、西原幹事長出席のもと開催致しました。
 議案第1号:「平成26年度事業報告並びに収支決算報告について」
 幹事長から別添資料に基づき報告了承されました。
 議案第2号:「平成27年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」幹事長から別添資料に基づき説明し本年は来る9月4日(金)に学員会主催による学員ネットワーク拡充・強化の一環として 「白門ミーティング北海道・東北ブロック会議」を函館において開催する事に決まった旨報告了承されました。
 議案第3号:「平成27年度支部定時総会について」幹事長より説明、当日は大学本部より深澤武久理事長、学員会本部より久野修慈会長、小畑悟副会長を迎え下記日程により開催する旨の提案が出され 出席者全員了承しました。

尚総会は下記の日程に決まりました。
@ 日 時 平成27年8月6日(木)18:00〜
A 場 所 京王プラザホテル札幌3階 「雅の間」
B 会 費 懇親会費6,000円 。支部年会費2,000円
尚、総会終了後 卓話「海外における日本食文化ついて」
講 師 西山隆司氏(西山製麺(株)代表取締役社長 昭和56年商卒)

 議案第4号「学術講演会の開催について」
 幹事長より「本件については札幌市教育委員会、札幌商工会議所、協同組合中小企業振興センターから後援、本学父母連絡会札幌支部から共催の承諾を頂きました。 ついては本講演会のPRと参加者の動員を図るためポスタ−、チラシを制作し下案の要領で周知をしたい」旨報告し了承されました。
@ A1のサイズのポスタ−を30枚、A4サイズのチラシを20,000制作する。
A 札幌商工会議所・協同組合中小企業振興センターの会員向けに毎月配布している資料の中にチラシ18,500枚を入れ参加者を募る。
B 学員会札幌支部会員向けにチラシをDMにて送付し参加者を募る。
C 札幌市営地下鉄の掲示板にポスタ−を貼り市民向けにPRし参加者を募る。
D 北海道新聞等を中心に市民向けPR版に掲載し参加者を募る。


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