CONTENTS



小樽支部との交歓会の開催
第1回ゴルフコンペの開催
麻雀大会の開催
ゴルフコンペ優勝者一覧
文化講演会の開催
中大音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
中大アメリカンフットボールチーム:自転車競技部への応援
北海道平和セミナーへの参加
第49回札幌国際ハーフマラソンへ応援参加
中央大学音楽研究会吹奏楽部演奏会の開催
中央大学札幌支部史〜明治・大正・昭和〜
中央大学札幌支部史〜平成〜
平成17年度事業活動
平成18年度事業活動
平成19年度事業活動
平成20年度事業活動
平成21年度事業活動
平成22年度事業活動
平成23年度事業活動
平成24年度事業活動
平成25年度事業活動
平成26年度事業活動
平成27年度事業活動
平成28年度事業活動
平成29年度事業活動
平成30年度事業活動
平成31・令和元年度事業活動
令和2年度事業活動
令和3年度事業活動
令和4年度事業活動
令和5年度事業活動





支部の活動報告・・・平成31・令和元年度事業活動

▲支部の活動報告へ

 

令和2年2月8日
2020年道内企業就職相談会の開催

 北海道の企業に就職を希望する本学の在校生の父母を対象にした「道内企業就職相談会」を午後1時より北海道経済センター8階Aホールを会場に開催しました。



 開催に当たっては父母連絡会札幌支部と連携し道内各支部(道北支部、函館支部、道東支部)から合わせて13名の出席がありました。
 相談会に先立ち当支部の檜森支部長から開会の挨拶がありました。



 参加企業は道内に本社を有する企業6社((株)ダイナックス、(株)ニトリホールディングス、北海道ガス(株)、道路工業(株)、極東高分子(株)、北海道旅客鉄道(株)、(株)北海道銀行)に 北海道、札幌市、北海道警察、東京本社のEY新日本有限責任監査法人にご参加を頂きました。その他に14社から会社案内を資料として会場内に展示しました。当日は各社の人事採用担当者から会社概要、 求人情報、職種、福利厚生、給与体系、ここ数年の中大生の採用状況等についても説明をして頂きました。











 また今回は本学キャリアセンターの池田浩二副部長から面接試験に当たっての注意事項等について具体的な 事例のお話しもあり、短い時間でしたが所期の目的を達成出来、出席された父母の皆さんは納得をされていたようでした。終了後はそれぞれのブースにおいて個別に質問を受けて頂きました。




 尚、当日の相談会参加企業と担当者名簿、スケジュール表は下記の通りです。






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令和2年1月29日
札幌市役所白門会新年会への参加

 例年であれば、1月末というのは一番寒い時期に当たりますが、暖冬の影響で市内は積雪も少なく、夕方からは、 みぞれが時折雨になり令和2年の新年会(会長;長谷川雅英=昭和・58年・商・札幌市教育委員会教育長、会員数68名)がOB4名に本学出身の札幌市議会議員2名伴良隆氏(平成15年・法)、 藤田稔人氏(平成14年・法)、ご来賓に前市長の上田文雄氏(昭和47年・法・道央法律事務所)現役職員合わせて27名出席のもと、ホテルオークラ札幌3階「チェルシー」において午後6時15分から 開催され当支部から西原幹事長が参加しました。
 新年会に先立ち総会が行われ、議題として@平成30〜平成31・令和元年度の決算報告、A役員改選が審議され諮った結果出席者全員異議なく承認されました。
新会長には長谷川雅英氏が再任きれ副会長には有塚広之氏(昭和63年・法・市民文化局文化部長)、幹事長に佐藤善宣氏(平成12年・理工・市議会事務局議事課議事係長)、 幹事に岸晃太朗氏(平成25年・法・白石区保健福祉部保護三課保護一係)と澤本美紀氏(平成29年・法・東区保健福祉部保護四課保護三係)が選任されました。
 懇親会は現幹事長の星田剛氏(平成11年・法・保健福祉部局高齢保健福祉部介護保険課介護予防担当係長)の進行によって行われ長谷川雅英現会長の挨拶、当支部西原幹事長の挨拶・乾杯の音頭で宴に入りました。
しばらくしてOBの後呂道徳氏(昭和46年・法)、大英男氏(昭和39年・商)、貴志功氏(昭和29年・法)、平林勇氏(昭和29年・法)からは現役時代の体験談と後輩の今後の活躍を期待している旨の挨拶が ありました。
 また昨年の7月より学員会本部の副会長に就任された上田前市長からは学員会の近況・第28回ホームカミングデー等についての報告がありました。
 続いて新副会長の有塚氏・新幹事の岸氏・澤本氏からもそれぞれご挨拶を頂きました。会は終始和やかな雰囲気で進み会員同士が杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、 久しぶりの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。
 最後は恒例により校歌・応援歌・惜別の歌を全員で力一杯歌い上げ、知野学現副会長(平成3年・法・市民文化局PMF組織委員会事務局長)の乾杯の音頭で終了し散会となりました。



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令和元年11月29日
支部年末懇親会の開催

 師走に入っても市内は雪が少なく日中は気温が高く、夜は気温が下がり道路は滑りやすい状態が続いている中、恒例の支部年末懇親会が定刻より15分遅れの午後6時15分より 京王プラザホテル札幌3階「雅の間」において檜森聖一支部長以下84名の会員と、ご来賓に本学父母連絡会札幌支部長の山口富士男氏をお迎えし開催されました。



 司会進行は昨年好評だった大野真奈さんに((有)ミュージック企画)にお願いしました。
 開会に先立ち檜森支部長から「今年もあまりいい事はありませんでしたけれも、我々西原幹事長を中心に支部長それから副支部長さん方と一所懸命交流を広げようと思って頑張りましたけれども必ずしも全部が うまくいったわけではございません。来年は皆さんのご協力も頂きながらもっと、もっとこの、私のスローガンは非常に単純で元気で、明るく、仲良くやろうという、単純なスローガンですけれども頑張ってみたいと 思います。



 また今日は父母の会の山口支部長さんにもご出席頂きまして有難うございました。また学員会本部の上田副会長さんにもご出席を頂きました。もともとは富士メガネの当時会長さんでありました金井さんが 学員会の副会長をしておられたのですが、その後なかなか後継ぎを札幌支部から出す事が出来ませんで、やっと皆で説得をしまして上田さんに副会長をやって頂いたという状況です。なかなかこの活動を、 折角こう言って一所懸命やって頂くのは難しいのですが、私は今日の朝、家内に「今日は俺、同窓会の支部長なので京王プラザに行くのだよと言ったら、毎回言われているのですが、あなた学校も行かないのに、 よくそういう事やっていられるわね、あなた全然学校に行ってなかったでしょう?本当にあなた好きなんじゃないの」そういう中出て来たわけでございますが、また皆さん来年も頑張りますので、 ひとつよろしく応援をお願い致します。さて本学の近況報告を申し上げます。
@ 硬式野球部が東都大学秋季リーグ戦において2004年秋季リーグ以来15年(30季)振り25度目の優勝を果たしました。
A 第96回箱根駅伝競走の予選会が10月26日(土)に行われ、陸上競技部は第10位となり本選に出場する事になりました。
B 令和元年度の司法試験の最終合格者数が9月10日に法務省から発表され、法科大学院別合格者数で本学は109名、全国で4位となりました。因みに1位慶応152名、2位東大134名、3位京大126名。
C 本学は創立140周年を迎える2025年に向けた中・長期計画「Chuo Vision」を2015年に策定し、本計画実現の事業資金に充てるため「白門飛躍募金」を新設し本事業の遂行を推進しております。 10月31日現在当支部の募金額は1,925千円(法人3件、個人43名、支部寄付金)となっております。ついては会員各位の絶大なるご協力をお願い申し上げます。
D 当支部副支部長柴田龍氏がこの度第37期札幌商工会議所副会頭に就任されました。
 挨拶の最後に、来年はいい年でありますように祈念致しましてご挨拶とさせ頂きます。本日は有難うございました。」

 続いて卓話「グルメのアンテナ」に入りました。講師は石本玲子氏(昭和42年・文)にお願いしました。
司会から講師の紹介が行われ「石本先生は(株)電通北海道支社でコピーライターライター、クリエイティブ・デイレクターとしてお勤めをされたほか北海道広告業協会事務局長も歴任されました。」 講演内容は以下の通りです。



「昭和42年卒業の石本玲子でございます。あらためてよろしくお願いいたします。こんなにたくさんの方を目の前にお話しをするというのは、ほとんどない経験なので異常に上がりまくっております。 どうなる事かと自分でもちょっと心配なのですが、何とか役目を果たしたいと思っております。私中央大学に入学した当座には、小学校4年生位から新聞記者になりたい、それも社会部の新聞記者になりたいという 夢を持っておりました。それを1年の時に先輩に話したら「お前、馬鹿か、女が新聞記者になんかになれるわけがないだろう」と言って即座に否定されてしまいました。まだ子供ですから、 それなら何になれるのよとムキになって聞きました。そうすると先輩が、しばらく考えておりまして、「ああ今なあ、なんかコピーライターっていう仕事があるらしいぞ、それなんか面白いんじゃないか」と 言われました。それがきっかけで私もコピーライターに興味を持ち、先ず手始めに本学の広告研究会に入会して、コピー部門に行きどんなものであるかといろいろと学ばせて頂きました。
2年の時にコピーライターに本当になるのであれば、学校の研究会くらいではどうも箸にも棒にもならないらしいなと気付きまして、その頃久保田宣伝研究所というのがあって、 そこにコピーライター養成講座というのがありました。そこにいきたいと思いました。いろいろ調べてみたら、とても、とても受講料が高くて学生の身分で行けるようなものじゃなかったのでした。 これは困ったなあと一計案じまして、講座を受けるたくさんの生徒の受付をやったり、作品を集めたりとか、雑用仕事があるに違いない。そんな事務方のアルバイトをさせてもらえないかなあというので 直談判に行きました。そうしたところああ丁度いい渡りに船だ、丁度今欲しかったから来るかと、それで受講をさせて頂くことを条件にアルバイトをさせて頂きました。それで2年間基礎講座と専門講座を出まして、 ようやくなんとかコピーライターのコ位なものの分かり方をして学校を出ることが出来ました。
 だが生活故か本業の方よりも興味を持ったしまった方に夢中になって、走っていたようなそんな気が致します。まあ、そんなわけでコピーライターとしてスタートをきって、電通で定年退職のその日まで 現役のコピーライターとして働かせて頂けた事がもの凄い幸せな事だったなあと今でも思っております。有難い事でした。
 電通生活の40数年経験の中で一個ちょっと面白い事出来事がありまして、今ここにすごい古びた一冊の小さい本があります。タイトルが「とっておき味の札幌」という京都の駸々堂書店の発行の札幌の グルメガイドブックです。この本の編集取材をやってみないかというお話しがある日突然来ました。「ええっ!?」てなもんで、会社の仕事でいろんな、まぁお酒のコマーシャルを作ったり、お酒の広告を作ったり、 ホテルの広告を作ったりしていましたので、広告は作っているけれどもグルメガイドなんかというのは、ちょっと今までやった事がない。でもすごい私食いしん坊なのですよ、この機会にまぁいろんな店に行けるのも、 うれしいなぁという事で、軽々に引き受けました。メンバーがどんなメンバーな人達なのかを聞いたら、喫茶店のオーナーさんだとか、北海道で初めてワインバーを開設なさった女性だとか、 それから酒類の札幌の支店長さんとか、店舗周りの什器などの営業マンとかそういう方々なのです。それに私を含めて5人。けれども文章を書くのは周りを見ても私一人なのです。あれ大丈夫なのかなぁと思いながら 引き受けました。でそれで発行になったのは昭和61年11月15日です。1986年って皆さんご記憶ありますよね、バブル景気がそろそろ始まりの頃で、ちょっと世の中がなにかざわついているっていうか、 上り調子になって来たような頃ですね、だからこそこのようなグルメ本が存在出来るっていうかそういう時代だったのだろうなと思います。
 で、結局この本というのはパラパラとめくっても分かるように写真は一切ありません。文章と地図とだけの本当にそっけない、味もそっけもないグルメのガイドブックなのですね。 これに実際には99軒収録されております。これには5人で150軒取材したうちの99軒が収録されています。150軒取材してどうやってそれを99軒に集約したかを言いますと、先ずは皆で普通の客として揃って食べに 行くのです。それでちゃんとお金を払って戻って来て、あれはいい、あれはおいしくなかったとかなんとか勝手に言いながら、わいわいがやがや。それで決めて行くという恐ろしく非効率な仕事のやり方で。 これもなんと言ったらいいのですか、会社の仕事じゃないから何とかなったのだろうと思うのです。
 おかげで私は貯金が見事にゼロになって体重が7sも太りました。そういう曰く因縁のある本なのですけれども、今読んでも、結構面白い視点でいま読んでも今でも大丈夫通用するかなぁという中身になって おります。(笑)
 朝日新聞にこの本の書評が書かれておりますけれども「源氏物語の雨夜の品定めみたいにまぁ随分と勝手な事を言い放題の本だなぁ」というふうに書かれました。そういうグルメ本がその頃だったら成立したという 事なのですよね。でまぁそういう取材活動だったり、いろんな事を通じてちょっと感じた事があります。口コミや噂で、美味しい店だとか、皆が気にいった店っていうのは、ある共通項があるのですよね。 ある共通項があるのです。先ず何かというと一つは店主の人柄。本当に店主の人柄というのは、お店の雰囲気にも影響しますし、それから味にも影響します。その頃有名なちょっとお店で、 店主が怒鳴りまくってお客様が叱られてばかりいて、皆が緊張してシーンとして食べる店があったのです。やはりそれはどう考えてもおかしいので。そういう事で店主の人柄っていうのは、先ず、第一に美味しい、 美味しくないを左右するねっていうのがみんなの意見でした。それから二つは客におもねる事ではなくて、店主が自分でやりたい、自分で作りたい、自分で美味しいと思う事をきちんとお皿に出来る。 そういう技術を持っている人がやはり素晴らしいと思いますよ。よく客におもねてこんなのを作ってみたので頼むよみたいなおもてなし方をなさる方もいらっしゃるのですが、 そういう事ではなくて一皿に対しては自分の主張をきっちりする。そういうお店がやはり美味しいお店でした。それから三つは食材に対する好奇心を持っている事。 それから食材に対する愛を持てる人っていうのはやはり強いですね。好奇心を持っていないと食材をいろいろ試してみようとか、組み合わせてみようとか思わないらしくて、その好奇心のひとつ、 ひとつがお皿の中に新しい形として出来上がって行くのです。
 でそういう時の店主は、よし、今日はどうやってあの客を驚かしてやろうかなという下心が、そういうものがあるみたいで、皆でわぁっと声を上げると、店主はむむっと笑って、 くるっと後ろを向いて照れるのですよ。そういう店主もよく見ましたけれども。まぁとにかく食材に対する愛と好奇心があって、それをどれだけ大事に一皿にするかというところは、やはり美味しいですよ。 確実に美味しかったです。それからこれは一概には言えないのかもしれませんけれども、お店の外回りとか、中に入った時になんとなく清潔感、すがすがしさみたいな空気が満ちているところというのは、 やはり美味しいです。そこらへんは主観というか感じ方でしかないのですけれども、なんとなくすがすがしくて、どんなに混んでいても、なんとなくざわざわと、大きなざわざわではなくて、 ひそやかなざわざわっていう、なんかゆったりとしたあったかいざわざわ感があるというところは、やはり皆さんが美味しくお料理を食べている時の雰囲気を醸し出すものなのだなぁと思うのですけれども、 それがうれしいと思いました。それからまぁ、そんなふうにして気持ちが和めば、やはり一皿が美味しいなぁとか、幸せな感じがするし、皆さんもそうだと思うのですけれども好きな人と一緒に食事をしたりとか、 家族と一緒に楽しく食事をする時には、幸福感に満ちたるからやはり美味しいというホルモンがたくさん出て来て、どこか口元がほころびたり、目元がほころびたりするものだと思うのですけれども。 そういうものっていうのは、人っていうものは、食を目の前にすると、とっても正直になるものですよね、正直な顔になって頂ける方が幸せだというふうに私は思います。
 よくお料理屋さんに行っていろんなものを感じる時に、やはり先程も言いましたけれども、ひと工夫ある店主というのは、引力がありました。で何回も行きたくなる。この次にはどんな驚きがあるのかとか、 この次には何をやってくれのかなぁというふうな事が、次にリピートさせるエネルギーになるのだろうなぁと思うのです。もう古い話しですので、言ってもいいと思うのですが、 丁度私がこれを取材した時にはもうなかなかのいい名店になっていたのですが、関西から進出したては、夢を持って札幌に店を開いたにもかかわらず、中々軌道に乗せる事が出来なかったと聞きました。
 その頃札幌っていうのは、素材主義というか、生きのいいものは、生きのいいまま出す方が御馳走だなんていう、ところが、ちょっとあって、ひと仕事をしたり、工夫を凝らす料理への評価っていうものが、 なかなか根付かなかったのですよね。それで閑古鳥がずうっと鳴いていました。その店主は何をしたかと言いますと、麻雀で遊んでいて腹ペコになっている人や残業で食べ損なったりして小腹の空いている人を対象に、 閉店の1時間前位からカウンターの上に小さい樽を20個ぱーっとを並べて、好きな具材が入ったおにぎりを2〜3個でいくらという、安い金額で供し方をしたのです。そういう時ってすごくうれしいですよね。 お腹が空いている時にそういう、しかも板前さんが作った具材ですから、ひと工夫もふた工夫もあって美味しい。みんなが「あそこに寄って帰るか?」みたいになってだんだんそのうちに味に慣れるっていうか、 馴染むっていうか、味に惹かれていくのですよね、実際にまぁそれを求めるようになって来て、だんだん常連さんが増えて、すごい人気店になっちゃったのですよね。
 そんなふうにして工夫のあるやはり料理人さんていうのはすごいなぁと思いました。で、忘れられないメニューもあって「柳カレイの子持ち揚げ」なんて最たるもの。 柳カレイの中にタラコのすり身を抱かせたものなのですが、誰も想像出来ない組み合わせでした。では、これは何だろうと探求心が刺激されるわけで、自然と会話が生まれて、えーそうなのとかっていう、 そういうびっくりさせられる方が、結構ありましてそれはそれで楽しい会話で記憶に残っています。
 サービスアイデアもそうなのですよね。昔札幌って必ず締めのラーメンとかよく言う、皆さんラーメン屋に飛び込みますよね、でもね、寿司屋さんが考えたのは、締めのラーメンがあるのだったら、 締めの鮨があってもいいじゃないか、それでそれこそ閉店の1時間前からネタを大トロだとか、ウニ、アワビだとか勿論豪華なネタを交えて20品位の中から6貫、何でも好きなものが食べられます。
6貫頼んで、潮汁が付いて、1,000円を切って出すのですよ。そういう工夫もやはり寿司屋で最後締めて1,000円だけでお釣りが来るのだったら、ものすごくうれしい事で、そういうサービスの仕方を考えて 下さるのもすごい私達にとっては有難い事で。あぁ、やはりお店屋さんて私達の事をよく考えていろんなサービスを考えて下さるのだなぁというふうに実感させられると思うのです。
 それと札幌に暮らしていて、実感するのは札幌っていろいろ美味しいものに出会えるチャンスが結構あると思います。いろんな仕掛けというか、まぁグルメイベントみたいなものが定着しているわけなのです。 多分今会場に関係した方がいらっしゃるので、札幌オータムフェストも最初は札幌市役所の方がリンケージプランみたいな事でいろんな人達を巻き込んで、北海道の産品だとかそれから美味しい食べ物を皆さんに PRして秋の一ヶ月を楽しんで貰おうという所から生まれたのがオータムフェストだと聞いております。オータムフェストもすごい定着して、今年で、あれは確か2008年位にスタートしていると思うので、 まぉ12年続く立派なイベントになっています。皆さん楽しみにしていて、北海道各地からいろんなグルメが集まって来て皆さんが札幌で堪能できるそういう嬉しいものになっています。 ただ私、最近ちょっと気になっているのですけれども、オータムフェストに行くと、年々高くなっているのですよ。一品、一品の一皿が結構いい値段がして、昔だったら5.000円あったら楽しめたのに、 今5,000円だったら、えっこれだけしか楽しめないの?みたいな。どうも噂では公園の使用料が高くなったせいらしいのですが、それはやはりちょっと違うのではないかなぁと思います。まぁ初心に帰って、 初めの目的というのは大事にして、そしていつまでも皆が楽しめる価格設定いうのがあるべきなので使用料は出来るだけ抑えて頂いて、お店の方々が頑張れるようにして頂けたら嬉しいなと秘かに思ったり なんかしております。
 もう一つイベントとして、美味しいイベントとして楽しかったのは、これはもう残念な事に2016年で終わってしまったのですが、11年間続いたイベントでさっぽろタバスというのがありました。 これはスペインのタパ文化にすごく惹かれた川口剛という方がすごくスペインに通い詰めて、これを絶対札幌でもやりたい、やりたい、やりたいと言い続け人々を巻き込んで始めた事なのですけれども、 これは5枚綴りとか、10枚綴りのチケットを売って、1片が大体6〜700円なのですけれども、それでワインとかビールとかの飲み物と料理が一品。ワンドリンク・ワン・タパス(食べ物・フードです。)を 楽しめるというイベントだったのですけれども、これは何が良かったのかと言うとフレンチとかイタリアンというジャンルというのは、わりと皆さん敷居が高いと思うらしくて、なかなか気軽に入れなかったですよ。 それがタパスだと、リストが100軒位ありまして、どこでも同じような条件で入れてもらえるので、とても行きやすく、私なんか11年間使い放題使わせてもらったのですけれども。一番いいのは、チケット一枚で、 新しい体験、新しい食文化を知る事が出来る事だと思います。どうしても私達和食とか中華とか居酒屋メニューとかの、親しみやすいものに流れるのですけれども、たまにはフレンチとか、 イタリアンだとか多国籍料理を食べたいというふうに思っていたのでそういうイベントが一つのきっかけを作ってくれるという事では、ものすごく嬉しい出来事でした。で、最近の料理界というのは、 昔の徒弟制度の親方制度ではなくてものすごく若い人達が早く独立してお店を出せる環境が出来て来ています。それで勿論徒弟制度もまだあるのでしょうけれども、料理界がそういう意味でいうと若いエネルギーが ものすごく元気になって、その人達がお互いにユニットを組めるというか、昔だったら考えられないですよ。店と店は敵対しますよね、競争相手ですよ。それが仲良く共同でコラボレーションする、それでいろんな事、イベントをしたりとかが出来る。
 胆振東部震災の後も、そういう若い料理人達が集まって胆振東部で炊き出しをやって楽しんで頂くみたいなコラボレーションをする。やっていらっしゃるのですよね。 そういうふうにして今の料理に携わる方々というのは、割合こうフレキシブルで、いろんな事にチャレンジをする気概を持っていらっしゃる方が多いような気がします。それだけ世の中の食が活性化しているというか、 それとそういう方々というのは、生産者の方々とすごく交流が密で、いろんな生産者のニーズを引きずり出すし、生産者が折角つくったものを美味しく提供するし、という事でお互いに良い関係を結びつけるような そういう動き方って、そういう意味で言うと私がグルメガイドを書いた当時から、いろんな料理のお店の在り方ってというのは、変わって来ているなと実感致します。皆さんが一人で知らない街に行った時に、 ちょっと何か食事をしたいなぁと思った時に、どんな店に行ったらいいだろうかと考えますよね、その時にちょっとしたコツがあるので、これは私が今迄に感じた事をちょっとお知らせしますと、 お店の匂いって大事なのですよ。外に漏れている匂い、要するに一番顕著なのは、パン屋とうなぎ屋は広告は要らないって言うくらいですけれども、匂いに惹かれて皆さん入って来ますよね。 それと同じようにいろんなお店にいろんな美味しい匂いがするのですよ。実は鼻をピクつかせて行くと美味しい匂い、「うん、ここはちょっと美味しい調味料の匂いがするから、うまそうだなぁ。」とか。 そういうアンテナの働かせ方も面白いです。
 それからそういうお店を見つけた時に大箱よりも小さな小ぶりなお店、初めて行くのでしたらなら小さな小ぶりのお店の方が当たりが多いです。というのは、料理人の目が届く範囲のサイズのお店っていうのが 大事なのです。あまり大箱になると目が届かないのでちょっと雑になるのですよ。だけど店主の目が行き届くサイズというのは、大切です。それは寿司屋に一番言えます。寿司屋の板前さんの目が届く範囲の箱の サイズのお店は本当に美味しいです。大体当たりです。
 それから、入ったら何処に座るか?入れ込みよりもカウンターがいいですよ。カウンターがある店であれば、出来るだけカウンターに行った方がいいですよ。出来れば店主の前にぽんと座る。そうするといろんな、 どんな料理の取り上げ方をしているか、どんな食材かわかるし、ちょっと聞けるのですよね、「これ、父さん、何?」とか。そうするとコミュニケーションが生まれて、ちょっとしたきっかけで、 仲良くなればじゃあ、ちょっと小鉢がサービスとしてぽっと出てくる可能性もあります。ていうふうにしてカウンターというのはわりと特等席です。一人で行った時のカウンター席というのは本当にいいと思いますよ。  皆さん、よくね、やぁ、ちょっと会話をするのが嫌だからと言って尻込みをする方が多いのですが。何、何、特等席って、すごい席ですから、是非冒険をしてみてください。それからやはり今すごいグルメ情報が 溢れていますよね、それこそ携帯でも「ぐるなび」や何かが、わぁって来ているし、それから書店に行けばものすごい山になった情報誌がありますけれども、まぁそういう情報誌より出来ればミミコミ、 口コミ要するにお友達から聞いたお話しというのが、信頼が出来るし、その人が体験したいいお話であればやはりそのように伝えてくれるからだろうと思います。
 最後になりますが、ちょっとお店屋さんが喜ぶ験担ぎというのがあるのです。それが何かと言いますと、皆さん団体で入る時にもし女性を連れていらっしゃったら、女性を一番先に入れてあげてください、 そうするとお店の方は、「お。今日は客が入りそうだぞ」女性の口開けや、女性の一番客というのは、歓迎されます。というのをちょっと覚えておいてください。有難うございました。」
 続いて第2部の懇親会に入りました。先ず会に先立ちご来賓の本学父母連絡会札幌支部の山口富士男氏から父母連絡会事業活動の報告と当支部の協力に対するお礼と来る2月8日(土)開催される 「2020年中央大学道内就職企業相談会」協力支援のため要請がありました。



 次いで乾杯を兼ねて学員会上田文雄副会長から「ご紹介を頂きました。副会長という役職を押し付けられて今年の7月から毎月東京で正副会長会議というのがあるのですが駿河台の記念館に出かけて 20人位でしょうかね副会長さんおられますか、皆さん方とお話しをしながら学員会はどうあるべきかという話しをさせて頂いております。あまり同窓会の事を気にした事はないのですけれどもよくよく考えてみますと、 私達は本当にあの青春時代のひと時を大学を通過して参りましたように最低4年間いたわけです。私は8年間位おりましたけれども、青春時代の真ん中で青春という事を感ずる事はあまりありません。 青春時代は後からほのぼの思うものというようにどなたかが歌っておられましたけれども、年を重ねて参りますと青春時代というのは懐かしくほのぼのと自分の人生を決めるとても大事な時期だったのだなぁという事を 感ずるようになるのではないのでしょうか、その時を知っている仲間、それが自分を形成しているのだなぁと、そんな事を思いながら日々を過ごすのもとても良い事ではないのかなぁというふうに思っております。
 ホームカミングデーというのがあるのは初めてわかりました。今年は副会長になりましたので、一応何でも出てみようという事で出て参りましたけれども、今日皆さん方にお配りさせて頂いておりますその学員時報、 これもその時の要旨が書いてありますけれども、甲斐中さんという最高裁の判事をされた方と、宗像さんという元名古屋高険検事長をされた方と、理工学部の山田先生とディスカッションをやりましてそれぞれの 大学への思いというのを語っておられました。甲斐中さんに最後に「中央大学というのは、どういう学校でしたか。」というふうに司会者から質問がありまして、その時のお話しは、私はとても印象的でありました。
 「中央大学というのは、つまらぬエリート意識もなければ、つまらない劣等感もない、丁度いい大学だ。」というのが甲斐中さんのおっしゃった中央大学評でございます。私達はいろんな分野で本当に逞しく、 質実剛健、その学風を身に付けて活躍をされているというふうに本当にその時思いました。
 そして、今日お集まりの皆様方の面々を拝見させて頂いても本当に多士済々、本当に元気に活動されているという事を、私もこの大学で学んだ事を誇りに思えるそんな思いがしたところでございます。
 そして皆さん箱根駅伝、石本さんのキャッチコピーではないかもしれませんが、コピーライターですから多分これはとても良いコパーではないかなぁと私は思います。行動する知性。中央大学これで行きましょう。 やはり行動的で知性、行動する、これはとてもいいコピーだと私は思いました。是非皆さん大学で学んで、そして様々な、大学のある事だけでは知性ではありません。そこで得た知識をプールして、 そして経験を重ねるその知性といったものを私達は身に付け、そして社会に貢献出来るそして、家族と共に素晴らしい人生を誇る事が出来る、そんな人生を送るためにこの行動する知性、 中央大学で学んだ事を誇りに思いながら生活が出来る事を嬉しいなぁという事を申し上げまして、乾杯をして皆さん方といい時間を過ごす事が出来ればと思います。ご唱和を頂きたいと思います。 一年間本当にご苦労様でございました。また今日の活力を得て、明日からのそして、来年もまた頑張りましょうという決意を込めて。皆さんのご活躍をご祈念申し上げながら乾杯をさせて頂きます。」
 会は終始和やかな雰囲気の中進み、会員同士名刺交換をおこなったり、日頃ご無沙汰している先輩への挨拶回り、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、久しぶりの再会を喜ぶ姿がテーブルのあちこちで 見受けられました。








 続いて司会より新規入会者のご紹介に移りました。今回新たに会員となった学員は総勢4名で壇上に立ち自己紹介を兼ねてご挨拶を頂きました。


・斎藤 浩太氏(平成16年・法)北海道旅客鉄道(株)


・島田 隆氏(昭和61年・経済) ヤマサ醤油(株)札幌支店


・中村 博昭氏 (昭和57年・経済) (株)北友


・原田 泰行氏 (昭和59年・理工) (株)コンサドーレパートナー

本会の目的は会員同士がより一層親睦・交流を深めるのが目的であり、アルコールが入ったところで恒例のビンゴゲームに入りました。最初はなかなかビンゴ出ませんでしたが、時間が経つにつれて次々とビンゴが出、 最初の表ビンゴ、最後の裏ビンゴで会場は一気に盛り上がりました。ゲームの景品は参加者全員に当たるよう支部で用意したほか、会員各位からのご寄贈もありました。



 最初の表ビンゴは後呂道徳氏(昭和46年・法・石狩市選挙管理委員会)が、最後の裏ビンゴは七戸光司氏(昭和29年・商)の両氏が獲得しました。因みに表・裏ビンゴの賞品は5000円相当の京王ブラザホテル札幌の 食事券でした。



 会の最後は恒例となっている校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入りました。全員がその場に立ち、3番までフルコーラスで熱唱しました。
 最後の惜別の歌に至っては、全員が輪になり肩を組むなどして誰もが過ぎ去りし青春時代への思いに浸っているようでした。
 結びは舟橋副支部長が壇上に立ち参加者全員の「よーい」の掛け声に一本締めで盛会の内和やかに終了し散会しました。
 尚、飲み物・ビンゴゲームの景品の寄贈者は下記の通りです。

(飲み物)
・札幌市役所白門会
(ビンゴゲーム景品)
・檜森支部長、柴田副支部長
・工津輝雄氏(昭和39年・商・)(株)エミック
・島田隆氏(昭和61年・経済)ヤマサ醤油(株)札幌支店
・田代信一氏(昭和56年・文)(株)京王プラザホテル札幌



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令和元年9月10日
第63回ゴルフ大会の開催

 本年度3回目は昨年に続いて北広島市にある「札幌リージェントゴルフ倶楽部トムソンコース」において開催されました。
小樽支部との交流を兼ねた本大会は本年で7回を迎え小樽からは支部長の関口正雄氏(昭和47年・法・関口・鷲見法律事務所)、佐野英昭氏(昭和54年・理工・環境工房(株)代表取締役)のご参加を頂きました。 当支部からは西原幹事長以下15名の会員が参加致しました。
 9月に入ってからも連日30度を超える猛暑が続いている中、昨日はゴルフ場で熱中症の患者も発生しました。当日の最高気温は29℃で事前にゴルフ場関係者からもその旨の情報が入っていましたので、 各自が飲料水等を確保し前半のアウトコースを午前8時半にスタートしました。会場は郊外の山の中で、蒸し暑い日でしたが、時折風も吹き楽しい一日となりました。
 恒例により競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。優勝は当支部の辻田眞氏(昭和45年・法。アウト41、イン45で)が、準優勝は伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKOINC.アウト42、イン41)が それぞれ獲得しました。尚、辻田氏は5月に続いて本年度2回目の優勝、ベストグロス賞は伊藤宏二氏が獲得しました。
 その他ニアピン・ドラコン・大波・小波・平和の各賞と盛り沢山用意し、幹事長から賞品を全員に授与しました。小樽支部の関口支部長からは「昨年の大会は都合がつかず、今年は万全を期して参加しました。」 挨拶、また優勝の辻田氏から優勝の弁、小樽の佐野氏からもご挨拶を頂きました。
 また当支部会員の栗島博史氏(昭和61年・商・日本ユニシス(株)北海道支店)からは「来年も是非参加したい。」旨ご挨拶を頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気の中で進み、次年度の再会と健闘を期して和気あいあいの内に散会しました。今大会の景品の寄贈者は下記の通りです。
(小樽支部)
・関口正雄小樽支部長・松田亙小樽支部幹事長
(札幌支部)
・檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長
・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
・山口潔氏(昭和37年・法・(株)ヤマグチモータース会長)
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)代表取締役)





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令和元年8月30日
第6回中央大学学員会全道支部交流会議の開催

 毎年持ち回りで開催している本交流会議は、今年は釧路が当番で釧路駅前にある釧路ロイヤルイン10階会議室において午後4時より当支部より西原幹事長、 函館より平沼冠三支部長、小樽より関口正雄支部長、旭川より八重樫和裕支部長、帯広より石川政彦幹事長、釧路より名塚昭支部長、岡澤利寿幹事長出席のもと開催致しました。
 会議に先立ち西原幹事長から「平成25年に全道各支部同志の情報交換あるいは交流を図るために作られた会議でございまして、毎年開催しており今年で6回という事になります。 この会議はここで何かを決めるというよりも、支部の連携を図るために懇親する事も大事だという事で開かせて頂きました。」
 続いて名塚釧路支部長から「釧路支部長を務めております名塚と申します。市役所に勤務しておりまして副市長という職務についております。今回釧路で全道支部の交流会議が開催されるという事で 開催に当たっては、西原幹事長には様々お世話をかけたところでございまして。改めてお礼を申し上げたいと思っているところでございます。釧路へ折角来て頂いたというのにお天気の方はばっちり釧路らしく霧が 出て日が出ていない。ご承知のように釧路は二つの国立公園を有しているところで釧路湿原国立公園、最近名称が変わりました阿寒摩周国立公園とここからの距離はそれぞれ釧路湿原の方は30分位かかります。 また阿寒摩周の方には1時間30分位かかりますけれども、釧路は皆さんのところもそれぞれそうだと思いますけれども観光に力を入れておりまして実は長崎、金沢と並んで観光立国ショーケースのモデル都市という事で 様々取り組んでいるところではありますが、なにぶん皆様方のところのレベルも高いという事で、さあ釧路ってどんなところかなと思われているかもしれませんが、短い滞在時間だろうとは思いますけれども 様々楽しんで頂ければというふうに思っているところでございます。
 また学員会のそれぞれの地区でのこの白門会の取り組みをご教授頂ければ私達に取つてもとても励みになるなと思ってとても楽しみにしていたところでございます。皆様方を心から歓迎申し上げますとともに、 今日のこの交流会議とその後続く私共の白門会のメンバーとの交流の方も大いに盛り上がる事を祈念致しまして簡単ではございますが皆様の歓迎のご挨拶といたします。」旨挨拶、西原幹事長の進行で 議事に入りました。

 議案第1号『平成30年度支部活動報告について』
 各支部から以下の通りそれぞれ報告を頂きました。
「函館支部」
 平沼支部長より正直申し上げてあまり派手な事は出来ません。大体似たような問題はどこの支部でも抱えているのでしょう。当支部の会員は名簿上は70〜80名位は在籍をしておりますが、総会、 新年会には20名前後出席を頂いております。
@ 父母連絡会函館支部総会への参加。(7月16日)、(平沼支部長出席)
A 学員会函館支部総会の開催。(8月29日)、(参加人数17名)
B 第5回学員会全道支部会議への参加。(8月31日)、(平沼支部長出席)
C 父母連絡会函館支部新年会への参加。(1月19日)、(平沼支部長出席)
D 学員会函館支部新年会の開催。(2月18日)、(参加人数18名)
E 函館東都リーグ新年会への参加。(2月23日)、(支部より4名)
「小樽支部」
 関口支部長より「小樽支部の活動については、ほぼ毎年同じであり、新しい活動をすることが難しい状況です。学術講演会の開催も検討したいと思いますが、出席者の確保に課題もある状況です。
1 会員について
 本学の卒業生は、小樽、余市、岩内、倶知安に50名以上は住んでいると思われますが、総会の案内については、30名弱にしぼっています。年会費2,000円を納めて頂いている会員は、 30名近くいるため年間収入は50,000円〜60,000円となります。
2 総会について
 基本的には総会が年1回という事で、毎年9月に開催しており昨年は9月14日に開催致しました。開催場所は小樽オーセントホテル。出席者は15〜16名程度の出席者でした。例年は20名強出席頂いております。 特に活動らしい事は何もしておりませんので、独自に出来るというような状況ではなかなかないというのが現状でございます。勿論小樽から本学に入学している学生が何人行っているのかもよくわからない のですけれども。小樽では潮陵高校が一番進学校であるのですが潮陵から本学に行っているという事はあまり聞かないものですから、実情ではなかなか小樽では父母会とかそういったものが出来る状況では ないのだろうというふうには思っております。ただ大学としてという事を含めてほかの大学との連携をしながら取敢えず存続させるという前提で頑張っておりますけれども。
3 活動について
@ 本学、日本大学、北海道大学の3大学によるゴルフコンペを年2回小樽カントリークラブ旧コースで開催されており、団体戦と個人戦を行っています。昨年は6月と9月に開催されております。
A 札幌支部とは、合同で年1回ゴルフコンペを行っておりますが、当支部からの出席者は多くて3名程度です。
B 東都の会が毎年開催されており、昨年は11月9日に政寿司(社長が青山学院大学卒業)で開催されました。
4 今後の課題について
@ 会員が高齢化しており、若い会員の参加がないのが悩みです。しかし小樽市にいる平成9年法学部卒業の会員、倶知安で司法書士をしている会員等が若干おりますので、今後に期待したいと思っています。 また、現在転勤で北海道新聞小樽支局に勤務している会員は、卒業して3年目位ですが、現在声掛けをしております。隠れた若い会員に声掛けが出来ればと思っております。寄付についてもなかなか厳しい状況でして 今申し上げましたように現役を辞めて年金生活になっている方も大分いらっしゃいますのでなかなか寄付を集めて皆さんに協力をお願いをするのもなかなか厳しい状況にあるというのが実情でございます。
「旭川支部」
 八重樫支部長より
@ 父母連絡会道北支部総会への参加。(6月16日)(支部より2名出席)
卒業生による就職アドバイスを井上航氏(平成27年・理工・北陸銀行旭川支店)と託将吾氏(平成30年・商・北陸銀行旭川支店)による進路選択や地元就職後の経過などの経験談の発表を行い、 その後の懇親会で大学と父母会と学員との更なる連携強化に努めた。
A 学術講演会の開催(7月21日)
本学飯尾淳文学部教授による「人口知能の仕組みとは〜人口知能は人間を超えられるのか」をテーマに講演会を開催し市民、学生が約100名の出席がありました。市内の高校や大学への周知の成果により 会場には学生の姿も散見する事が出来た。
B 支部総会の開催。(7月21日)(出席者26名)
C 第30回大学対抗親睦ゴルフ大会。(8月12日)
旭川市在住者の親睦・交流を図るため当支部より4名が中央・獨協大学合同チームとして出場した。
D 第5回学員会全道支部交流会議への参加。
当支部より八重垣支部長、上村幹事長出席
「帯広支部」
 石川事務局長より
@ 支部総会の開催。(6月26日)(出席者17名)
現在本支部の会員は77名おり当日は学員会本部よりご来賓に石塚康夫学員会副会長を迎え開催しました。石塚副会長からは大学の近況報告と2025年の創立140周年に向けての状況報告がありました。
A 本部より助成の「支部活動支援費」を活用して会報4号をカラーA4版で総会等の写真を中心に制作し会員に配布。
B 第5回学員会全道支部交流会会議への参加。石川事務局長出席
C 支部新年会を平成31年1月4日開催。
D 支部創立50周年記念誌作成中
「釧路支部」
 名塚支部長より口頭で報告「資料がなくて申し訳ありません。本日はこの後会場を移動して当支部の総会を懇親会場で行うため総会の資料は後程お配りします。 本当に皆さんの一所懸命やられているのに比べてあまりやっておりません。事業としては総会を8月に、新年会を2月に行っております。名簿登録の会員は100名位いると言われておりますが、 何時も出てくるのは12〜13名です。毎年やっているわけではないのですが、取り組みの中では実はここの地域はアイスホッケーが盛んなところでして、中央大学へはアイスホッケーの推薦で入学している学生が 必ず何人かおりまして、インカレが今年も釧路でありますけれども試合がある時には有志を募って応援に行く事があります。
 また父母連絡会の方へは支部長が出席する習わしという事で、行くとほとんどアイスホッケーです。推薦入学したなと思われる学生の父母だけが集まっている。そこだけが仲良くなってしまって帰り際に 父母が市役所を受けるので、筆記試験に通ったらよろしくね!と余計なことを言われたりします。その心配もあります。あと、非公認なのですが市役所の中に白門会というものがございまして、 OB含めて実はそちらの方の勢力が結構ありまして15人位おります。毎年ゴールデンウィーク前のところで人事異動があるのでそのあたりで集まるという事です。 今日もそのうちの何名か市役所の職員と市役所のOBが出てくるという。
 非公認の方も続けていた方がいいのかよくわかりませんけれども、市役所の白門会と名乗っているようです。皆様方の取り組みを参考にさせて頂いて少し活発化していきたいなと思っておりますが、 年齢層がどういう人かというのも今日懇親会に出て頂けると事程お判り頂けるかなあと思っております。よろしくお願いいたします。
「札幌支部」
 西原幹事長より別添の「平成30年度事業報告書」に基づいて報告を行いました。会議終了後は市内にある浜番屋で開催の支部総会に合流しました。
 懇親会場では釧路名物の炉端焼きを囲んで美味しい地元で捕れたカニ・エビ等の新鮮な魚類を自分で焼き、ビール・地酒等を飲みながら、大いに釧路支部会員との親睦・交流を図る事が出来ました。






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令和元年8月1日
令和元年度支部定時総会の開催

 連日蒸し暑く厳しい暑さが続いている最中午後6時よりホテルオークラ札幌2階「フォンテーヌ」において本学本部から酒井正三郎総長、 学員会本部から大木田守副会長、前任の小畑悟東北・北海道担当副会長の後任として本年6月就任された上田文雄副会長、学術講演会講師の加賀野井秀一中央大学理工学部教授、 中央大学父母連絡会山口富士男札幌支部長をご来賓に迎え檜森支部長以下100名の会員が集い開催されました。





 約2時間30分お互いの近況を語り合いながら母校の更なる発展に向けて奮闘を誓い合いました。
 司会進行は西原幹事長が行いました。議事に先立ち支部長から「本日は暑い中、お忙しい中、たくさんの皆さんにご出席を頂きまして有難うございます。私は特に難しい事は言いませんけれども元気で、 明るく、仲良く学員会活動をやっていこうという方針で就任してから頑張っているつもりでありますが、日頃皆さんにはゴルフ同好会も含めて大変ご協力を頂きまして有難うございます。 本日は中央大学から酒酒井正三郎総長に、学員会からは大木田守副会長、上田文雄副会長、それに本日午後2時30分から開催の学術講演会の講師としてご出席頂きました本学理工学部教授の 加賀野井秀一先生にもご出席いただきました。また日頃支部活動で大変お世話になっております中央大学父母連絡会札幌支部長の山口富士夫様にもお越し頂いております有難うございました。」
 続いて下記の学員物故者に対する黙祷を行いました。
・吉田 功次郎氏(昭和28年・法・元副支部長・平成31年1月23日死去)
・宮田 正氏(昭和30年・商)
・堀北 朋雄氏(昭和30年・法・名誉支部長・平成31年4月28日死去)
・直井 皖氏(昭和41年・商・平成31年4月29日死去)
・浜田 正由(昭和35年・経済・平成26年11月27日死去)
 次いで議事の審議に移り支部会則第10条3項に則り支部長を議長に第1部の総会に入りました。
 第1号議案「平成30年度事業報告並びに収支決算報告について」
幹事長から別添の資料に基づき報告し、次いで会計監事の松浦 覚氏(昭和48年・商・マツウラ企画・代表)から監査報告があり諮った結果異議なく承認されました。
 第2号議案「令和元年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
幹事長から資料に基づき説明し諮った結果異議なく承認されました。



 続いて第2部に入り舟橋健市副支部長(昭和47年・商・舟橋公認会計士事務所)の乾杯の音頭で懇親会に入りました。















 しばらく歓談の後新規入会者の紹介に移りました。今回新たに会員となった学員は総勢11名で壇上に立ち自己紹介を兼ねご挨拶を頂きました。


・岩田 邦彦氏(平成2年・法)サッポロビール(株)北海道本社


・植田 光一氏(平成19年・商)札幌監査法人


・江守 秀次氏(昭和54年・法)(株)チケット科学研究所)


・栗島 博史氏(昭和61年・商)日本ユニシス(株)北海道支店


・佐鳥 広久氏(昭和59年・商)サンプラス(株)


・土田 史氏 (平成24年・法科大学院)札幌第一法律事務所


・中原 圭佑氏(平成19年・法)中原圭佑公認会計士事務所)


・中原 悠氏 (平成19年・理工)青葉国際特許事務所札幌事務所)


・矢部 隆明氏(平成15年・経済)緑豊建設(株)


・山口 統氏 (昭和57年・商)  (株)東洋札幌営業所


・山本 明香梨(平成29年・商)札幌市財政局西部市税事務所

 続いて酒井総長から「本日は中央大学学員会札幌支部平成元年度の定時総会の開催誠におめでとうございます。また総会懇親会という事で、このような栄えある御席にお招きいただきました事 誠にありがとうございます。



また本会から平生より大学として様々なかたちでご支援・ご協力を賜っております事、学内関係者を代表致しまして衷心より厚く御礼申し上げる次第でございます。 さて只今ご紹介の通り大学の近況をという事でございますので折角貴重な機会を賜っておりますので大学の近況報告を兼ねて現在全学として展開中の中長期事業計画「Chuo Vision 2025」これについて 少しお話しをさせていただきたいと思います。
 今日頂きました資料の封筒の封入物の中に「One Chuo」というものが入ってございます。これを見ますと現在中長期事業計画で通称四本柱というふうに言うのですが新学部、学部申請する、 キャンパス整備計画、グローバル化の推進、スポーツ振興いずれもこの中に詳しく展開書かれてございますので、私の方からは皆さんが恐らく一番関心がおありかなあと思われます キャンパス整備計画と新学部について少しお話しをさせて頂きたいと思います。
 キャンパス整備計画で一番最初に申し上げるべきは法学部の都心展開でございます。2023年に法学部の2年生から4年生まで茗荷谷の方に移転を致します。次いで一年遅れで1年生につきましては、 後楽園キャンパスの近隣に土地を取得するか後楽園キャンパス内になるか今検討中でございますけれどもそちらの方に移転する予定でございます。で現在市ヶ谷で展開中のロースクールでありますが、 これは駿河台記念館の方に移転を致します。そのために駿河台記念館は本年11月をもって閉鎖をし、来年1月から取壊しを行います。建て替えます。現在駿河台記念館は7階建てでありますが竣工なったあかつきには、 2023年に竣工の予定でございますが、18階建て高さ94メーターの高層ビルになる予定でございます。フロアー面積もそれなりに増大し5割方面積が増える予定でございます。その間学員会の皆様には少し、 代替え地は既に確保してありますのでそちらの方にお移り頂く事になりますけれども、いろいろご不便をおかけしますが、数年間ご寛容のほどお願い申し上げたいと存じます。
 それから多摩キャンパスでありますが、多摩キャンパスはモノレール以外の駅を中心にして今再開発が進んでございます。大規模な国際教育寮、これは外国人留学生と日本人が一緒に入る混住型というふうに 呼んでおりますけれども、混住型の寮を建設中でございます。それからそれに隣接してグローバル館。これは日本人の学生と海外の学生がいろんなかたちで交流を行うための施設でございます。 これは来年の4月から共用開始の予定でございます。それからもう一つ学部共通棟というふうにいいますけれども、これはモノレールの駅を出ますと右手の方に黒い煙突が2本立っているのが見えるかと思いますが、 あれはエネルギーセンターと言いまして今はほとんど使っておりません。これを解体致しましてここに大規模な学部共通棟というものを建てる予定です。これは2021年に共用開始という事でございます。
 それから新学部についてでありますがこれはもう既に皆様ご案内の事と存じますが、中央大学1993年の総合政策学部開設以来26年振りに二つの学部を創りました。国際経営学部と国際情報学部でございます。 国際経営学部の方は定員300名で多摩キャンパスに作ります。それから国際情報学部の方は定員150名で市ヶ谷田町キャンパスに、かつてここにはアカウンティングスクールというのがございました。 中央線で市ヶ谷と飯田橋の間でお堀端の向こう側に高いビルが見えると思いますが、それが市ヶ谷田町キャンパス、中央大学と上に書いてあります。そこで授業を展開する事になっております。 国際経営学部の方は授業の7割あまりが英語で行われる、それから短期留学全員の短期留学が、アメリカへの留学が義務付けられるこういう学部でございます。国際情報学部につきましては、 これは情報イノベーションとしてのテクノロジーがだいぶ進んでいるのですけれども、情報についての規範でありますとか法律でありますとかこういう分野というのは大変遅れてございます。 従いましてツールとしての情報をどういうふうに規範化し、また法規制をかけて個人のプライバシーでありますとかあるいは組織の機密でありますとか、そういったものを守っていくかというふうな事を 使途として趣旨・目的にして創られた学部でございます。国際経営学部、国際情報学部共にいずれも他大学に類例がない学部という事でこの春に行われました入学試験では受験界からは大変な好意を持って 迎えられました。両学部あわせて都合450名でありますがここに受験生が12,000名殺到致しました。国際情報学部の志願者倍率60数倍、国際経営学部の30数倍、私共が主だった私立大学を言う時には、 早・慶・上智それからマーチーと言われる大学群それは中央・明治・法政・立教・青山であります。それから関西の関・関・同・立この12大学をいろんな授業料でありますとかいろんな比較の対象にする 大学としてよく言及致しますけれども、この12大学の今年度の学部別入学試験の入試倍率ではダントツの1位と2位でございました。中央大学全体と致しましても、今年度は93,000名の志願者を集めまして 本学の歴史上初めて90,000名の大台を超えました。但しこれは新学部効果というべきものでございましてその他の学部は定員規制厳格化の影響で数パーセント減らしてございます。但しこれは本学だけが 一人という事ではございませんので今申し上げました大学全てが同じ位の割合で減らしてございます。だいぶ今私大の難化という事で定員が絞られてきていますから、その分だけ難しくなっている事で やや忌避されたという所があるわけでございます。 来年は何とか新学部効果を維持しながら100,000人の大台を狙いたいという事で考えているところでございます。こういうふうな事で中長期計画、 2016年に始まりまして本年で10年計画の4年目でございます。これから更に計画の後半期、更には次の事を考えた時にここ2〜3年の100,000人期が大変大事な時期ではないかと考えております。 陸上競技の三段跳びに例えればホップ、ステップ、ジャンプのステップの段階である次の大ジャンプに向けて力を蓄えながらも姿勢を揺るがすことなく前進をしていく、このような段階であると考えております。 世上で言われます通り18歳人口の減少期でありますとか、あるいは働き方の多様化でありますとか、いろいろ言われてございます。
 野村総研がイギリスのオックスフォード大学のオズボーン教授のアルゴリズムで造った計算した結果によりますとあと20年内に9割の確率で49%の職種が変わっていく、無くなっていく、 変化していくという事でございます。 そういうふうな事になりますと、当然イカレント教育が必要になってくるわけでありまして、このような経済社会の変化に合わせて我々も改革を考えていかなければいけないと考えているところでございます。 そういう意味でこの「Chuo Vision 2025」のビヨンドを考えた時には、今言ったような経済社会の変化を折りこんだ改革にしていきたいというふうに考えておりますので是非札幌支部の皆様方におかれましては、 従前同様のあるいは倍旧になるご支援ご協力のほどお願い申し上げたいと存じます。さてここまでがご挨拶でございます。
 この後ひと言必ず申し上げなければいけないのが実は本日大変丁寧にもこういう案内が封入されているかと思います。これは言うまでもなく募金のお願いでございます。本来はこれを広げてちゃんと読み上げて 紹介するようにという事で理事会では言われておりますが、本日は皆様方お一人ずつのところにこれが配られてございますのでそんな無粋な事は致しません。是非この大学として意のあるところ所をご賢察を賜り ましてこの面でも従前同様のご協力の程お願い申し上げたいと存じます。」

 続いて学員会の大木田守副会長から「只今酒井先生から大きく、多く中央大学の近況が報告されました。私はこの3年間が中央大学の正念場だとこう思っております。私は学員時報発行の編集責任者をしており ますのでこの事について報告をさせて頂きます。



今回は5月に行われました全国支部長会議、そして総会の記事が載っております。学員会の役員が改選をされまして久野会長が再任をされました。副会長20名も 誕生致しました。本日は金井大先輩もご出席されておりますが東北・北海道は今まで小畑さんが副会長でありましたけれども、この度東北・北海道を担当する副会長に上田文雄さんが就任を致しました。 それで学員時報にはその時の様子がいろいろと掲載されておりますので是非お読み頂きたいと存じます。私はこの学員時報を学員会の鼓動が伝わる新聞にしたいと、破けば血の出る生きた紙面にしたいという事で 力を入れて編集をしております。是非皆様からいろんな声をお寄せ頂ければ「白門ひろば」というところでご紹介をさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。
 それからもう一つ私はこの5年間中央大学の「ホームカミングデー」の実行委員長を行なっております。「ホームカミングデー」というのは、来年東京オリンピックがありますが、オリンピックは世界最大の スポーツの祭典ですけれども「ホームカミングデー」は57万卒業生の最大の祭典であります。今まで27回多摩で行ってまいりましたが、今日は加賀野井先生もいらっしゃいますが理工学部は今年70周年、63,000名の卒業生がおります。それで今回「ホームカミングデー」は28回ですけれども、是非都心で一度やって頂きたいと札幌から行きたいんだと、多摩までは遠すぎるという要望がありまして28回で初めて 後楽園校舎を中心に理工学部70周年を祝う記念のそれから法学部の都心移転決定を記念して9月29日(日)に行います。是非札幌から飛行機で来れば、東京から多摩へ行くよりも速く着きますのでよろしく一つ お願いしたいと思います。でこの内容もるる出ております。今回は皆さん後楽園の東京ドームホテルで中央大学の夕べというのをやります。この夕べはホテルの「天空」というところで800〜1,000名中央大学の絆を 確認する会です。これは申込が必要ですのでお配りした学員時報の中に詳細が記載されております。昨日東京都の小池知事にも「ホームカミングデー」へご招待のご案内をしたところ、是非喜んで出席しますと ご返事を頂いております。その他二階幹事長はじめ今回群馬県知事に中央大学出身の山本一太さんが当選しましたのでそういう多くの来賓の皆さんを呼んで「ホームカミングデー」を行いますので是非よろしく お願いします。いよいよ来年は中央大学の創立135年であります。大きな節目を迎えております。どうぞ札幌支部の皆さん益々ご活躍されます事を心から御祈念申し上げ挨拶といたします。」

 続いて上田文雄東北・北海道担当副会長から「6月から学員会本部の副会長という大役を仰せつかりまして過日初めて学員会正副会長会議というものに初めて出席させて頂きました。



大学の変わりようというのは本当にすさまじいものでございまして私が入学したのは昭和43年(1968年)でございます。70年安保の風が吹きすさぶそんな駿河台本当に学生が沢山いてごみごみした街でありましたけれどもさすがにお茶の水から 聖橋まで駅前の所はごちゃごちゃのあのままで懐かしいなと思いますが、お茶の水を下っていきますと本当に大きなビルが沢山建っている中で学生らしき者が駿河台下から御茶の水駅の方へ向って歩いて来る 沢山の若者がおりますけれどもその中に中大生がいないというのがとても残念に思った次第でございます。大学が新しくなって国際的になる社会経済の動きの中で変容していくという事はやも得ない事があるかも しれませんが競争という事が本当にいいのかどうなのかという事も私は少し考えなければならないなあと私は思います。
 中央大学は私共の時代には「大学数え歌」というのは皆さんご存知ですか、「一つとせ、どこどこのなんとかせ」中央大学は5番目ですよ、五つとせ何時も神田でたたみうりバイトする奴は中大生、 要するに貧乏学生の集まりが中大だったのですよ。金がなくても勉強したい奴が中央大学に集って皆で励ましあって頑張ろう!それが中大の精神だったのですと私は思っております。ですから皆さん、先輩方、 寄付をするのは結構です、いい建物を立てるのもいいです、だけど貧乏を超えている大学に行けそうもない奴に我々が少しの、少しの金を後輩のために使うそんな大学で僕はあって欲しいなあとそんな事を思って 帰って参りました。3年間任期ございますけれども、そんな中で本当に学生達が中大の魂を先輩から後輩にそして世界に還元していくそんな素晴らしい中央大学そして学員会の姿である事を心から祈念し微力を 尽くさせて頂ければと考えております。ありがとうございました。」

 続いて加賀野井秀一先生から「先程はお付き合いいただきありがとうございました。スマホの素晴らしさというものは当然皆様お分かりでしょうから、スマホの影の部分だけをお話ししましたけれども、 ああいったものが多少ともお役に立てればと思います。



今日の今のコンテストの中から考えますと、総長が中央大学を素晴らしいものにするために一生懸命頑張っていらっしゃるのですが、 わが理工学部は法学部がこちらの方へ移って来た時にいったい理工学部の体制はどうしてくれるのだなんて事で文句をいっぱい言って総長を困らせていたというのが我々の立場でした。 しかしまあ非常に良いところで法学部と理工学部もだんだんと落としどころに上手くはまるようになって来て、そうする結局中央大学の都心キャンパスでの展開というのが非常に良くなって来ているというような ところから、それからこれから先程のスマホじゃないですけれども様々な職種というものが、ここから何十年かの間に完全に変わっていくという、そういう時代が来ていると思います。
 そこに合わせるために中央大学がいったいどういうふうにして生き残っていくのかというのはこれ非常に重要な問題で我々理工学部も反対ばかりはしていないで、ここで良い将来を見つけていきたいと思っています。 これは結局のところ全学部が頑張ってやらなければならないところへ当然ながら学員会の皆様方の手助けが必要になってくるという事でありまして、先程の総長のお話ではないですけれども出来るだけ我々に対して どうぞよろしくお願いいたします」
 懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み会員同志名刺交換をし、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や久しぶりの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。






 会の最後は校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入り全員が輪になり、肩を組みあってそれぞれ3番までフルコーラスで熱唱し、会場は最高潮に盛り上がり出席者各位は過ぎし学生時代へ思いを馳せている様子でした。
 結びは平野正明副支部長(昭和60年・経済・北海道教育庁 教育部長)が壇上に立ち参加者全員の「よーい」の掛け声により一本締めで盛会の内和やかに終了し散会しました。



・(飲物の寄贈)
・札幌市役所白門会
・岩田邦彦氏(平成2年・法・サッポロビール(株)北海道本社))より懇親会へ、ビール5ケース



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令和元年8月1日
中央大学学術講演会の開催

 中央大学主催、学員会札幌支部・中央大学父母連絡会札幌支部共催、札幌市教育委員会・札幌商工会議所・(協)中小企業振興センターの後援による 本学学術講演会が午後2時から北海道経済センター8階Aホ−ルにおいて開催されました。
 講師に加賀野井秀一氏(本学理工学部教授)を迎え「ケータイ、スマホで『思考力』があぶない ―便利ツールの負の側面を考える―と題した講演に札幌市民、札幌商工会議所会員、学員、 父母連絡会札幌支部会員134名が熱心に聴講されました。講演に先立ち舟橋健市学員会札幌支部副支部長の開会の挨拶に続き講演に入りました。
「ご紹介に預かりました加賀野井でございます。よろしくお願いいたします。皆さんほとんどの方が携帯、スマホをお持ちだろうと思います。 今日はしかしながらそれが如何に便利であるのかそれは皆さんが身をもってご存じでしょうからむしろそれの負の部分、闇の部分これをちょっとお話し申し上げておきたいなと思います。
 皆さんのお手元に配って頂いておりますパンフレットですが、ここのところは本当に私のメモ書きのようなかたちでずうっと並んでおります。 これを今から大体順に従って申し上げていこうと思うのですが、先ず15年位以前にもう既に私達は若者達の言葉があぶないというような事を考えながら全国いろんなお話しをして回っておりました。 その頃はまだ携帯というだけの事でしたけれども、その後急速にスマホというものが出て来てますます便利になって最早コンピューターもいらない要するにスマホだけあればいいという位の 時代になって来ています。それを私の考えはその15年前からちっとも変わらないで負の部分が沢山あるなと思いながらお話ししているのですが、今ご紹介に預かりましたように私は専門を 第二外国語としてフランス語を教えるこれで中央大学に入ったわけですが、しかしながらアールディ生から毎年教えているだけでは面白くないのでだんだん私の本分であります言語学とか、 哲学とかそちらの方に力を入れて残念ながら中央大学では哲学は教えられないのです。どうしてかと申し上げると、哲学の先生は他にいらっしゃるので職場を荒らしてしまう事になります。 ですから哲学だけは早稲田とか法政だとかあちらから呼んで頂いていた所でお話しをする事にして、しかし中大の中でもだんだんとメディア論とか、言語非業論とかこういったところで職種を伸ばしております。 というのはやはり問題はどうも様々なところに潜んでいるなと考えられまして皆様例えばフランスというところで何か政治的な問題が起こった時に高校生までが街中に出て行ってプラカードを掲げて ワイワイと声を上げている。これをやるのがフランスの高校生なのですけれども日本ではそんな事はまず考えられないというのがございますね。
それから言語学、哲学、メディア論というのをやっていてもどうも言葉というようなものをどれほど武器にして戦えるのかという話になりますとどうしても日本の場合は弱いのではないのかと度々感じておりました。 そんなわけでまあそこに例えばスマホというものがどんなふうに関係してくるのかこれも今日お話ししたいと思っております。
 先ず、最初に実は先日ウイーン大学から橋先生という日本人の先生が帰っていらっしゃいました。このウイーン大学へ、実はこの方は女性なのですが、 彼女はもともとウイーンに行ってピアニストになろうと思っていったのですが、ふっと気が付いたら哲学の教師になって向こうで教えていたのですね、それが久しぶりに日本に帰って来て向こうで考えている 大問題を二人でいろいろと調べてきたのですが、何しろ日本へ帰って驚く事はみんながスマホに向って電車の中でも、たいがい席の一列を見れば全員がスマホをやっているこういう状況ですね。 これはどうしても気持ちが悪い彼女が言っているのです。
 実は今私の息子が、アフリカのケニアにおります。ナイロビである仕事をしているのですが、この息子もたまあに日本へ帰って来てやはり日本は固まってスマホをやっていて気持ちが悪いというのです。 私も実は私は自分自身の事を在日日本人と言っておりますけれども、つまりどういう事かと言いますと、日本の国内に居ながらどことなく居心地の悪い部分がある。いずれにしても私はとこかで 不思議に我が国の独特の雰囲気というのが逆カルチャーショックとして見えてくるようになりました。それはつまり皆さんが外国へいらっしゃる、そして一年、二年と住まいをされると大変な カルチャーショックを受けてしまいます。
 しかしながら今度は一年、二年向こうに慣れてきて久しぶりに日本に帰って来るとえーなんだろう、変な感じがするのだけれども、ちょっと日本のこういうふうなところって落ち着かない、 いろんな事が逆に出てきます、これを逆カルチャーショックと私は呼んでいます。私はもう何度も、何度もフランスに住んだりしましたので、その逆カルチャーショックを何度も受けました。
 そして結局のところ私達生まれ育った日本で日本の特徴が解るためには外部を介さない事にはなかなかわからないという事に気が付きました。 ですから在日日本人としての私の話しをどうぞ今日少しお聞きいただければと思いますが、先ず何しろウイーンから帰って来た橋さんという方、私の息子、私といろんな事の考えをまとめてみると、 どうもスマホというものかかなり大きな問題になっている事に気が付きます。さあそして思い出しますのはもうずいぶん前になりますが、2015年2月の朝日新聞の記事ですけれども、非常ににぎわした記事で、 みんなが衝撃を受けたのが「女子高生のスマホ利用、1日7時間 2割がトラブルを経験」こういう見出しの記事がありました。この頃に女子高生が1日に7時間スマホを使っている、すごいね!と 言っていたのですが、ところが今如何でしょうか、皆さんの周りでスマホ中毒みたいになっている人が1日7時間じゃあとてもすまない、これが病に倒れるというような事も出て来て結構問題になって それが社会の表面にはそれ程出ませんけれどもかなりの問題になっています。そこでその証拠にという事なのですが、あのアップルがあの会社がそのスマホ依存症防止ツールというものを出しました。 これ「スクリーンタイム」というものですが結局これはスマホのアプリを使う時間をこれ、これ以上に使うとそれがもう使えなくなるというようなアプリを席巻するというアプリというようなものを 創ったのです。それによって子供さんがスマホを使う時間をご両親がコントロールする事も出来るというよう事なのですが、なかなかこんなものがそう簡単にうまくいくはずがないと思います。
 ですからいずれにしてもこれは逆に言うとスマホの問題が実は表面化している事の私は裏付けになると思います。それだけの事なのですけれども。そしてそこから出てくるのが「ケータイ依存症」、 「スマホ依存症」、そしてこれは一体どういった所で現れるかというと夜間遅くまで、大学なんかの授業中にも、メールとかそれからラインを確かめるとかこういった事をやらないと気が済まないという 話し。確認依存症とでも言いましょうか、そういうふうになっています。
 そしてメールが自分にやって来るとその友達のメールを読んだとするとかあるいはそこで返信をするとか、これをしないといられないという非常にしつこい、何と言うのでしょうかね強迫観念というものが 出て来てしまう。そしてそこから当然みなさんよくご存じのネットいじめとか、出会い系サイトとかいろんなところに問題が出て来ます。
 私は去年ナイロビに行ってタンザニア、エチオビア、ケニアずうっと回って散々楽しんで参りましたけれども、最近面白いのはサハリへ行っている時に私達のジープ(ランドクルーザー)を運転して くれている人がマサイ族の出身なのですね、その彼がぱっとポケットからスマホを取り出して「えーと、そっちの方に豹は現れているかなあ!うんそれじゃあそっちの方へ行くから」お互いにみんなスマホで 連絡を取り合いながらそのマサイ族の人達が我々を案内してくれる物凄い世界です。
 それから皆さんはあまりお気付きじゃあないかも知らないけれども、日本では「ぺイ・ぺイ」だとか何とかの決済でこの間からずうっと有名になってきておりますけれども、アフリカは今ケニアでは ほとんどお金が何も要らない全部そういう決済なのです。ですから日本より進んでいるのです。こういう不思議な状況等をやりながらしかしどうもウイーン、パリ、ケニアとこれと日本とは違うという事が もう一つ気づきました。それは何かと言いますと彼らが使っている使い方というのは、彼等の日常のあり方のそのまま延長で例えばフランス人が使うスマホの使い方というのは、先ず電話でお喋りなのですね、 みなさんはフランス人をご存知ですか、もう喫茶店で何人かが集まればわいわいやってそこにもう何時間でもいてお喋りしている事が楽しい。私は口裂け男と口裂け女と彼等を呼んでおりますけれども、 何しろ朝から晩までお喋りをする事が彼等の生き甲斐なのです。ですからそういうところで別れてそれじゃあまたね!といって別れた後もまた電話を掛け合ってわいわいと、それはひどいのはバスの中でも 列車の中でももうあたりかまわず使うというのが日本のマナーに比べると、もうちょっと静かにしてくれよ!と言いたくなるのですけれども、それでも彼等は案外健康なのはつまりお喋りの延長なのですね。
 ところが日本の場合はそうではありません、大抵がそこへ向かって例えばゲ―ムをやっているそしてラインも確認しているそしと料理か何かのあるいはレストランを次々に検索をしている、 こういった事が大体中心であってお喋りの延長とかそういったものではないのです。非常に静かではあるのですけれども全てみんながそこへ向かって集中している、こういうふうな使い方が違いがあるかな! という感じです。言うならばメール・ライン・ゲーム対会話という事なのです。会話というのは実はそういう媒体を使おうが使いまいが、人間的な関係には非常に大事なものだという事を今後考えていきたいと 思いますけれども。
 先ずそして今のような日本のあり方ですと、その次にやってくるのが皆とイヤホンあるいはヘッドホンをつけてそしてスマホをいじっているこのスタイル東京では非常に多いですね。 つまり自分の好きな音楽を聴きながらスマホをいじって誰かとラインをやっているこういう形になってくる。これは一体どういう事かというと繭の中、コクーンの中に自分を閉じ込めてくというこういう スタイルだと思うのですね、つまり外界をシャットアウトしながら自分自身の中に別世界を作っていくわけです。これは一つ逆に言うと非常に大きな問題になるのではないかという事なのですね。
 これどういう事になって来るかというと、周囲への認識がどんどん低下します。身の回りへの好奇心が無くなってきます。そして現実感覚が無くなってしまう。そして社会性とか社交性というものも 一般的に失ってしまう。これをひと固まりに考えて頂きたいと思います。これ実際にやってみるってタイトルにしたら。私実際にもう自分自身で体験しております。それを耳へ当てておいて何か音楽を聴きながら 自転車を走らせ、自動車を走らせずいぶんと注意力が落ちてきます。これは皆さんもお気付きだろうと思います。
 それから例えば面白いのは東京のような満員電車の中に皆が乗る時に、コクーンの中に入って音楽を聴いているそして周りの音などもほとんどシャットアウトして、 そうすると混んだ人込みの中に誰かが急に入って来て「すみません」と言いながらその人をちょっとだけ押したとしてもその人には聞こえないのです。そうするとその人が突然押してきた「なんだよ、こいつ」と声がかかる。
 つまり本来だったら人間が非常にヒューマンにやり取りをするような空間が完全にそれで分断されたものですから、ちょっとした何かの事柄が侵害するという現象になって来てそしてむかむかっときて、 そして皆の間にストレスがどんどんたまってゆくというスタイルが出来てくるわけです。
 ですから結局のところ誰かがぶつかっても結局怒りがどんどんたまってゆく、それから横からスリが寄ってきてすっと取られてもなかなか気づきにくい、おかげで皆さんご存じだろうと思いますけれども、 パリで一番被害にあっているのは恐らく日本人だと思います。なんて言うのでしょう日本人ってそういう面では平和でそして素晴らしい社会が周りにありますから、皆さん方後ろのポケットの中にお財布が半分顔を出した ような感じで突っ込んで東京なんかでも平気でエスカレーターに乗ったりしているわけですよね、あんな事をパリでやろうものならあっと消えて無くなる。何かの物をちょっと下に置いて目を離しているすきにぱっと消えて行く。 こういうのが普通ですよね。こういうような世界の常識が日本での非常識。逆に言うと日本の常識が世界では非常識になる。よく言われる事なのですけれども。こういうふうにして結局身の回りに対する注意が、 物凄く我々にとっては散漫になっている為に世界で狙われる。
 その時に私は面白いなと思うのは、私はもうフランスには慣れっこになっているつもりでおります。でも見るからにそういう怪しげな連中が私を狙ってくるのです時々。その狙ってくるのはどうしてかというと、 そんな事をやっても無意味だよとか格好を付けてフランス語で応える。でも向こうはフランス語を解さないような諸外国人なので上手くいかないのですけれども、いずれにしても狙ってくるという事はどういう事かと言うと 「日本人らしいな、あれはやれる。」こういうようにですね。ですからいくら向こうに慣れている日本人でもしょっちゅう気をつけていかなければならない。さあそんなふうな事を考えていくと結局我々が周りに対する いろんな事柄をしていてそれが非常に危険な状況になるという事です。これは一般に身の回りの事がちょっと無感覚になるというだけではなくて、実はこういう事柄をずうっと繰り返している間にいつの間にか社会の雰囲気を 察知するとか、それから最近ファッションがああこんな風に変わって来ているのだなあ。
 例えば景気のいい時はミニスカートが流行って、景気の悪い時はロングスカートが流行るのだなあとか、 こんな風な事柄もよく言われたのですけれども、こんな事にも気が付かなくなる。そして例えば電車の車内でお化粧をしている女性だったら昔は驚かれていたのですけれども、最近は何も驚かなくなって傍若無人にいろんな事をやる。 そして電車の中で飲み食いを行うは、捨ててはこんな風な感じになってきている。 これは結局コクーンの中に入って対社会的な感覚をどんどん失っていくショックだろうと思うのですね。そして結局これはひと昔前から流行っている例えばマイカーに乗ってパジャマ姿で、ジャージ姿でマイカーに乗って コンビニに買い物に行くというような事がもう10年以上昔からずうっと行われて来ています、これも要するに外へ出る時は、ある程度の格好をしていかないとねという事がどんどん失われていく症状だと思うのです。 まあそんな風なところを、さあっと眺めて頂いて現在のスマホを取り巻くところから一体どういう事柄が起こっているか、これを一般論として少し述べていきます。ここで電話の歴史を辿っていきたいと思います。
 それでは皆さん一つだけに集中して考えて頂きたいと思います。一番最初のところに呼ぶという字を書いておいてその後へ漢数字の六二・三八四五と書きました。こんなのはアットランダムにただ考えた事なのですけれども、 この呼ぶという字が頭にくついてその下に電話番号が付いてなどという事柄がお分かりになる方はこの中にどの程度いらっしゃるでしょうか、恐らく私の年頃以上の方じゃあないとご存じないだろうと思います。 今そうですね五十代の方はおわかりになるだろうかという位の所でしょうね、つまりこれ若い方はきょとんとしたような感じに勿論なられるでしょうけれども、無理もありません。いまやもう一人に一台という電話の時代ですけれども、 電話が一番最初に我が国で普及し始めた頃呼び出し電話というのがありました。これがその呼ぶという一番最初になるのですね。
 これは昔の私の小学校時代なんかの学校のPTAの名簿みたいなやつを引っ張り出して来ると、典型的なのですけれども上にぶよ、ぶよとハンコみたいのが押されてそしてその下に番号が並んでいるのがいっぱいあります。 これは何かと言うと、かつて電話が日本に普及し始めた頃、まだ一家に一台なんかは夢のまた夢というような時代がありました。私なんかこれを言うともう年が分かってしまうので困りますけれども、 私は東京タワーが出来ているのを横目で見ていた時代があるのですね、皆さんはエッフェル塔がずうっと出来ているのを1900年代の不思議な写真でご覧になった方もおありになるかと思いますが、 東京タワーもなかなかたいしたもので今や歴史的なものになりました。だんだんと出来ていく、これを私は小学校の一年生の頃に眺めていました。丁度芝西区巴町というところに引越した時で、 私は高知県の出身なのですがその当時だけ東京に住んでいたのですね、これを云うともう学生達が、「えー!そんな時代があったのですか、先生化石!」なんて言われるのですけれども、まあ甘んじてそれを受けるとして、 そんな時代から我々がやっていると電話というものはまさにそんな東京タワーの時代ですね、丁度私が住んでいた芝西区巴町の中に巴小学校という今は廃校になりましたけれども、 日本で一番古い小学校の一つでそこの学校へ行く迄の一角の所が私達の町内会です。
 ところが町内の中に一人だけまあ裕福なお医者さんがいらっしゃったのですね。そこのお医者さんの所に初めて電話機というものが入りました。「うわー、電話機触らしてもらいたい」というようなそんな時代があったのですけれども、 その時に実はその近辺の人達が万が一国元であるいはどこかお里でご両親に何か一大事があった時、その時にはこのお医者さんの所に掛けてそしてまあ例えば近所の人間を呼び出してくださいというこういうシステムを作り始めたのです。 ですから結局のところその呼び出しというふうに書いてある下に書かれている電話番号は、その人が持ち主の電話ではなくて一町内の中の有力者が持っている電話番号であって何かがあるとそのお医者さんの奥さんがバタバタと飛び出して 来て「加賀野井さん、お里からお電話よー」なんて呼んで下さるのです。そうしますと家の母親が「まあ、どうもすみません。」なんて出掛けて行くわけです。というような事になると例えば一町内に電話が一つ、 そして呼び出されると何とその時に呼んで頂いた、お蔭様で国元の親の死に目にも合いましたなんていうような事になった時に、例えばちょっと手土産、菓子折の一つも持って行くとか、こういうひとつの町内の人間関係が出来ている わけです。ですからそういう風なもので昔はよくお味噌が足りなくなった、お醤油が足りなくなったというと隣からちょっと借りてくればという時代があったなんていうような事を、皆さんもご存知でもあるでしょうけれども。 つまりそういう時代にこの呼び出し電話があって、この時の電話というのは、一町内のコミュニティの中の連絡の中心になるというようなそういうものでした。
 さてそれがその次にやっと一家に一台の電話機が備わるぐらいになった時代になった時に、その電話は一体どこに設置されたか皆さんご存知ですか、大体がどのお宅でも玄関口上がりが待ちのすぐ横の所に電話機が 大体鎮座ましましていたのです。それがどうしてかと言いますと、大体家の人間も皆どこかへ電話を取りにこないといけないから例えば居間の真ん中に置かれていて誰もがそこに行くのも人の邪魔にもなるし、丁度玄関先がいいだろう。 それから玄関先では昔から御用聞きと言われる人達が様々なお店からやって来た時にも、「ああ、すみません奥さんちょっとお電話をお借りして家の親父に電話したいのですけれども」なんていう時でも、 どうぞお使い下さいなんていうふうに見せられる。ですから結局のところそういう電話が玄関口に置かれている。この時は一体どういう人間関係があったかと言われたら最早町内の人達とのコミュニティはそこでは関係しないわけですね。
 でも家庭内コミュニティというのはあってこれは関係性はあります。それは何かというと例えば大体主婦が電話を取って「何とかちゃんお友達からお電話よ」とか「あなた、会社の何とかさんからお電話よ」こういうふうな感じに なるのです。そうなっていくとつまり電話を掛ける側も一体誰が出てくるのかも分からないわけですから、そうすると言葉づかいも全部変わっていくわけです。わかります、あのつまり若い皆さん。彼氏、彼女に電話をしょうとする時に 今だったたらスマホで「ああ、もしもし俺だけど」とか言ってわかるのですが、でもその当時は誰が出てくるのかわかりません、恋人の父親が出てきたらどうしょう、なんていう感じですよね、そうすると 「ああ、もしもしあの中央大学の科学部ですけれども、お嬢さん、何とかさん、お嬢さんお二人いらっしゃるのでしたか、何とかさんの方ですけれども、ちょっとお話しが出来れば」なんていうような感じに独特のやはり 社会性を持った喋り方をしなければいけないわけですね。で、そういうふうな感じで僕たちも昔はそういう感じを受け取っていたのですね。「ああ、もしもし家の娘ですか、えーと、娘は確か何とかの合コンに出掛けていると思いますよ。」 僕はそういう冗談を云うお宅へ昔は考えていたのですが、とうとうそういうのは果たせませんでした。いずれにしてもそんなふうな感覚で必ず誰かが出る事を想定してきちんとした言葉づかいをしなければなりません。 先ず社会性という事がそこにあったわけですね。さあ、そしてその次に今度は出きてきたのがだんだんと電話は便利になっていくわけなのですけれども、今度は切替電話になりました。二階に一台受話器をおいて一階一台受話器がある のですが、これが電話回線は一本しか来てないものですから下で取って二階にいる息子に電話が掛かったというと「何とかちゃーん、お友達からお電話よー」と言ったお母さんが何かある切替装置をブチッと切り替えると二階以降で 受けられる。大体そのくらいの便利さが今度は出きてきたのですよ。そうなってくるとそれぞれのいろんな部屋に電話機がきてもおかしくなくなってきた。まあ、そんなふうにして一家に一回線なのですけれども二台、 三台となって来ている。やがて今度はそれが全く離れて一つの電話機に対して子機というものが何機か付くようになってどこでも取れるようになった。そしてやがて今ではそういう種の据置電話という事自体がもはや無くなって 個々人が皆スマホで取るようになったという時代になって来た。
 これを皆さんお考え頂くと如何でしょう人間関係、それから言葉づかいいろんなものが、つまり社会的コミュニティが持っていたものから家庭内のコミュニティになって来て、それがもう個別に分かれてしまっているわけですね。 この時に皆さんはその他の生活形態も一緒に考えて頂くといいのですけれども、つまり家の中でもご両親のそれぞれの例えば共働きをしていらっしゃるお父さん、お母さんの時間がずれていく。子供が学校から帰って来る、 塾へ行く様々な時間がずれていく、そうすると食事を取る時間も変わって来ます、それから子供さんが面白いテレビ番組を見ながら自分の部屋の中でそれを見ていたいものだなあ、それじゃあご飯は自分が取って食べる 何ていう事になっていって、だんだんとひとつの家庭の中で団らんで食卓を囲むという事すら無くなって来て孤食と云われるやつですね、個別的に食べる孤食というものがそれぞれ行われる。テレビも一部屋に一台くらいずつ出来てしまい、 そして電話もスマホも皆個人のもの、そうなってくると実は先程申し上げたような娘に掛かって来た電話、妻に掛かって来た電話いろんなものに対して私達はいろんな事を間接的にはよく知っていたそんな時代がありました。
 でも今は子供たちに掛かって来る電話は誰から来るか分からない、妻や夫に掛かって来る電話はどこから来るのか一切分からなくなって来ている。つまりそうなってくると如何でしょう一つ屋根の下に住む共同生活者というような 感じになってきて、家族でお互いに心配しあったり何とかというような事は、じわじわ無くなって来るのではないだろうか、ひょっとしたらあれだけあの人から電話がかかってくるのは、家の妻浮気をしているのではないだろうか、 とこんな事すら分からなくなって来るわけですね。非常に良いのか悪いのかという感じになりますけれども、先ずその最初の社交性という、それから礼儀、それから想像力と書いて置きましたけれどもこれも低下してくるのだろうという事 なのです。つまり思いやり、想像力のところで思いやりと書いたのは、思いをやるという事ですよね、ファーッと向こうに思いをはせる。例えば皆さんが今のスマホのような便利なツールを持っていなかったら、 今迄例えば子供さんが、お嬢さんが特に帰ってこようとしているのが遅くなっているとします。あれ、10時も過ぎたなあ、家の娘今頃何をしているのだろう?えーもう11時なったぞー、ちょっとおかしいなあ?やはり父親や母親は それを気にしてじゃあー、お父さんちょっと駅まで迎えに行ってくれる、いやー、それともなんとかにしようか、誰かのところへ電話すればどうやって分かるかなあ、いろんな事を思いめぐらしたわけですね。
 そもそも今日は帰りが普段に比べて遅いなあなんていう事も昔だったら感じていました。ところが今はどうでしょう、あまりそんな事は考えないですね、皆個々に任せて置いて気になった時には、スマホを掛けて見ればいい。 言ってやってああ、今どうしてる、あ、駅に着いた。今帰るからそれで安心して待っているわけです。つまり思いやるという事とか、想像力、今ひょっとしてこんな事をしているのかな、というこれも無くなってくる。 つまり心配事も何も一瞬によって解決される。
 あるいは逆に電話をかけてみていつまで経っても留守番電話であると、今度は気になって、気になってしかたがない。急激にそんな事が起こるかもしれませんね。いずれにしても、ですからそういう想像力も無くなっていくというような 事になってきます。でそしてその想像力もう一つ考えるとその横へ推理力とかいろんなふうに書いて置きましたけれども、例えば昔の約束と、現在の約束をやってみると面白いです。最近の皆さん東京の若者達がどんな打合せをするのか ご存知でしょうか、例えば渋谷で会うのです。じゃあ昔の約束ですと渋谷のハチ公前で会いましょうと約束をしますと、そうすると僕ハチ公前で会いましょうで、会えなかったのが一度あるのです。それは何故かというと、 あそこはやたらと人だかりになるところがありそれで、僕がハチ公の鼻づらのところにいたところが、相手は探していたのは尾っぽの方だった。その内におかしいなあと思いながら僕が尾っぽの方へ動いて行ったら、 向こうが丁度鼻づらの方へ来たとかね上手くいかないで、とうとう会えないで帰ったという事があるのですね。そうするとそういう失敗に懲りて今度ハチ公のところで会う場合には、そんな事すらあり得るのだなあ、 じゃあハチ公のと言わないで、ハチ公の鼻づらの前で会おうねこれぐらいの約束をしないといけない。こんなふうにして僕達はどんどんそういう事をきっちりとやるようにするわけです。で、失敗があれば例えば井の頭の出口の所の、 何番出口の、改札口のどっちから何番目の所で、何時何分に会おうね。ここまでやらないとなかなかうまくいかない事がある。そんなふうにしてじわじわ我々は経験則を積み上げ来ていました。
 ところが最近は、スマホがあるがために、えーじゃあ、10時に渋谷でね、なんて言って今の子供たちはそれで電話を切ってしまうわけですね。えー、そんなんで、どうやって会えるのなんて言っていたら、どうせ明日起きて10時までに 皆が集まっている時にお互いが連絡し合って、「えー今日ちょっと寝過ごしちゃったから、俺15分くらい遅れるわ」とかそういう連絡が入って来る、そうすると15分位遅れるのだったら集った人間だけで丸久のほうへ歩いて行っていると、 その当たりで大体合流するようにしょうかとじわじわそうやって決めていくのですね、最終的には会えるのですけれども。つまりスマホがなければ出来ない芸当というのが現代ではそう言って出来ます。 という事は実はこういうふうな所でもドタキャンをするなんて、というような事も昔に比べると非常に多くなって来ているのですね。昔でしたらやはり約束をしたら、約束は約束だからこの時間にどうのこうの、しなければとすごく我々は 意識して人と会うようにしていましたけれども、現在ですと、あーしまった。朝、寝過ごしちゃった。ここから頑張っても30分は遅れるなあと思うと前もってスマホでかけてごめん、ごめん30分位遅れるからとこれで結構済んでしまう わけですね。そして急になんか今日は調子が悪いからもうやめにしょうよとやっちゃう。要するにドタキャン、その他いろんなものをやって結局お互いに守らなければいけない事柄を非常に安易にしてしまう。 これが丁度皆さん「走れメロス」という太宰治のあの約束事ですね、あの作品と比べて頂くと自分が死んでもその時間には何とか間に合わせるというようなこんなふうな考え方とそして今のような考え方と、例えば会社で皆さんが 管理の仕事をやっていらっしゃる方々が最近の若い者はどうも約束にルーズだなあとか、何とかそういうところもきちっとしないなあなんてというお考えを持っている方々が沢山いらっしゃると思いますけれども、 でもこれはこういう社会の趨勢から出て来ているわけですよ。ですから様々にそういうふうにして感覚が違ってきます。でそれと同時にそのなんて言うのでしょう逆に言うと今度はそうやって連絡を取り合うという事があまりにも 頻繁になって来たがために、それからラインのようなものがどんどん発達してくると、既読になるつまりもう読んでしまったという事に早くしないといけないとか、こういう関係性が非常に大きくなって来ると 独りでいる事に対する恐怖感というか、他からはぐられるとよく言いますけれどもはがれものにされるという事が非常に恐怖になってくる、そして独りでいる事がどことなく恥ずかしいとか、なんとかいう考えにもなってくる。 不思議な事なのですけれども、一時期みんな驚いたことに若い人達の中で独りでお昼のお弁当なんか食べるのが恥ずかしいというか、独りでいるのがどうしてもマイナスイメージになってしまう。 トイレの中に入って、独りで弁当を食べているとこういう状況があってこれ新聞沙汰にもなってかなり広がりを持ちましたよね。こういうふうな事も起こって来るわけです。 それから友達同志で一緒にいても皆ばらばらであり、先程の家庭内で親子もなにも皆ばらばらになるのと同じょうに、ある一人はスマホをやっている、そして他の人はまた違う事をやっている、あるいは二〜三人ザラーっと並んでいても 皆それぞれは違ったところでスマホを眺めている。時にすごいのは秋葉原にある面白いブログが出て来ていたのですね、それは皆パソコンを持って喫茶店の中に入ってお互いにはチャットをやるのです。 つまりそこにいてお互いが話し合えばいいのに、皆そこにいる三人〜四人が全部パソコンの中でお互いの会話を打ち込んで四人は黙ったまま、ズーっと黙々とそれをやるという。そういうふうな意見もどんどん出て来ているのです。 かなりの量になっている、データにするとね。
 そんなふうな事柄をズーっと並べて来てですね。この一緒にいてもばらばら、友達、親子そして互いの事を知らない。親の心子しらずなんて親は言いますが、子の心親知らず何ていうのは親知らずくらいだなんてお子さんが またそれを言う。そんなふうな事がわずかに起こってきます。そしてそうやって必ず機械や何かと関係して戯れていなければいけないっていうところが、今度は次にボーっとする時間というものがどんどん無くなってきます。 これはどういう事かというと、例えば皆さん如何でしょう、東京なんかでよく見る光景なのですが電車の中に乗ってくると、ポケットからスーッとスマホを出してこうやるのですね、二丁拳銃みたいなスーッと、二つ本当に二丁拳銃を 持っている人間もいるのですが。いずれにしてもそういうふうな感じで電車の中に乗ると、スマホを出すそれがもう普通の行動になってしまっている。さー、こういうふうな時に一体どういう事か、つまり私達昔から器用貧乏といいますか、 ほんの少し時間があるとこれを埋めないでいられないという、私にもどっかにありますけれども貧乏性なのです、これは実は私達のクリエイティブな創造性を無くしていっているのではないかという事をもう一つ申し上げたいと思います。 つまりフランス語で皆さんヴァカンスという言葉がありますね、ヴァカンスはもともとどういう事かと言いますと、完全な空白、空虚、真空状態こんなのがヴァカンスです。 フランス人なんかはよく一ヶ月くらいまとまった休みをドーンと夏休みに取ってしまうと言いますけれども、今でも取る人はいますね。今は昔ほどには長い休みは取れません。でもそれを取って何かどこか南フランスへ出かけるとか、 ロワーヌ川沿いのちょっとしたところへ出かけてその辺でゆったり過ごすとかこういう事を人間は要求があるのです。
 結局自分も闊歩しちゃうのです。この自分が闊歩する事が新たなクリエイティブなものを引っ張り込むために、私達は、私も物書きの端くれですから何時も思うのですけれども、パソコンで文章ズーっと打ち込んで、 でもなんだか空っぽで論理がかみ合わない、何とか文章を直して、直してと思うのですけれども堂々巡りをしてどうしょうもなくなってくるのです。この時には一層ポーンと全部をやめておいて散歩にでも出かける、 そうしょうと思ってもうそれをポッと捨てて散歩に出かけるようと靴ひもかなんかを結んでいる時に、ファっとアイデアが浮んで来る。こういうふうな事柄がヴァカンスという意味だという事なのです。
 つまり私達は無為な時間、空虚な時間をこういったものをスーっと、やる事によって、インスピレーションがむこうからやって来るこれを本当に待つという非常に大事な行為なのですけれども、これが我々日本人にはどんどんどん欠けていってまっている。ですから会社の発想なんていうのもそうなのですけれども、大抵この方向で、この方向でという事ばかりを追求しているがために途中でもそういうものをポーンとやめておいて、 例えばあるエンジニアがここのところのギアをどうしょうかなと、こんな事で悩んでいる。もう思いあぐんでどうしょうもなく、ポーンとやめておいて、子供を近くの遊園地か何かに連れていって、子供が面白い遊具に乗っている、 そんなふうなものをボーっと眺めている時に、アっ、あの遊具のボルトの回転のさしかたなんとかいうのは、ひょっとしてこっちのロボットアームに使えるのではないのかと不思議な関係性みたいのが出てきたりするのです。 こういうふうな事柄は実はそういうヴァカンスでないとなかなか出てこないのです。
 つまり電車の中で「つまんないなんて」言ったら怒られますけれどもラインをするとか、それから友達とのチャットを励んで今どうしてる?駅着いたとこ、なんとか女の子ばかり狙っているよりは、 ただボーっとして何か周りの人達の様子を眺めていたほうがズーっといいのではないかという事を申し上げておきたいと思います。
 まあいずれにしてもそういうふうな事柄と現在の非常に便利なスマホとそれからコンビニとか、自動販売機とかこういったものもご一緒に考えてみて頂きたいと思うのです。それは何かというと非常に便利ツールでどこにいてもあって、 そして何時でも手に入る。つまり自動販売機からポーンとやれば喉が渇いている時には何かが、コンビニに入れば一応お腹が空いていても何か食べられるというこういうふうな感覚が常にあるわけです。 でもこれ程便利なおかげで私達をワープしているそういうシステムは、世界で皆さんご覧になって見てくださいフランスだって別に日本に劣った国ではないはずなのです。あそこにはこういうコンビニにとか、 自党販売機なんていうものはそんなにないのです。で本当にお腹がすいたら、お昼まで待たないといけないとか、夕方まで待たないといけないとか結構いろいろと苦労があります。でこういうふうな感じといのは実は 日本程満たされている事が本当に幸せなのだとかいう事をちょっと考えて見てもいい事かしれませんね。
 つまり私達はお腹が空いて三食の時間まで待たないといけないというような事があった時に、ひとつの我慢をしながら、あれが食べたい、これが食べたいと思って欲望を募らせて、そして美味しい夕飯に巡り合わした時には、 わあ、美味しいとこうなるわけですけれども、間に間食で何時でもお腹が空いたら食べられる事になると、つまりどういう事が起こるかというと、ちょっとハングリーになった、ちょっとだけお腹が空いたでもその欲望は直ぐに満たされる。 これがズーっと続いて行くわけです。すると小さな欲望が生まれる度に直ぐ満たしていくという事になるのですね。これが全ての生活、全ての物事の中で我々が養護いう事に至ると思います。
 ところがこれもしも、本当に少しお腹が空いてその時まで食べられない、ハングリーな精神、まさにハングリーです。この段階からそして何かの欲望がじわじわたまって、かなり巨大な欲望になる。 これがあると新しい何かを作り上げたり、新しいものを考えられたりする大元になって来るのではないかという事です。ですから結局最近我々よく若者にハングリー精神が足りないなん言うのですけれどもが、 ただハングリーではないのです、何時でも小さな欲望が湧いたらそれが直ぐに満たされるそんなふうな事がよく起こるものですから、結局大きなハングリーで解決しなければいけないない問題点はなにもないのです。
 だから日常生活がそれなりに満たされているのか、幸せなのかなにかよくわからないけれど今に別に不平を云うようなほどの事もない。こういうふうな可もない不可もない生活が毎日続いている。こんな事も考えて頂きたいと思います。 そうするとここのあたり結局それから人間関係も、一種しょっちゅう連絡が出来ますから、人間関係が濃いようでいいながら、それほど濃いのであろうかこの内容も考えてみなければならないですね。つまり人間と人間が出会って、 生身の人同士が会うと相手ががっくりきて、落ち込んでいくのを目の前にした時って、なかなか「今日、僕これからちょっと忙しいからじぁね」と別れるわけにはいかないですよね。しょうがないから「しょうがないな、 そんなに落ち込んでいるのなら、もうちょっと付き合うよ。」なんて言いながらとうとう翌朝まで付き合ってしまったなんていう友達関係があったりする。それに対して今はどうでしょう、何時でも連絡を取り合えるけれど スマホで「うん、そうだね!そんな悩んだ事があったのか、ああそうなのか、ああちょっとね、僕ちょっと今から用があるから、またね。ブチッ」これで出来るわけですよ。ですから非常に濃密な関係があるようでいながら 実は薄かったです。こういうような関係も考えておいて頂きたいと思います。
 さあ、そこで先ほどの大きなハングリーなものが現れてこないというところで、読書というものが崩壊している事へも繋げていきたい。読書というものが最近ほとんどされていない。大学であちらこちらでいろんな大学生達に 年間どの位読むかとかいろいろ聞くのですが、年間ゼロ冊なんかという人達が山のようにいるのです。先ず読書をしない。特に長編小説なんかほとんど読まない。長編小説を読むっていうのは皆さん例えば19世紀のフローベルだとか スタンダールだとかいうこんな人の作品なんかをお読みになると一目瞭然なのですけれども、大体書き初めの所というのはあるとは青年が、とある街へやって来て川べりを歩いていると川の底から小さな輪がスーット浮かび上がって 来てそんなところを「ふん、なんだ」と言いながらその青年が通っていくと、あちらから何とかいう人がやって来て、二台、三台その車が過ぎて行ってどうの、こうのとだらだらと始まるわけですよね。 こういうのをもう付き合っていられないというのが現代の若者なのですね。結局しかしその小説というのは、そんなふうにたらたらと始まりながらあるところで突然ある人と出会って、そしてじわじわ関係が深まりながら、 うわーという大変な大恋愛になっていってだ、だ、だ、だとクライマックスへハーっと上り詰めて行ってそこで結末がおうっと、ハーっといって終るのが大体の小説なんていうものの出来方です。
 ところが最近の若者って例えばテレビなんか見ていても、ちょっと長いドラマなんかを見るのは飽き飽きするみたいな感じで、途中でコマーシャルでも入ろうものなら他のところへ変えてみたり、何かもうなかなか我慢がないですね。 これを皆さんご存知ですかチャンネルを次々にかえていくザッピングといいますけれども、このザッピングというやつがリモコンが出来て以来もう常にやるようになってきましたよね。こんなふうにして全てのものがそういうふうに、 ずうっとあとひとつの話しを追いながら最後のクライマックスへ至るというこういうふうな感じの喜びというのは、ほとんど今見出せなくなってしまった。という事は先ほど申し上げたように小さくハングリーみたいなものが 生まれたらそれをうめていくという全く同じタイプが出来てきて、これがやはり小説やなんかを読まないという前提になってきているという事になって来ます。そうすると後そこから考えて小説どころではありません、 実は新聞も読まないそれからテレビもあまり見ていない、大学生なんかなりますと、要するに親元を離れていますから新聞を自分で取るっていう事なんて先ずないですよね、そしてテレビもあまり見ない、最近は正にインターネット、 スマホですからそういったものになって来る。そして好きな事だけを検索するという事で総覧性が失われる。総覧性とは何かといいますと全体を亘って見渡す、そういう力です。それはどういう事かといいますと、 それは皆さん新聞をご覧になると、日本の新聞というのは非常に総覧性に長けているのですね。つまり社会面、政治面、こんなふうな世界の状況から始まってお芋の煮っころがしの作り方に至るまで、テレビ番組に至るまで一応何でもが 入っている。そしてその新聞を一枚、その一紙ペラペラと見るとおおよそ、その日の日本の出来事が全てが分かります。こういう総覧性というやつが新聞がですね、ところがスマホで例えば日本のニュースからいろんなものを 検索するとかというと、どういう事が起こるかというと非常に短いニュースが断片的にあちこちと入って、さあ、この時に皆さんどういうふうな検索をするかというと、要するに自分の好きな報告を選んで見る。これになってくる。 そうすると自分に肌触りのいい、自分の好きな記事を見るという事は、右翼の人はますます右翼になる、左翼の人はますます左翼になると変な言い方をしますけれども、つまり自分の見たい方向性だけをずうーっと見ているわけですから、 ますますそういう方向性が助長されるだけで、そして自分にとって反対意見になりそうなものなんていうものは全てパスされてしまうわけです。これはもう完全にどちらかの思想統制されているのと全く同じですから、 こういう物の見方というのは問題になると思います。結局、ひと昔前ですと共通教養というものがありました。丁度大学でもさまざまな専門の教科に対して教養科目なんていうのが一般教養、般教と呼ばれたりしてちょっとバカに されたりもしましたけれども、しかしこれは基本的には皆が持っていなければいけないような教養というか、そういうレベルの事柄、これが今どんどん失われて来ているわけです。
 例えば皆さんの中でちょっと思い起こして頂くと、例えば小学唱歌これを皆が口ずさんでいた時代に生活をしていらっしゃった方、この方がある程度の年輩にわっといらっしゃいますよね、 でも最近の非常に若い皆さんは小学唱歌なんかという共通のものなんか習いません。ですから兎追いしかの山とか、小鮒釣りしかの川とかこんな事をやっても、何それなんていうような若い人達が大勢いると。 兎追いしかの山なんかやっていると兎を追っかけたのではなくて、兎がおいしい、兎料理をやっているのか、何ていう感じになってみたり、帰ってみればこわいかに何んていうのも、帰ってみれば怖いカニが居たんだとか いろんな感覚になって来て、つまりそういう小学唱歌から始まって、浜辺の歌とか、明日浜辺をさまよえばとか、つまり、そういうふうなものをやって共通にかみ合わってくるという基本的なものが無くなって来ました。 それから我々の若い頃って先ず誰もが読んで置く岩波文庫ではないですけれども、何とかの推薦、百選とかそんな時代にいると、百冊は読めないにしてもそのうちのいくつかは読んでおくべきものだとかそういう時代がありましたが。 今はそういうものは一切ない無くなってしまった。そして一言でいうならば無知である。というこういうふうな事になって来ます。世の中の事何も知らない、何て言ったら逆に若い人に怒られますけれども。
 でも面白いのは私は幾つか大学の最初の学生さん達によく質問をするのですね。アンケートで「例えば今原発の問題だとか、それから安保の問題だとか、それから特に日米地位協定、やっと最近は一般にも聞けるようになりましたけれども、日米地位協定、つまり沖縄の問題というのが本当に解かるためには、日米地位協定を知っていないと何にも解からないとでも言っていいでしょう。そして例えば面白いのは我々理工学部でもそうですし、それからよその文学部、 その他でもそうなのですけれども、学生さん達に原発の今の状況を聞いてみたら半数以上がほとんどもう収束していると答える人達がいるのですね、半数以上ですよ。これはちょっと驚くべき事ですよね。 で今でもどんな状態かと実際お話してそして毎日延五千〜六千人がまだフクイチで、ずうーっと働いているのだとこういう話をして「本当ですか」というようなそういう話になっています。つまり何にも知らない、 この何にも知らない状況の中で例えば選挙に何て言ったってきちっとした判断が出来るはずないですよね。ですから非常に不思議な状況が様々に出来て来ています。そして、その後で実は新聞そのものも危なくなってきている なんて書いておきましたけれども、新聞もだんだん2大陣営が両方に片寄り過ぎ始めましたよね、丁度トランプさんの影響が大いにあるだろうと思いますけれども、アメリカでも右翼系のフォックスニュースというのが すごく流行っちゃって、要するにニューヨークタイムズだとかなんかはフェイク何て言ったりして、どっちがフェイクなのか明らかですけれども。
 それはそれとして、日本の場合でも結局のところ読売・産経グループとそれから朝日・毎日グループと、まあ東京新聞がなかなか読まれていて頑張っていますけれども、いずれにしてもこういうふうな陣営がそれぞれに分かれていて、 そしてそのテレビ局なんかも例えばフジ・産経グループという事になれば、フジテレビと産経とは同じ系列ですよね。ですからみんな意見というのがそれぞれの会社によって決まっている。この意見が大体右かかっているか、 左かかっているか分からないままに新聞を読めば片方の新聞を読んでいると、ああ日本には何にも問題はないと、こうなりますし、また片方のやつをみていると、わあー、日本は問題だらけだという話になります。 その辺りを読み比べてみたり、実際のデータを自分で調べてみたり、いろんな事をする時にこそ、インターネットやスマホは役に立つのですけれども、そんなふうにはほとんど使われていないのが現実となります。
 さあ、そんなふうな事をずうーっと考えてきた時に、最後にスマホが検索をするこの機会ではこれをもう一度考えて頂きたいのですね。結局、検索をする事によって思考しない、考えないというこういう現象が起こるのではないかと いうふうに纏めておきたいと思うのですけれども、例えば面白いのは皆さんガイドブックというのがいろいろと流行っています。
 例えば世界を歩くと「地球の歩き方」というのをほとんどの日本人と韓国人がいてこの地球があると思っていますね。フランス人はミシュランタイヤのグリーンガイドを必ず持って行きますというようなそんな感じがあるのですが、 そうすると世界を歩く時も自分の目で見るというよりはどちらかというとやはりこういうガイドブックを通してという事が標準となっております。まあ、世界を旅する時には、このくらいが少し手元にあった方がまあ安心感がある。 これは言えますからこれはいいとして、結局こういうふうなものもこれに頼りながら動く、それからガイドツアーでも、こういうものが中心になっていて異文化体験をだんだん嫌っていくというあの若者なり、 旅行をあまりしたくなくなってきている。旅行というよりもつまりよその大学なんかに行ったりする、これはあまり喜ばれていない。そんなふうな事がよく言われます。これと自然とか動植物とか社会との接触が、 先程申し上げたようなコクーンの中からちびちびと生まれてきて、こういった事もお互いに関係しあっているのではないかというような感じがします。で結局、現実を読み取らずにまた思考もしなくなってくると、 一体これはどういう事になるのかという事になるのです。結局その次に書いておきましたように傍観者となって行動が伴わない、自分自身で主体的に動くという事が無くなっていく。検索というのは、そもそもそうですよね。 検索するといろんな事柄を何か人生相談みたいなものですから、検索をピッとするとそこへある種の答えが出て来る、そしてそういうものをいくつも、いくつもやっているうちにそれが自分自身の意見であると何時の間にか 思い込んでしまう、こういう傾向があるのではないかと思います。ぼうぼうと評論家が言っていたあの考えが何時の間にか自分のものになっている、自分で考えたと勝手に思い込んでしまっている。結局最近はそうなのですが、 よく言われる消費者として、消費者としての若者みたいな者がたくさん出て来て、結局カタログを選んでいるようにさまざまな事柄を選ぶように、つまり自分でとことん考える事なく、要するにカタログで与えられたものの中からこれと、 これなんていうふうに値段を決めている感じです。大学なんかも文科省もちょっと悪いのですが、要するにシラバスを作りなさいとか、前もって今年一年はこういう事をやります、一時間目はこうで、二時間目はこうで 細かい事をやりますと、教育の現場っていうのは案外そんなふうに前に計画して一年が進んでいくのです。ですから結局のところがシラバスの方は綺麗に作り上げるのですが、現実は全然そんな事とは違う事をやっているなんていう事も 大いにあるのです。そのシラバスばかりを綺麗にしようとするがために本当のところの教育はどうあらねばいけないかというような話が全然行われない。そんなふうな事がたくさん出て来て、結局のところ要するに最近の学生さんの ある種の傾向は、要するに先生は一体どんなふうな授業をしてくれるのですか、そしてそれによって僕にどんな付加価値を付けてくれるのですか、付加価値という言葉は僕は昔から大嫌いだったのですけれども、 教育現場では最も似つかわしくない言葉なのですが、それを学生さんの方がむしろ言いそうな感じになって来ている。これはちょっと凄い事だなあ。つまり自分が本当はどう変わるか分からないというここにわくわく感があるはずなのに これか、これか、これかになったら私の可能性はこれ、こういうふうに伸ばしていけるのですが、まるでカタログのようなものですね。まあ、そんなふうな事をずうっと考えるなりそして結局のところこういうふうなままでいったら スマホを使っている私達一体何になってしまうだろうというのが最後に人間が端末になるというここの部分なのです。つまりどういう事だというと皆さん如何でしょうか、例えばパソコンにインプットした、パソコンに入力しただから 忘れたというような事がどんどん起こってきていません? スマホの中にいれておいただから忘れた。それから文字やなんとかもスマホでやれば出てきた。だから書き方忘れた。いっぱい出てきますでしょう。 つまり私達は要するに何かに入力しただから忘れた、つまり私達のブレイン、私達の頭の中はどんどん貧しくなっていく、何時でも検索が出来るから、何時でもあの中に入っているのを引っ張り出せばその時に参照できるから、 自分の中に定着した知識、これが大事だというそういう思い込んだ知識、そういったものがどんどん無くなっていくわけです。そうすると非常に初歩的なものでも自分の考えというのを組み立てる一番のもとになるその要因というやつが これが無くなってしまう。ですから結局我々の頭の中はすっからかんにどんどんなりながらコンピューターの中にどんどんいろんなものが入っていく、さあそうなるとどうなるかというと、そのインプットされたものをそして私達が 何かをアマゾンで買ったとかなんとかというそういう記録も全部が何処かに集積されて、アリゾナの砂漠か何処かにスーパーコンピュータのサーバーがあってそこのところへ全部アマゾンならアマゾンにグーグルならグーグルなんて いうところへ全部データが入っていくわけですね。皆さん全ての蓄積がこうそこにずうーと蓄積されていって、それが米軍の手に全部入っていくというこういうふうな仕組みが出来る。
 結局そうすると一体どうなるかと言いますと、世界の中心になる米軍が、例えばこれが巨大なサーバーとして小さなまるで書いたおきましたあたりに我々が居て、全部まあ言うならば直線で書いてしまいましたけれど、 さまざまなネットを介してあの真ん中の大きなまるの所へ全部集まるわけですよね。という事は私達はひょっとするとインターネットの端末にすぎないという事になってしまうのではないかと。結局ブレインの主体はあの真ん中の 巨大なまるであって、私達はほとんどすかすかになりながらずうーと端末にすぎないものされていて、これは非常に重要な事柄ではないかと思うのです。結局のところこういうふうになっていく、 そういうスーパーコンピューターの中に知が集積されて巨大企業とか軍需産業の意のままにそれが利用されるようになる。そして私達はそれを判断する政治的な立場も先程申し上げたようにさまざまな現実に認識がなくなっていって、 そしてもう完全にこの中で無力化されているだけとこういう事になるのではないか。さあ非常に悲観的な事と思いますけれど。それでは一体我々は今後どうしていけばいいのか、私は常々学生さん達に言っている事なのですけれども、 これは勿論学生さん達だけではなくて我々年寄りの方もみんな気を付けなければいけないそういう事なのですけれども、先ず大きく一言でいうと今流行りのお洒落な表現でデジタル・デトックスというこれをまあ始めましょうと 言っているのですね。つまり私達の中に身体にどんどん毒素がたまって来ている。だからデトックスという紅茶のいろんな類があったりするのですけれども、そういう身体から悪いものを取り除いてくれるそういうそのちょっと ミルクティーか何か飲みましょうと同じように少しデジタルな様々な毒素をデトックスまいちゃいましょうというそういう事なのです。それは何かというと先ず、一番最初に大事なものは会話を、会話に限りましょう。 これがひとつ、会話というのは、私がフランスから学んだ事なのですけれども、朝から晩まで喋っている。大事な事は例えば若者にとって、僕はもっとご両親と話すといいと思っているのです、それは何時も言っているのですね。 何しろ一番近しいところの近しいあるいは近しかったご両親、少なくとも両親は悪い奴ではないなと息子さん達あるいは娘さん達は思っているはずですから、そのご両親と先ず話しておくと、 いろんな事をつまり世代が違えばいろんな君たちの知らない事が聞けるこれをお話しなさい。先生というと、いろんな授業だけではなくて、いろんな話、それから友達ともお互いに同じ場所にいながら、 別々のスマホなんかやっていないで、要するに一番それに興味のあるものどんどんしゃべりなさい。フランス人みたいに朝から晩までべちゃくちゃ喋っている、これは実は下手な、なんというのでしょうね、 ヤフーニュースなんかを追及するよりはずうっと健全な思想でいられるわけですね。自分一人が考えているこういう事柄を相手に打ち明けてみたら、例えば一人の少年がやはり首相ってのはなかなかいいよと言ったら、 何言ってんだあんなのはというのが隣にいるとか、こんなのがギャアギャアやりながら例えば政権批判とかなんとかにも繋がっていく、何しろそういうふうにして先ず会話に入りなさいというのが最初です。  一番これは簡単だろうと思います。その次に今度は大切なのは、知の遠近法と書いておきましたけれども我々の周りには、スマホから入って来るなんてものは、断片的なものは無限にあります。数え切れないほどあります。 ガラクタのようなものがほとんどですから、そういったものをどんどんためこんでいっても世界観とかそういったものは出来ません。ですからこういうふうにためてきたものを知の遠近法と書いておきましたけれども、 自分にとって大切なものとそうでないものそんなふうなものを微妙に仕分けていく事が非常に大事なのではないかと思います。
 例えばそこに書いておきましたが沖縄、福島、原発、憲法、選挙なんていうような事をずうっと並べたのですけれども、これはアトランダムにただ大切そうに思われたものを並べたのですけれども。 これを今の若者達に聞いてみると「君、沖縄について今どう思う、とか沖縄の辺野古の問題ですねどう思うかと聞いてみる、それから今福島についてどう思う、あるいは原発の問題今後どう思う」とかこんなふうな話しをするわけです。 そうすると基本的にオピニオンを持っていない事がはっきり出て来ます。その時からしかし知らないと言ったらどの程度まで知らないのかきちっと話して、そしてそこを少し知るようなそういう形にしていくと遠近法が 出来ていくだろうという事なのです。
 例えば、皆さん今ホルムズ海峡が問題になって来ていますよね。ホルムズ海峡を石油を運んで来るのが危ないから自国で守れなんていうような事をトランプさんが言い始めた。じゃあホルムズ海峡はどうやって守るか なんていうような事へ我々眼が向いているのですけれども、これは実はエネルギー問題の根幹から最初から考えていると問題にならない場合もありえる訳です。
 それは何かというと3,11が起こった直後、私達はと言ったらえらく自分たちだけの独りよがりになるかもしれませんけれども私達は、再生可能エネルギーに完全にシフトすべきだったのですよ、 そしてどういうふうな事をやればいいかというと、例えば政府が補助金を出して各家にソーラーバネルかなんかを出来るだけくっつけていくようなそういうふうな補助金をだすとかいろんな事をやる。 それから今でも太陽光なんていうのは天気によって随分左右されるからなかなかうまく使えるエネルギーじゃないなんていう神話がありますけれども、これは全く嘘であって蓄電池も発達してきているは、 それからうまくシステムを使えばいろんなところで曇っているところと晴れているところの電気の交換もできるようなそういう時代になっています。それから皆さん例えば今世界で再生可能エネルギーが一番発達しているところは、 どこかご存知ですか、どこの国かご存知ですか、これを聞いてちょっと驚いた方がいらっしゃれば少しいろいろそして見て頂きたいのです。中国です。中国です。中国が世界一の再生可能エネルギーの国です。 我々はなんだか原発の物騒なものをこれからどんどん作って行くのは中国だろうくらいの発想でいるかもしれませんけれども、中国が再生可能エネルギーの一番発達している国です。日本は完全に遅れを取ってしまっている。 そういうふうな事から考えても、それから3,11が起こった時の直後の太陽光パネルだって今性能は十倍以上じゃないですかそれくらいになっているのです。ですからもしあの時に完全にシフトしていて日本が再生可能エネルギー なんかもっとずっとたくさんあって石油やなんかを例えばロシアの反対の方例えばウラジオストックの方からちょろっと入れるとか、アメリカの方からちょろっと入れたりするようなくらいで済むようになっていればホロムズ海峡なんか 今頃何も関係ないわけです。で、そんなふうな事を全くやって来なかった事自体が実は問題なのだという事を考えていかなければならないと思います。いずれにしてもこういうふうな事柄の知の遠近法というのを少しずつ作っていく事が とっても大事な事だと思います。そして今申し上げたような原発はもう斜陽産業です。おそらくは無となる。それで今のようなホルムズ海峡を考えていく事も大事です。
 それから日米地位協定というのがどれほど不平等な協定であるか、アメリカに対してどれほど日本が苦節を強いられているか、まあ向こうに守ってもらっている人達もおりますけれども、しかし良く見ていくと大きな問題も浮かび上がって来ております。そんなふうな事を考えております。で結局のところそして私達が例えば様々に身につける情報というのもそうやって遠近法的にしていかないと実は無駄があまりにも多すぎるという事を一つだけ最後に、 これもあるイメージで作って頂きたいのですが、例えば今皆さん情報なんていうのは山のようにあっていくらあってもストックしておく事ができます。
 例えば皆さんの子供さんが生まれたとします。その生まれた子供さんのビデオを撮ってその生まれた瞬間から、その人が二十歳に成るまでずうっとビデオを撮り続けてもそれを全部データとして集積しておく事が出来るような そんな技術が現在はあるのです。
 だからその後の生育の記録をずうっと二十四時間ずうっと撮り続けてもう二十年間ずうっとやっていても大丈夫なのです。でもこういうふうにする事によって全てが記録出来ると思っているけれども、 一体これを誰が何時見るのでしょうか、という事ですね。結局二十年間の膨大なデータは見るに値しない。要するに私達は折に触れてちょこ、ちょこっと撮った写真を時折見ては、ああ懐かしかったなあと思うだけです。 結局ビデオは何の役にも立たないで捨てられてしまうくらいでしょう。でおそらくそれと同じような事であって大事な事は、今申し上げたデータと自分達と知の遠近法そして私達がどんなに便利な時代になってもせいぜい生きられる 時間というのは、100年まあ皆が100年迄いかないかもしれませんせいぜい80年から100年位の間ですね。この位の間しか私達は生きていられない。じゃあその後その間100年の間に一体私達は何を見て、何を知って、 何を遠近法的において、何を大切に生きていくか考える。こういうふうな形の集積の仕方をしなければどうしたってデジタル的な物の中にワァーと入って何も分からなくなってしまう、こういう事です。 少なくても端末にならないためにこういうふうにして頂きたいと思います。で結局簡単な事になってしまいますけれども、知の遠近法をどのように作っていくかという事が一番の緊急課題であってそのためには読書に励みましょう。 これは小さい頃から絵本の読み聞かせとか、こんなふうな事をやった子が本を読めるとかこれは非常に大切な事です。そして本は先程から申し上げたように忍耐力だとか、何だかというのを同時に作り上げる元ですから。
 そして新聞に親しむ、これが案外と毎日の総覧性を持った全体を眺めるためにはそして自分と違った意見を見るためには結構新聞は大事だという事になります。そして今新聞の部数がどんどん少なくなって廃刊に追い込められたのは、 アメリカなんかではもう新聞のない州なんかありますから、もうそうなってくるとほとんど地獄ですね、まあ基本的にそういうふうなものを何とか無くさないようにしていきませんと。
 そして小さな習慣を一つだけ皆さん考えて頂きたいのですけれども、検索を、スマホによって検索をする前に、ほんの少し自分の頭で考えてみる何かについて例えば今の日米地位協定についてなんていう話があった時に、 先ず日米地位協定を入れてふっと検索しない事。きちん先ず一番最初に日米地位協定というのは何だろう、いや私は今まで聞いた事がなかったなあ?とか、先ず自分にとってそれをきっちり一回考えてみる、 そして分からなかったら先ず検索してみる、はあこういうものなのかここから始まるわけですよね。それから様々な事柄もひとつの言葉の意味であっても、何であってもいいのですけれども。 先ずこれはこういう事なのだなあと自分で先ず考えてみる、それから検索するそうすると自分が正しいあるいは間違っていたときっちりと分かっていって、そしてそうやって入れてきた知識を確実に自分の中に入れて自分にとって 非常に大事なその知識からまあどうでもいい知識ですね、どこ、どこにグルメのお店があってなんてまあ別にどうでもいいような事、だからそういうものをきちっと配置付けるようなこんなふうな事に持っていけば、まあスマホ、 携帯は逆に非常に便利だ。大体そんなふうな結論になると思います。」若干時間が少しございますのでご質問がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
 質問「最近世界保健機構でゲームの問題が出て、これが正式に病気だという事が認定されてそれで取り組む事になった旨新聞で報道されておりましたが、かなり日本の場合遅れていると思うのですが、 今日先生のお話しでこのゲームによる青少年の破壊という事について触れられなかったのですが、先生はこの問題についてどう思いますか」
 加賀野井先生「ゲームの世界はあまり深く極めてないのですけれど、基本的にやはりゲームも今申し上げたような事とほぼリンクして考えて頂ければと思います。そうですね一応病気というか問題として挙げられているのは、 ゲーム脳というふうな、あのゲームをあまりやりすぎると脳自体がそういうふうな形になっていくという脳科学者の発想が先ずあるのですよね。それは完全に検証されたわけではないのでこれはまだはっきりとは言えませんが、 おそらくそういうかなりウエイトがあるだろうとこれは。それと同時に今度は先程の全くスマホ依存と同じ事なのですけれど、ゲームをやっていないといられないという、こういう病気が現れましたよね、これは完全に病気として。 いずれにしても一種の薬物依存症に近いようなものとしてゲームの問題というのはあります。それと同時に今度はゲームをやっていてそれからゲームをそのままスポーツにするというそういう動きなんかもありますけれども、 確かに何か動いたりするというある種ものも作れますよね。体にいいゲームとかそれはまあ生み出してくるかもしれません。それにしてもやはりそのゲームというもの自体がある種のなんというのでしょうね良い面も悪い面もある。 つまり今までのような囲碁とか将棋とかやる時の頭脳の働き方というのはかなりこれは圧倒的に抑えられていることはありますけれども。それと同じようなゲームというのが作れないとは言えない。 だから私は全部否定は勿論しませんけれども、今あるゲームのかなりの部分というのは自身が知っている限りではかなり時間の無駄と、それからなんというのでしょうねそんなものに一日を費やすくらいならもう少し他の事を やった方がいいんじゃないの?言いたいようなそういう場合もありますし。結局のところ、そのあたりの結論になりますでしょうか。どこも正確なデータとして「良い」「悪い」とは十把一絡には言えない。 それくらいの結論ですね。ただの常識を申し上げたのにすぎないかもしれません。」
 質問者「先程アップルのスマホ依存症シュールについてあったのですが、理工学部という事は開発とか子供たち学生さんたちにいろんなことを教える大学なので、講義だとか考えさせたり教えたりしているところがあると思うんですよ、 こういうふうにアップルが動いているってことも子供達には伝わっているのかな?って思うのですが、携帯、スマホ系、IT系の今後の方向性、開発される事とかいっぱい出てくるのですが、そこら辺をどう考えて今動こうてしているのか? 教えてください。」
 加賀野井先生「私は理工学部の文系の人間として中心で動いてますから、あまり最先端の方はわかりませんし、私の友人で非常に親しい友人で、もうそのコンピューターグラフィックスなんかの最先端で動いている人間もいますので、 そういう連中から聞いたような話しですけれど、そういったところが、様々な世界のスマホメーカーから始まってそういうコンピューターメーカーあるいは部品メーカー、ソフトメーカー等何でもいいのですけれども ここを安心して任せられるというところは別にどこもないだろうと私は思っております。つまりアップルなんかの場合でも勿論こういうふうな様々なものを考え出して、その後で付けてきますけれども、それはやはり世間がここが 問題なんだという事がだんだんと表面化してきて、これは何とかしなければいけないなというような感覚で抑えているわけですね。だからフェイスブックなんかのザッカーバードが今度も仮想通貨のある種のものを取り入れて 全て取引はそれでやっていこうとそういう目論見をしていますけれども。この間日銀のあるOBと会っていろいろ話しを聞いてみるとこれは結局のところ銀行というものはいらなくなるようなそういう制度なのです。 その時にしかし今まで銀行というものが、世間の人はどう考えるのかわからないけれどもしかしながらきちっとした歯止めになるような部分というものを銀行というものは果たしてきていた。 それが一切無くなってしまった時に、デスクのあたりでその大問題がポンと発生したら世界経済はガタガタになるよね。そういう話しをしてきたのですね。やはり、ですからザッカーバードなんかもそんな事を考えて一応フェイスブックの 中で新しい試みをし、そしてそれぞれの会社のもうけになるような事で動くわけですから、どうしてもその悪い側面というのが後から出て来る、後から見えてきた時にひょっとしたらかなりもう遅いというようなものがあるかもしれないし、 そうだとすると私達はやはり今までのこういうスマホや携帯についての知見というものを小さな事ですけれども、この負の側面というのを常に考えておいて今度こんなふうなものが出てきた時って、そういうふうな危なさがまたあるよね、 というある程度ちょっとずつ先取りしていかないとどうしてもそういうところに頼る事が出来ないのではないかとあまりにちょっと悲観的な言葉に過ぎないのですけれどもいかがでしょうか。」



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令和元年7月23日
第62回ゴルフ大会の開催

 本年度第2回の大会は近郊の北広島市にある「札幌リージェントゴルフ倶楽部新コース」において会員18名(内新規入会者2名)参加のもと開催されました。
 当日はあいにく霧雨模様でしたが、スタート時には雨も止み、時折強い風も吹きましたが、途中からは天気も回復し絶好のゴルフ日和になり楽しい大会になりました。競技終了後は恒例により表彰式を兼ねて懇親会を行いました。
 優勝は桝田雅彦氏(昭和56年・法・札幌総合法律事務所 アウト:44 イン:40)が、準優勝は工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック アウト:42イン;39)また工津氏はベストグロス賞も併せて獲得しました。
 その他大波・小波・平和の各賞も決まり幹事長から入賞者全員に賞品を授与しました。桝田氏から優勝の弁、また今回初めて中大父母連絡会札幌支部の山口富士男支部長にもご参加を頂き会は和気あいあいの内に終了・散会しました。
 事務局より8月1日(木)支部総会、9月10日(火)開催の小樽支部との交流ゴルフ大会への参加を呼びかけました。
尚、今回大会の景品寄贈者は下記の通りです。
・山口 統氏・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
・檜森支部長・柴田副支部長・西原幹事長、山口富士男父母連絡会札幌支部長。





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令和元年6月2日
中央大学父母連絡会札幌支部総会並びに父母懇談会へ出席

 ロイトン札幌において開催の「2019年度父母連絡会札幌支部総会・父母懇談会」へ当支部より西原幹事長が出席されました。
 当日は在校生の父母110名が参加されました。午後12時30分より総会に入り、平石友輝支部長の挨拶に続き「2018年度事業報告・決算報告」、「2019年度事業計画案・予算案・役員改選」が審議され、その結果新支部長に山口富士男氏、副支部長に富樫泰子・小竹則幸の両氏他新役員が選任されました。
 引き続き「父母懇談会」が開催され冒頭ビデオによる福原紀彦学長のメッセージに続いて法学部教授の磯崎初仁先生から「大学の近況について」、経済学部事務室副課長の芝沼康 寛氏から「学業・学生生活について」、キャリアセンター副部長の池田浩二氏からは「最新の進路・就職事情について」お話がありました。
 次いで高橋大輔氏(北海道経済部労働政策局雇用労働課主幹)から就職アドバイスについてお話しがありました。終了後は希望者に対して個人相談会、続いて懇親パーティーも開催され参加した父母の親睦・交流を図る事が出来ました。


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令和元年5月29日
第61回ゴルフ大会の開催

 本年度第1回のゴルフ大会は8名の会員が参加し近郊の石狩市にあるシャトレーゼカントリークラブ石狩において開催されました。
 当日は午前8時に前半の西コースをスタートし、後半は中コースを回りました。今年は例年になく雨の日が少なく連日晴天が続いており、時折風もあり絶好のゴルフ日和になりました。
 恒例により終了後は表彰式を兼ね懇親会を行い結果、優勝者は辻田眞人氏(昭和45年・法・西:42 中:40)で、準優勝は伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKO INC.・西:38 中:42)同氏はベストグロス賞も併せて獲得し、西原幹事長より参加者全員にそれぞれ賞品と参加賞を授与しました。
 今回は檜森支部長、柴田副支部長、紫藤正行氏(昭和49年・商・法・大黒自工(株)代表取締役)工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)、西山眞吾氏(昭和41年・商・西山製麺(株))、(株)京王プラザホテル札幌)、西原幹事長の7名から賞品の寄贈がありました。
 懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み初参加の山口統氏(昭和57年・商・(株)東洋札幌営業所)から「卒業してから学員会の支部活動には参加した事はなく札幌営業所に配属され同門の中村健一氏(昭和51年・法・当営業所営業サビース課)から札幌支部の事を聞き初めて参加致しました。次回も是非参加したい。」との弁がありました。
 最後は事務局から次回7月23日(火)の第62回ゴルフ大会、8月1日(木)開催の「中大学術講演会」と続いて同日午後6時より開催の「支部定時総会」への参加を要請し和気あいあいの内に散会しました。





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平成31年4月16日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において、午後12時より檜森支部長・柴田・渡辺・長谷川副支部長、西原幹事長出席のもと開催致しました。

 議案第1号 :「平成30年度事業報告並びに収支決算報告について」
 幹事長より別添資料に基づき報告了承されました。

 議案第2号 :「平成31年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
 幹事長より別添資料に基づき説明し学員ネットワーク拡充の一環として、「第6回学員会全道支部交流会議」を下記により開催する旨の報告がありました。
@日 時  令和元年8月30(金)午後4時00分〜
A場 所  釧路ロイヤルイン
(釧路市黒金町14丁目9番地 пi0154−31−2121)

 議案第3号 :「支部定時総会の開催について」
 幹事長より当日は大学本部より大村雅彦理事長、学員会本部より久野修慈会長に加え学術講演会講師の加賀野井修一先生を迎え下記日程により開催する旨の説明があり出席者全員了承しました。
 総会は下記の日程に決まりました。
@日 時  令和元年8月1日(木) 午後6時より
A場 所  ホテルオークラ札幌 2階「フォンテーヌ」
B会 費  懇親会費7,000円  支部年会費2,000円

議案第4号 :「学術講演会の開催について」
 幹事長より本件については札幌市教育委員会、札幌商工会議所、協同組合中小企業振興センターの後援、本学父母連絡会札幌支部の共催の承諾を頂いており、本講演会のPRと参加者の動員を図るためポスター、チラシを制作し下案の要領で周知をしたい旨報告了承されました。
@A1サイズのポスターを25枚、A4サイズのチラシ23,550枚印刷。
A札幌商工会議所・協同組合中小企業振興センターの会員向けに毎月配布している資料の中に21,000枚を入れ参加者を募る。
B学員会札幌支部会員等向けにチラシをDMにて送付し参加者を募る。
C札幌市民向けのPRとして、札幌市営地下鉄の15駅の掲示板にポスターを貼り参加者を募る。
D北海道新聞、毎日新聞、読売新聞等を中心に市民向けのPR版コーナーに掲載し参加者を募る。



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