CONTENTS



小樽支部との交歓会の開催
第1回ゴルフコンペの開催
麻雀大会の開催
ゴルフコンペ優勝者一覧
文化講演会の開催
中大音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
中大アメリカンフットボールチーム:自転車競技部への応援
北海道平和セミナーへの参加
第49回札幌国際ハーフマラソンへ応援参加
中央大学音楽研究会吹奏楽部演奏会の開催
中央大学札幌支部史〜明治・大正・昭和〜
中央大学札幌支部史〜平成〜
平成17年度事業活動
平成18年度事業活動
平成19年度事業活動
平成20年度事業活動
平成21年度事業活動
平成22年度事業活動
平成23年度事業活動
平成24年度事業活動
平成25年度事業活動
平成26年度事業活動
平成27年度事業活動
平成28年度事業活動
平成29年度事業活動
平成30年度事業活動
平成31・令和元年度事業活動
令和2年度事業活動
令和3年度事業活動
令和4年度事業活動
令和5年度事業活動





支部の活動報告・・・平成29年度事業活動

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平成30年1月31日
札幌市役所白門会新年会への参加

 厳冬の最中、平成30年度札幌市役所白門会(会長:有塚広之=子ども未来局子ども育成部長、会員数67名)の新年会がOBと現役職員合わせて23名出席のもと、ホテルオークラ3階「チェルシー」において午後6時15分から開催されました。当支部から西原幹事長が参加しました。
 今回は新年会に先立ち総会が行われ議題として@平成27〜29年度決算報告、A役員改選が審議され諮った結果出席者全員異議なく承認されました。
 新会長に長谷川雅英氏(昭和58年・商・保健福祉局長)、副会長に知野学氏(平成3年・法・経済観光局国際経済戦略室長)、幹事長に星田剛氏(平成11年・法・保健福祉局高齢保健福祉部介護保険課介護予防担当係長)が選任されました。
 懇親会は現幹事長の押切栄人氏(保健福祉局総務部保護自立支援課指導担当係長)の進行によって行われ現会長の有塚広之会長の挨拶、当支部西原幹事長の挨拶・乾杯の音頭で宴に入りました。新幹事2名(三浦裕季氏、四方学氏)の挨拶、新入会員3名の紹介後、特別会員の後呂道徳氏(昭和46年・法)から、ご自分の在学時代の事、昭和46年4月に札幌市の財政課に勤めながらその年の6月頃に道職員の試験に合格し、その後北海道に転籍した事など地方公務員として37年間をふり返りお話しを聞かせて頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気で進み会員同士が杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、久し振りの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。
 最後は全員で校歌・惜別の歌を力一杯歌い上げ、新会長の長谷川雅英氏よる落語の謎かけで会場を笑いの渦に落とし終了し散会しました。その後恒例となっている二次会は、一次会での盛り上がりそのままに盛況のうちに終了しました。

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平成29年12月5日
支部年末懇親会の開催

 師走に入っても市内は雪が少なく日中は気温が高く、夜は気温が下がり道路は滑りやすい状態がつづいている中、 恒例の支部年末懇親会が午後6時より京王プラザホテル札幌3階「扇の間」において柴田龍副支部長(昭和56年・理工・(株)北洋銀行代表取締役副頭取)以下98名の会員と、 ご来賓に本学父母連絡会札幌支部長の小沢知文氏をお迎えし開催されました。



 司会進行は昨年好評だった大野真奈さんに((有)ミュージック企画)にお願いしました。
 開会に先立ち柴田副支部長から「ご紹介頂ました柴田と申します。本来であれば支部長の檜森がここに立っているわけでありますが、今日は所用がございましてこの場に来られないと いう事で私が代わりに開会のご挨拶をさせて頂きたいと思っております。
 今、司会からありましたけれども本日は本当に足下の悪いといいますか、真冬の中といいますか、まさに忘年会に相応しい気候になりましたが、 これだけの多くの皆様にお集まり頂きました事に先ず感謝申し上げたいと思います。お礼を申し上げます。この学員会札幌支部ですけれども、 先程幹事長にお聞きしましたところノミネートの数だけでも、750名いるそうです。生きているのですかと聞くと生きているということです。
 亡くなった方は削除しているそうです。そのうち会費を払っている人は何人いるのですかと聞きましたら、200名という事です。 今日は約出席率という意味では5割の100名ちょっとの方が参加頂いたという事で改めて感謝申し上げます。今日は忘年会という事ですので皆さん是非交流を図って頂きたいと思います。 私も今日出がけに幹事長に日頃ご苦労を掛けておりますが、支部のホームページを立ち上げておりまして、ご覧になっておられる方もあると思いますが、 見られていない方は是非明日にでも見て頂きたいと思います。
 非常に精緻にというか、細かく支部の活動状況が書かれております。直近にいうと、こういう会もそうですし、それからゴルフ会を行ったり、 全道の、小樽とか函館、帯広、釧路、旭川にも支部がございますが、そことの交流会もやっておりまして、そういう事もこと細かに写真付きで記録がでております。 ちょっと個人情報に抵触するような部分もあるようですけれども、そこは同門という事でお許し願いたいのですが。是非一度ご覧頂きたいと思います。
 そして非常に嬉しいのは、今日はここに大先輩もたくさんご参加して頂いておりますが、ここ数年若い方が非常に増えたという事だと思います。 新しい血というか、世代がどんどん進む中で若い方が増えて、平均年齢が徐々にですけれども下がってきていると私はそういう印象を持っておりますけれども。 組織にとっては非常に良い事だと思っております。これからもみなさんの中でそういう仲間の方がおられましたら、是非お誘い頂いてこういう場所で交流を図って頂ければと思っております。
 大きな会合としては、年2回8月の総会、12月の忘年会セミナーをはさんでという形になります。私も仕事柄、全道とか銀行に勤めているものですからお客様にお会いしますけれども、 結構中央大学出身の経営者の方おられます。そこでお互い距離間がぐっと縮まりますので別に仕事に生かすつもりはないのですが、自然と人間の関係ですので、 やはり同門というのは非常に話しが、共通の話題が出ます。
 私は昭和56年卒業ですけれども、丁度大学2年から3年に掛けて八王子に移転しておりますけれども、先程も話しをしておりましたが、後楽園とお茶の水と八王子、 丁度三角関係といいますかそれを経験しております。その日によっては八王子に行ったり、お茶の水に行ったり。丁度我々の世代はそうでしたけれども、 おそらくお茶の水を知らない世代も勿論いますし、八王子を知らない世代もおります。大体年齢を見れば推定が出来ますけれども、何かお聞きしている情報によると、 また都心に回帰したいという本学の計画がおありのようで、まあ文系の一部、法学部でしょうか都心キャンパスの方に移転するという計画があるようでございます。
 これも事務局から是非言えと言われておりますので、忘れない内に言っておきますが、募金の話をしておきたいと思います。 2025年に、あと7年後になりますが、本学が創立140周年を迎えるという事でございます。そしてそれの中・長期事業計画を作ったそうです。 その中に「白門飛躍募金」という名前で、日本中から、全国の各支部から募金を募るという事のようです。
 つきましてはここ数年事務局の方からご案内が行っていると思いますが、なかなか札幌支部は、これだけ富裕層が多い割にはやや動きが鈍いという事でございますのでこの場をお借りして、 今日も書類の中に入っていると思いますが一口5,000円だそうでございますので何口かでも許せる範囲で、ちょっとした愛校心を出して頂ければと思っております。
 今年1年振り返りますと、中央大学、勿論皆さん愛校心もおありだと思いますが、活字で私が記憶にあるところで言いますと8月に世界陸上がございましたけれども、 男子400mリレで本学出身の飯塚翔太選手(平成26年・法)が決勝に第2走者として出場し見事日本に銅メダルをもたらしました。
 それから10月に皆さん、今年は非常に悔しい思いをした事と思いますが、14日(日)に行われた箱根駅伝の予選会に見事3位で本大会に出場する事になりました。 予選から勝ち上がるという足腰が強い、恐らく来年のお正月には皆さん是非見て欲しいのですが何とか上位入賞をはたして古豪復活とか何とかそういうような見出しで是非箱根駅伝を楽しみにして頂ければと思っております。
 直近では第70回全日本大学男子バレーボール選手権大会の3位決定戦が世田谷区総合体育館で12月3日(日)に行われ、石川、大竹を擁する本学バレーボール部は東海大学を3対0のストレートで破りました。何かにつけてそういう部分も気にして頂ければと思います。今まではスポーツの話でしたけれども、一番の売りであります司法試験の結果は第3位で合格者は119名でした。 因みに1位慶応144名、2位東大134名でした。
 一位の慶応が144名という事で、もう少し頑張れば全部そうなのですね、銅メダルであったり3位であったり今年は3位に甘んじましたが、今回もこれは3位なのですね。 今年はこれで甘んじますけれども、来年は2位、再来年は1位と皆さんの応援を含めて是非狙って、頑張って頂きたいと思っております。
 さて今日の卓話でお話し頂けるのは平野正明さんです、北海道庁の天下の知事室長をやられております平野室長です。来年北海道命名150年という事でこれもPRをしておりますけれども、 「その先の道へ」、これは是非覚えて頂きたい、これは今日スピチをして頂くので私がリップサービスで道庁のPRをしているわけですけれども、 今日は命名150年周年をした松浦武四郎のお話しを頂けるという事でご静聴頂ければと思っております。長々と話しをして参りましたが、 是非限られた時間でございますけれども今日皆さんで交流を図って最後には、校歌・応援歌を唄って締めたいと思いますので、楽しい一時をお過ごし頂きたいと存じます。 ご挨拶に代えさせて頂きます。本日は誠に有難うございました。」



 続いて卓話「北海道命名150年と松浦武四郎」に入りました。講師に平野正明氏(昭和60年・経済・北海道総合政策部 知事室長)を迎え以下のようなお話しを頂きました。



「皆さん今晩は、只今ご紹介を頂きました北海道庁で知事室長をしております平野と申します。昭和60年に経済学部を卒業しました。入学した時から多摩校舎で4年間過ごしました。その後、北海道庁に入庁致しまして、地域振興や産業振興、最近では地方創生や道の政策の取りまめなどをしておりまして、今年の4月から知事室長をしております。
 先ず資料をご覧頂きたいと存じます、最初に覚えて頂きたいことを7項目記載してあります。
 一つ目は、2018年(平成30年)、北海道は命名150年。150年目でして150周年目ではありません。これはこれまでも北海道開拓100年、100年目の時は開拓という言葉が使われていたようなのですが、今は北海道命名150年としています。何故か北海道の場合は周年ではなくて50年目、100年目で様々な記念事業をしております。
これは1869年(明治2年ですけれども)8月15日太政官布告により蝦夷地が「北海道」と命名された年で、来年は北海道命名150年ということでございます。
 道としては150年を記念して様々な事業を進めたいと考えており、二つ目にありますとおり、この事業のキーパーソンを北海道の名付け親でありまして、またアイヌの方々を愛した「松浦武四郎」にしております。
 三つ目でございますが、今年の7月17日から「北海道みんなの日」、愛称「道民の日」というものを制定しております。道の施設が無料になるなど、民間の企業の方々とも連携をしながら、そして市町村と連携しながら事業を展開しております。まだまだ、知名度不足かなあと思っておりますが、この7月17日は何の日かと申しますと、松浦武四郎が明治政府に「北加伊道」の名称を提案した日でございます。
 四つ目は「イランカラプテ」聞いたことがありますでしょうか、アイヌ語の方々のあいさつ「こんにちは」の意味で、この言葉をハワイの「アロハ」と同じように北海道で観光客の方々をはじめお迎えする言葉として定着させていきたいといたった取り組みも進めております。
 五つ目は2020年4月24日難しい言葉なのですが、「民族共生象徴空間」が白老町にオープンいたします。これは「東京オリパラ」に併せてでございますが東京以北、東北から北での国立博物館としては初の「国立アイヌ民族博物館」、「国立民族共生公園」、慰霊碑といった施設の総称でございます。なかなか親しみにくい名称ということで、これから愛称を募集していく取り組みも進められるところでございます。
 六つ目でありますけれども「北海道・北東北の縄文遺跡群」は世界遺産登録を目指しているということでございます。これは北海道独自の歴史、今から約1万5千年前から2万5千年前まで1万年以上縄文時代が続いております。そして北海道にある唯一の国宝も縄文時代の中空土偶です。
 七つ目ですが、先程柴田副支部長からもご紹介がありましたが、北海道の新たなキャッチフレーズ「その先の、道へ。北海道」これ去年の4月に制定をしております。 英訳は「Hokkaido.Expanding Horizons.」ということで、資料の中にチラシが入っておりその後ろに説明が書いてありますのでご参照いただければと思います。はたして皆さんこの七つご存じだったでしょうか。今日は先ず皆様にこの七つを頭に入れておいて頂ければ、私の話は殆ど終わったなあということでございます。
 続きまして命名150年事業とは何なのかについて、武四郎とはなど、ご説明をしていきたいと思います。
 北海道の歴史を振り返りますと「北海道には本州と異なる非常にユニークな独自な歴史文化がございます。人類が北海道に住み始めたのは今から約3万年前の旧石器時代、その後先程の縄文時代、続縄文、擦文時代、北海道には弥生時代はなく、そして先住民族としてのアイヌ文化と続いております。
 アイヌの方々は北海道の自然の中で共生しながら独自の文化を発展させてこられた方々でございまして、命ある者全てを尊重するアイヌの方々の自然観、また世界観というのは現在も、そしてこれからも尊重すべきものと考えております。
 明治以降につきましては他県から移住された方々が道内各地に入られまして、ご尽力、大変なご苦労、ご努力によりまして、また数々のお雇い外国人の知識や技術を借りながら世界的にも類のないスピードで、短期間で近代化が成し遂げられた地域でございます。
 そして1869年松浦武四郎が明治政府に提出した意見書を基に北海道と命名されてから来年150年目の年を迎えます。この記念の年に北海道の歴史、文化、先人の偉業をふり返りながら感謝し、道民の皆さんと国内外、北海道ファンの皆様と共に北海道のすばらしさ、様々な交流を広げて北海道が持つ価値を次の50年に繋げていきたいということで事業を展開していきたい、そしてこれからの北海道を支える、特に子供達に向けて記憶に残る事業をしたいと考えておりまして、基本姿勢としまして、未来志向、価値創造、道民一体を掲げております。
 事業の構成でございますが大きく分けて二つございます、一つ目は経済界ですとか様々な民間団体から構成されている実行委員会が実施する記念セレモニーになっております。
 記念事業の実施期間は来年1月から12月までの1年間でございますけれども、このうち記念式典は来年の8月5日に「北海きたえーる」で開催を致します。またその前後になりますけれども7月14日から8月26日の間150年ウィークとして食やアート、スポーツ、科学など様々なテーマによりまして北海道を発信する取り組みを展開していきたいと思っております。
 こういった事業に協力してくれる企業の方々をパートナーと呼んでおりまして、現時点で国内外の118社の皆様にご協力・ご支援を頂いております。例えば、北海道150年関連のテレビ番組の制作など企業の皆様が持つ企画力、ノウハウを生かして頂きながら取り組みを展開していくこととしております。
 二つ目は道民の皆様方が主役となる北海道みらい事業でございます。現在、全道各地で約300を超える事業が企画されておりまして、この事業につきましては予算の範囲内ということになりますが、北海道による交付金の支援も予定をしております。今日こういった取り組みを初めて知ったので、それぞれの企業さんでこれから取り組みを考えたいという方につきましては、事務局の方にお問い合わせなど頂ければと思います。
 また今年はプレの年でカウントダウンイベントなどによるPRをしてきておりますし、この実行委員会のサイトで北海道をPRする動画も配信をしておりますので、こちらの方もご覧頂ければと思っております。年明けからはまさに北海道150年ということで大きなものとしては、2月5日に北海道に縁のある音楽や映画、著名人を招いたキックオフイベント、1月19日から25日の間は赤レンガ庁舎でのプロジェクションマッピング、また雪まつりなど様々なイベントで事業を行って参ります。これから順次正式に発表されていきますので注目をしておいて頂きたいと思っております。
 次に、本題であります150年事業のキーパーソンの松浦武四郎さんについてコピーを掻い摘みながら、また加えながら説明をさせて頂きたいと思います。北海道命名150年ですけれども、実は松浦武四郎さんも生誕200年に当たるということで出身地の三重県松阪市では生誕200年の記念事業が実施をされます。
 松浦武四郎さんについては、一昨年NHKテレビの「歴史秘話ヒストリー」とか昨年もNHKの番組で取り上げられているなど、少しずつどういった方なのかといったこが全国に広がりつつあるようですけれども、まだまだ知名度が低いのではないのかと思っております。
 武四郎自身、晩年には北海道のために一生を捧げたといってもいいと語るほど北海道のために力を尽くしてくれた方でございます。また武四郎の生まれた故郷は三重県の松阪でありまして現在も松阪城址が残っております。
 戦国時代この地を築いて来たのは和歌山藩でございますけれども、飛び地だったということで自由な商業活動ができて、この松阪の商人は、江戸の日本橋には松阪から出て来た商人達が軒を並べて豪商の町として知られて栄えておりました。その代表的なものは三井家、長谷川家、小津家、永井家といった豪商ですとか、松阪南部の食品卸売企業の国分で知られる国分家など、そういった商人が江戸の経済を支えてきたという歴史があります。
 武四郎の故郷には松浦武四郎記念館がありまして、この記念館には現在1505点が重要文化財の指定を受けております。
 武四郎が生まれたのは1818年2月6日、亡くなったのが1888年2月10日ということで、地元では2月が武四郎に縁のある月というもとで、2月の最後の日曜日に「武四郎まつり」が行われております。武四郎がアイヌの人々と深く交流をしていたことに因んで、毎年北海道からアイヌの方々が招待をされまして、アイヌ古式舞踊や地元の子ども達との交流が繰り広げられております。
 武四郎は子どもの頃から旅に対する憧れを持っておりました。生家の前を通る道は伊勢神宮に繋がる古くからの道で多くの旅人が伊勢を目指して全国からやって来て、そういう姿を見て武四郎は旅に非常に高い関心を持ったそうです。
 12歳の頃、文政の「おかげ参り」という江戸時代最大の伊勢詣でのブームが起こりまして、当時の日本の人口が約3000万人に対しまして1年間で約400万〜500万人の人々が伊勢に全国から押し寄せたため、武四郎の家の前を多くの旅人が行き交う姿を見て驚き、そして自らも外の世界に目を向けるようになりました。
 その後、武四郎は16歳で家出をしたと言われております。三男だったので結構自由な生活が出来たのかと思います。そして17歳から日本全国中を周りまして19歳で四国八十八箇所の霊場を全て周り、広島では厳島神社を見たりしております。武四郎は常に手のひら位の大きさのメモ帳を着物の中に入れておいて、何時でもいろんな事をメモしたり、景色をスケッチしておりました。このように単にいろいろな所を見て回るだけではなくて、記録を取ったことが後に、北海道に渡った時に大いに生かされていくことになりました。
 武四郎が蝦夷地へ渡ることとなったのは、ちょうど28歳の時でした。この時、長崎にいたのですが、蝦夷地がロシアによって脅かされていることを知りました。
 当時ロシアは冬でも氷らない海を求め、南下政策を進め、蝦夷地を手に入れそこを足がかりにアジアに進出したり、捕鯨のためのマキや水、そして食料を補給する場所を求めているといったことを聞いた武四郎は、ロシアによって脅かされる蝦夷地の存在を初めて知りました。日本を守るためには、蝦夷地が一体どういうところなのかしっかり調べて多くの人々に伝えることが大事なのではないかと考えたと言われております。
 そこから蝦夷地の探索がアイヌの方々の案内により始まるわけでございます。資料の2枚目の下の方に地図が書かれておりますがご覧頂きたいと思います。第1回目の探査で太平洋側の海岸線を歩いて日高などを通りまして知床岬の先端に到達をしております。
 第2回目は日本海側を北上して宗谷に向かいそこから樺太へと渡っております。そして南側を巡って宗谷へ戻ると、今度はオホーツクの海岸を歩いて知床へと再び到達し、この2回の探査で蝦夷地をほぼ一周しております。
 3度目の探査では北方四島の国後、択捉、歯舞群島、色丹島を巡りまして3回の蝦夷地の探査の記録を纏めております。当時32歳だったと言われております。調査の中で武四郎が見たのは、松前藩の厳しい政治によりましてアイヌの人々が過酷な状況におかれていることでありました。ロシアから日本を守るためには、そこに暮らすアイヌの人々を守らなければいけないと考えた武四郎は、当時の政治が正しいかどうか世の中に問いかけるような本を作りました。
 そういったこともありまして松前藩からは非常に嫌われるようになって蝦夷地への渡航が禁止されることになりました。しかし、その後、アメリカからペリーが来航して日本も開国することになります。そうした時期に幕府はロシアから日本とロシアの国境をどこにするのか強く求められたため、3度の探査に基づく武四郎の経歴により幕府の役人として登用されることになりました。
 そして再び、39歳、4度目になりますが、蝦夷地に渡ることとなりました。この時は蝦夷地の海岸線を一周して更に樺太へと渡ってアイヌの人々が何処まで暮らしているのかを確かめにシスカ、丁度ここが北緯50度線に近いところであるそうなのですが、ここまで探査をしております。そして、そこより北には現在ではウィルタとい呼ばれる民族が暮らし、更に北にも暮らしていたということを指摘しまして、アイヌの方々が住んでいた地域が日本の領土であるということで、北緯50度の辺りが日本とロシアの国境であると幕府へ建白をしております。この後、武四郎は病に倒れてしまったのですが、再度5回目の探査に出かけます。病み上がりだったため、石狩川、天塩川の流域を船で遡って探査をしてきています。今までは沿岸部の探査でしたけれども、今度は内陸部の方の調査へと行き先を変えました。そして6回目、41歳、最後となる探査では、石狩川の上流から富良野の方へと抜けて十勝岳連峰の峠を越えて帯広へと山越をする、十勝越を本州から入った人では初めて達成をしました。また、この地図もぐにゃぐにゃと内陸の方に線が向かっておりますけれども日高地方の海岸線の川を一筋、一筋調べたり、道東の阿寒、摩周、屈斜路湖、こういった所を詳しく調べて6回目の探査を終えております。武四郎が常に用いていたのが野帳(のちょう)というもので資料の5頁の右下の方に写真が出ております。長広いメモ帳の束でありますけれども、これをたえず持ち歩いておりまして、そこには地形のスケッチやアイヌの人々の生活の様子、そして本州にはいない動物の絵も描いてありました。
 アイヌの人々の村々を一つ、一つ訪ねて名前ですとか、家族構成、年齢なども記録をしております。武四郎はアイヌ語も勉強をしておりました。アイヌ語は文字が無かったのですが、それを日本語に置き換えてこの野帳の中にそれぞれの地域名を克明に記載しております。
 そしていろいろとアイヌの方々は商人などに策略などされていたわけなのですが、当時アイヌの人口が急減しているといったことを明らかにしております。こうした内容をとりまとめたものは先程お話した松浦武四郎館に151冊ほど残されております。多くの幕末の志士達も武四郎のもとに親しく交流をして日本の将来について語り合っております。この時吉田松陰も武四郎と仲良くしていたということです。そして武四郎は、当時の日本の外交において一番重要な課題であった蝦夷地、樺太、千島列島のことについて最も良く知る人物として評価をされるようになりました。武四郎はアイヌの方々が置かれている状況を克明に記載しておりますが、当時、10年後には今のアイヌの人口は更に半分以下にまで減ってしまうと、もしこれが間違いであれば、私は自分もこの命をかけて罪を償うといいたことまで記しておりまして、本当に武四郎はアイヌの方々の人命と文化を守るといったことを真剣に考えて幕府に訴えてきました。
 そしてアイヌの方々の中にも「こういったような酷い政治が続くようであれば、いっそのことロシアの領土になってしまった方がこんな酷い扱いを受けることもないだろう」という人々の声を聞きまして、今の政治のままでは駄目だと、変えていかなければいけないということで、立ち上がりまして、幕府へも進言をしていくわけでございます。
 この松浦武四郎が再び国の役人として登用される中、アイヌの方々を苦しませていた場所請負商人といわれていた制度、これは商人の方がアイヌの方々をいろいろと搾取をする、こういったようなことは止めるように進言をして、一旦幕府も、これではいけないということで松浦武四郎の考えを取り入れ、この制度を廃止しました。武四郎自身もこの新しい時代を迎えてようやくアイヌの人々が安心を暮らすことが出来る社会を造れるのではないかと非常に期待をしていたところでした。しかしこういった取り組みを進めると快く思わない人もおります。彼は当時開拓判官として島義勇と共に札幌の街造り、そして北海道の街造りについて熱く語っていたそうですが、二代目の開拓使長官であった東久世通禧から遠ざけられて、武四郎の意見は聞き入れなくなり、明治3年に辞表を出すことになります。この辞表には商人達が東久世に賄賂を送っていたと書かれてありまして、その後廃止されたはずの場所請負商人制度というものが、漁場持ちという名前ですぐに復活してしまい、再びアイヌの人々が苦しい生活を迎えることとなり、武四郎の思うようにはいかなくなってしまいました。
 時代が後先になりましたが、明治2年明治政府に蝦夷地について、北海道という名前を提案します。その提案については4頁の中ほどに「道名」の選定をめぐってといったところに書いてあります。この時武四郎が政府に提出したのは六つの名前「日高見道」、「北加伊道」、「海北道」、「海島道」、「東北道」、「千島道」を提案しております。しかし「北海道」という言葉にはアイヌの人々を尊重する武四郎の思いが込められておりました。
 アイヌの人々は古くからお互いを「カイナー」と呼び合って、「カイ」という言葉はアイヌの人々を指す古い言葉でありました。この「北海道」という名前には、日本の北にあるアイヌの人々がもともと暮らしてきた広い大地、北のアイヌ民族が暮らす大地という思いが込められております。
 また道内には各地に武四郎の記念碑がありまして、三体の銅像を含めて60箇所近い碑が存在しております。こうした状況は、やはり各地に地名を付けたということもあるのでしょう。大変道民に愛されております。そして、北海道の名を提案する時に国や郡の名称を、また境界線、細かな地名も提案をしておりまして、今の振興局の渡島や後志、檜山などの国、また郡の名称といったものの多くが、採用されております。それぞれ渡島国とか、後志国といった国の境界線も武四郎の案に沿ったようなかたちで現在も使われている状況になっております。こうしたことから武四郎は「北海道」の名付け親と呼ばれてきているところです。武四郎の晩年は、一畳の書斎の中で暮らしていたそうで今も国際キリスト教大学に現存しているそうですけれども、一畳敷という珍しい部屋、この中で全国から集めた古い木を用いて部屋をつくるなど、ある意味不思議な魅力を持った人であったということであります。
 最後になりますが5頁目、武四郎の生き様から学べることとして、
@さまざまな文化や価値観を受け入れる広い心
A噂や誤った情報に惑わされない真実を見抜く眼
Bどんな困難をも乗り越え、常に先を切り開く力
 これらが武四郎の生き方から学べるものとなります。
 最後繰り返しになりますけれども、来年命名150年を迎えます。本道の独自の歴史、文化、国内外に誇る豊かな自然は道民にとってかけがえのない精神的な豊かさの源でありまして、道民の方一人一人が新しい北海道を我々の力で創っていくという気概を持ちながら北海道の新しい価値、誇るべき価値を共有し、未来を展望していく、そういった来年は1年にしたい。国内外はもとより世界中と繋がる1年としていきたいと考えております。50年後、北海道200年を担うのは、まさに今の子ども達であります。
 これからの時代を担う若い世代の皆さん方に北海道命名150年の時は、こういうことをやっていたのだという記憶を刻み、北海道が持つ価値に気づいて更に新たな価値を創っていくチャレンジのきっかけとなったり、子ども達、私達が頑張ってこれからの50年の北海道を支えていこうという気概、ふるさと北海道に対する思いを抱いて頂きながら、子ども達の柔らかい頭から生まれる新しい発想が今後の北海道の発展に繋がるような150年の取り組みとしていきたいと考えておりますので、皆様方のご協力・ご参加どうぞよろしくお願い致します。」
 続いて第2部の懇親会に入りました。
 金井重博当支部顧問(昭和38年・商・(株)富士旭光社代表取締役会長)から「皆さん、今晩は只今ご紹介頂きました金井でございます。私は現在満76歳になりました。 50年前にこの札幌支部に入れて頂きました。その時声をかけて頂きましたのは、その当時中央大学出身の弁護士で、札幌市長の高田先生が支部長をやったおられた時の札幌市の 観光課長をやっておられました、菅さんという方がおられましてその方が「あなたも中央大学の出身なら札幌支部に入ってくれと」そういう話がありました。 この菅さんは高田市長の娘婿にあたる方で、現在その方が観光課長の時代に創られたのが観光馬車、札幌市内で幌馬車が走っておりますね、あれも菅さんのアイディアです。 それから北24条に札幌サンプラザというホテルがありますが、これも菅さんのアイディアで造られたと聞いております。
 乾杯の音頭という事で学員会の本部にお聞きしまして、最近どんな動きがあるのかとお聞きしました。皆さんのお手元にある新聞にありますように本学が箱根駅伝の予選会で 3位に入ったという事で来年の1月2日の出場権を得たという事が一面に載っておりました。
 また今年巨人軍のドラフト1位に指名されたのが、本学野球部の鍬原拓也投手という事で今後が期待されると思っております。後大学では学長選が理事会承認を得られなかった という事でもたもたしているようですが、副学長以下は決まったようでございます。
 それでは中央大学の今後ますますの隆盛と、本日ご参会の学員の皆様方のご多幸と御健勝を祈念して、乾杯の音頭を取らさせて頂きます。」



 懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み会員同士の名刺交換を行ったり、日頃ご無沙汰している先輩への挨拶回り、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、 久し振りの再会を喜ぶ姿がテーブルのあちこちで見受けられました。




 暫く歓談のあと司会者から新規入会者の紹介等が行われました。


安藤 務(平成1年・商)安藤務税理士事務所・行政書士事務所
井内 麻鈴(平成29年・法)北海道環境生活部環境局循環型社会推進課


泉 一雄(平成18年・理工)JXTGエネルギー(株)札幌支店
井門 義貴(平成23年・経済)札幌アポロ石油(株)


井上 裕文(平成19年・法)一般社団法人共同通信社札幌支社
川田 七海(平成29年・法)札幌市北区保健福祉部保護四課


岸 晃太朗(平成29年・法)札幌市白石区保健福祉部保護三課
木村 誠吾(平成6年・商)三栄電機販売(株)


齋藤 明久(平成11年・法)JXTGエネルギー(株)北海道支店
澤本 美紀(平成29年・法)札幌市東区保健福祉部保護四課


田畑 善嗣(平成29年・法)北海道総務部財政局税務課
前嶋 靖(昭和61年・理工)前嶋社会保険労務士事務所


山石 翔大(平成23年・法)北海道労働委員会事務局調整課
渡部 武(平成7年・文)野村證券(株)札幌支店

 飲み物・ビンゴゲームの景品の寄贈者は下記の通りです。
・札幌市役所白門会(飲み物)
・大峠 栄治氏(昭和58年・法)ヤマサ醤油(株)札幌支店
・工津 輝雄氏(昭和39年・商)(株)エミック
・田代 信一氏(昭和56年・文)(株)京王プラザホテル札幌
・逵本 秀久氏(平成1年・理工)(株)NTTデータ北海道
・檜森 聖一氏(昭和45年・法)(株)北海道二十一世紀総合研究所
・高橋 恭平氏(昭和48年・理工)(株)タカラ
・松井 宏衛氏(昭和53年・商)バイエル薬品(株)北海道営業所
・西原 達之氏(昭和39年・商)(株)メデイアプラン

 本会の目的は会員同士がより一層親睦を深めるのが目的であり、アルコールが入ったところで恒例のビンゴ大会に入りました。酔いが回ったせいかなかなかビンゴが出ませんでしたが 時間が経つにつれて、次々とビンゴが出、表ビンゴ、最後のビンゴで会場は一気に盛り上がりました。尚ビンゴの景品は参加者全員に当たるよう支部で用意した景品の他、 会員からのご寄贈もありました。






 因みに最初の表ビンゴは、知野学氏(平成3年・法・札幌市経済観光局)が、最後の裏ビンゴは鈴木暁美氏(平成10年・法)が獲得しました。



 懇親会の最後は恒例となっている校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入りました。柴田副支部長、金井重博、出戸一成、工藤武久各顧問の 他小林千代美千歳氏(平成4年・法・千歳市議会議員)が壇上で、その他の学員はその場に立ち、3番までフルコーラスで熱唱しました。
 最後の惜別の歌に至っては全員が輪になり、肩を組むなど誰もが過ぎ去りし青春時代への思いに浸っているようでした。








 結びは舟橋健市副支部長(昭和47年・商・舟橋公認会計士事務所)が壇上に立ち。参加者全員が「よーい」の掛け声により一本締めで盛会の内和やかに終了し散会致しました。


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平成29年9月9日
第58回ゴルフ大会の開催

 本年度3回目は昨年に続いて北広島市にある「札幌リージエントゴルフ倶楽部トムソンコース」において開催されました。
 小樽支部との交流を兼ねた本大会は本年で6回を迎え小樽から佐野英昭氏(昭和54年・理工・環境工房(株)代表取締役)一人の参加となりました。当支部からは西原幹事長以下14名参加頂きました。当日は前半のインコーススタート時はあいにく曇天でしたが、途中から晴れて来て絶好のゴルフ日和となり楽しい一日となりました。
 恒例により競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。優勝は当支部の工津輝雄氏がアウト41、イン41、で、準優勝は舛田雅彦氏(昭和56年・法・札幌総合法律事務所、アウト40、イン42)がそれぞれ獲得しました。尚ベストグロス賞は伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKOINC.アウト44、イン37)が獲得しました。その他ニアピン・ドラコン・大波・小波・平和の各賞と盛り沢山用意し、幹事長から賞品を全員に授与し、「来年も是非参加して頂きたい。」と挨拶、優勝の工津氏から優勝の弁、小樽の佐野氏からもご挨拶を頂きました。
 また今回初参加の中村健一氏(昭和51年・法・オフィス中村)、逵本秀久氏(平成1年・理工・(株)NTTデ−タ北海道)の両氏からも「来年も是非参加したい。」旨ご挨拶を頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気の中で進み、次年度の再会と健闘を期して和気あいあいの内に散会しました。尚、関口正雄小樽支部長、檜森支部長、柴田副支部長、優勝の工津氏、高橋恭平氏(昭和48年・理工・(株)タカラ専務取締役)、田代信一氏(昭和56年・文・(株)京王プラザホテル札幌リスク管理担当支配人)、大峠栄治氏(昭和58年・法・ヤマサ醤油(株)札幌支店長)からもそれぞれ景品をご寄贈頂きました。


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平成29年8月25日
第3回中央大学員会全道支部交流会議の開催

 帯広にあるホテル日航ノースランド帯広3階会議室において午後4時30分より当支部より檜森支部長、西原幹事長、函館より平沼冠三支部長、旭川より八重樫和裕支部長、上村有史幹事長、帯広より後藤裕弘支部長、大塚徹副支部長,矢戸高尚副支部長、石川政彦幹事長、釧路より中村圭佐支部長出席のもと開催しました。
 檜森支部長から「お忙しいところお集まり頂きありがとうございます。本日の会議はここで何かを決めるというよりも支部の連携を図るために懇親する事も大事だという事で開かせて頂きました。」と挨拶、続いて西原幹事長の司会で議事に入りました。
 議案第1号「平成28年度支部活動について」 各支部から以下の通りそれぞれご報告を頂きました。
 「帯広支部」
 石川幹事長から
@現在本支部の会員は81名おります。昨年は総会に本学より林勘市常任理事、学員会本部より久野修慈会長出席のもと開催(参加人員28名)。・平成28年度事業報告・収支決算報告に続いて29年度事業計画・収支予算(案)の承認。・大塚徹副支部長、讃岐武史幹事より活動報告。・新入会員2名の紹介。・出席学員の近況報告等が行われた。
A第3回学員会全道支部交流会へ石川が出席。
B平成30年に支部創立50周年を迎えるが、記念学術講演会の開催と記念誌の発行に向け検討している。
C本部より助成の「支部活動支援費」を活用して昨年会報1号に続いて、今年2号をカラーA4判で総会等の写真を中心に制作し学員に配布する予定。
 「釧路支部」
 中村支部長から
@支部定期総会の開催(参加人員15名)。
A第3回学員会全道支部交流会へ中村支部長出席B支部新年会の開催(参加人員19名)。
B中央大学父母連絡会釧路支部総会へ参加(支部より中村支部長出席)。
C支部年会費は徴収していない。
「旭川支部」
 八重樫支部長から
@中央大学父母連絡会道北支部総会へ参加(支部より3名出席)。
A旭川在住の各大学卒業生との親睦・交流を図る第28回大学対抗親睦ゴルフ大会へ参加(支部より2名出席)。
B第3回学員会全道支部交流会へ参加(支部より八重樫支部長出席)。
C支部総会の開催。(参加人員23名)。
D会員は現在202名。支部年会費は徴収していない。
 「函館支部」
 平沼支部長より
@中央大学父母連絡会函館支部総会へ参加。(平沼支部長出席)
A支部総会の開催(参加人数16名)。
C第3回学員会全道支部交流会への参加。(平沼支部長出席)。
D中央大学父母連絡会函館支部新年会へ参加。(平沼支部長出席)。
E函館東都リーグ新年会へ参加(支部より3名出席)。
F支部新年会の開催(参加人数23名)。
 「札幌支部」
 西原幹事長より別添の平成28年度事業報告について報告が行われました。会合の中で各支部共通の懸案事項として
@会員の高齢化。
A新規入会者の減少。
B総会・新年会への若い会員の参加が少ない。
C支部財政の問題。
D白門飛躍募金協賛への協力等が話されました。
 懇親会は別会場に移り帯広支部より新たに幹事の高橋常夫氏・今木啓智氏が出席されました。
 後藤裕弘支部長の乾杯で懇親会に入りました。会は終始和やかな雰囲気の中で行われ各支部との情報交換・交流を図る事が出来ました。尚、次回は札幌市で開催する事で全員了承しました。


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平成29年8月10日
平成29年度定時総会の開催

 連日蒸し暑く厳しい暑さが続いている最中午後6時より京王プラザホテル札幌3階「扇の間」において本学本部から大村雅彦理事長、学員会本部から大木田守副会長、小沢知文中央大学父母連絡会札幌支部長をご来賓に迎え檜森支部長以下100名の会員が集い開催されました。



約2時間20分お互いの近況を語り合いながら母校の更なる発展に向けて奮闘を誓い合いました。
 司会進行は西原幹事長が行いました。議事に先立ち支部長から「本日は暑い中、お忙しい中、たくさんの学員の皆さんに集まって頂きまして有難うございます。当支部も元気で、明るく、仲良くという非常に単純なスロ−ガンで支部長になってから、いろんな交流を進めて参りましたが、お陰様で皆様の大変なご協力もありまして何とかどの行事も活発に人が集まつたり、あるいは交流の輪が広がって来る事が出来ました。本当に有難うございました。本日は中央大学から大村理事長にご出席を頂きました。また学員会からは大木田副会長にお見え頂きました。ご多忙の所本当に有難う御座います。また日頃大変お世話になっております中央大学父母連絡会札幌支部長の小沢様にもお越し頂いております有難うございました。」と挨拶がありました。



 続いて下記の学員物故者に対する黙祷を行いました。
・石林 清氏(昭和21年・法) 3月19日死去(当支部特別顧問)
・竹内登記彦氏(昭和33年・商)4月18日死去
・澤村二郎氏(昭和24年・経済)6月7日死去
続いて支部会則第10条3項に則り支部長を議長に第1部の総会に入りました。
第1号議案「平成28年度事業報告並びに収支決算報告について」
幹事長から別添の資料に基づき報告し、次いで会計監事の高橋恭平氏(昭和48年・理工)から監査報告があり諮った結果異議なく承認されました。



 第2号議案「平成29年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
幹事長から資料に基づき説明し諮った結果異議なく承認されました。
  続いて第2部の卓話「読み聞かせ・堂前流ボランティア」に入りました。講師は堂前綾子氏(昭和42年・文・三角山文庫代表)にお願いしました。講演の内容は次の通りです。



「今日は三角山文庫ってなーに?と思われると思い、お手元に2018年で三角山文庫50年、そのエッセイのさわりをコピーしましたので読みながら、耳と、目を横目でこちらに傾けて頂けますと幸いです。


 札幌とのかかわりを話します。私は新潟県長岡市の出身で42年に中央を卒業しました。夫・堂前 暁は歳は一つ上で、学年は一つ下の昭和43年中大法学部卒業で、学生時代は歌の神田川の世界でした。先に中大を卒業した私は新潟放送に勤務し、翌年の43年に夫がまだ開局前のHTB北海道テレビ放送に入社し、その年の昭和43年10月に結婚で札幌に住み現在に至っております。夫が退職し「そろそろ中大の集まりに参加しようかな・・・」
と言っていましたが、平成17年11月27日に突如あの世に旅たってしまい、その代わりに私がこの集まりに参加しております。
 昭和43年秋に自宅の隣のアパート『堂前荘』で私が近所の方に英語を教えたのをキッカケに幼児、小・中学生が来て、いつのまにか寺子屋塾になり、その場所を利用し、夫が日曜大工で机・本箱・黒板等を造り、いらした方々に本の貸し出しと読み聞かせが始まりました。
 名称がなく、「堂前さんのとこ」とか「堂前塾」とかそれぞれが言い、名前を付けようと。目の前に見上げる【三角山】があり、そこから三角山文庫と名付けましたね。
 昭和55年に一条離れた三角山の麓に知人が引っ越した家を買い、家庭図書館とし、毎週土曜ボランティアの方々で読み聞かせと本の貸し出し、ボランティアの方々が布の絵本を制作し来場者にみて頂きました。平日昼と夜はお子さんから大人の方々の文化教室と寺子屋塾で【本と人とのふれあいの場】としました。
 三角山文庫の趣旨が・幼児から大人への人間的つながりにこだわり、大人と子どものふれあいを大切に
 ・子ども一人ひとりの個性を伸ばし、ノビノビ和やかに自然に学びあえる【自主性を重視】
 ・子どもには叱る以上にフォローを忘れず、褒め、励ます、自信をもたせる。
 文化教室は「普段の成果と張り合いのために」中央区ギャラリーで展示会を毎年開催。
 年間行事として秋に【ふれあいガーデンバザール】でフリーマーケットや、文庫内ではそば・おでん・肉まん・あんまんやドリンク・・・地域の方々は勿論市外の方々もいらして下さり、【お子さんから大人の方の縦長なつながり】も出来、夏には『お子さんのお泊まり会』や『陶芸や籐工芸の無料講習会』等アイディアを出し合い行いました。
 残念ながら、平成13年2月に氷の重みで集合煙突が倒れ、建物が壊れ、私の体調不良も重なり、状況判断も出来ず、4000冊の本も処分「人生おわりかなー」と持病の鉄分欠乏症。その後貧血もプルーンなどで少しずつ力がわいてきて、【35年の三角山文庫のメッセージ】を全国の皆様に伝えたくエッセイ『本があるからよりみちしょう』全国出版。
 夫が「三本足の飼い犬のロッキーを散歩に連れて行くと、振り返ってみる人の目が気になる・・・」と聞いたので、私は【紙芝居 三本足のロッキー】を書き、市内の九つの区民センターのロビーで展示し見た方々の感想を頂き、それが絵本として全国に【メッセージ発信】しました。その後【紙芝居 すてねこポチとたまのおはなし】も絵本で。テーマいつの間にか【人と動物の共生を願う・・・】で実話が多いですね〜。
 2004年(平成16年)【布の絵本と紙芝居持参で出前講演】のゼロからスタートの三角山文庫ですね。
 札幌市内外や道内、新潟県長岡市、魚沼市、南魚沼市・・・など40箇所以上回り2005年(平成17年)9月、韓国のポーハンの短大Sunlin College約150名の学生にも講演をしました。テーマは「日本の紙芝居と布の絵本」で盛り上がり「言葉を超え、世界は一つ」を実感しました。費用は自前ですから、同期会などの集りついでに紙芝居、露天風呂大好きでビジネスホテルではなく温泉ホテルを取ります、二食ついていますしね。『何々ついでに紙芝居』ですね。
 出版社が倒産し、跡を引き継いだ出版社も倒産・・・ついに自分で「ボランティア出版」で布の絵本と出版本を作っております。【ねぇ みんな!地域猫ってしってる】は北海道新聞出版局協力で制作。
 ※三角山文庫布の絵本・作者はながやひろこ氏
 ※三角山文庫出版・制作協力は西区山の手福祉推進センター運営委員長であり山の手地区民生委員児童委員協議会の会長でもある遠藤明雄氏。
 ※ライブ活動はFMラジオカロスのパーソナリティ ひまわりヘレナ氏やシンガーソングライターNORICOとディレクタ−江端氏と石島しのぶ氏。
 ※新潟県の紙芝居講演は友人・知人の方々。
周りの皆さんに助けられながらで感謝、感謝ですね。
「いつのまにか堂前さんに、させられているのよねー・・・」と言われつつね。
結構、私は前向きで「ケセラケセラ人生かも」と、絶対無理はせず「自然体が一番」と。どうせするなら楽しく・有意義に、周りには気遣いしながら、余計なことは言わず?ですが、うっかり自分ではわからなくても相手の方の気持ちを逆なでしているかもと思いながらね。注意、注意ですよ・・・
 「今日のメッセージですが【紙芝居・子に語る 三つの坂道のお話し】をしたいと思い持参しています。これは、北一条通左側の北海道神宮を見て、右カーブ西野方面に行く中央区と西区の境の「浄國寺」の坂道と「宮の森珈琲」の坂道と山の手一条と二条の坂道三ケ所に、地区住民が応募で名前を付けた。それを私が創作で絵本にしました。
 あっ!以前あった三角山文庫の建物は宮の珈琲の坂をちょっと上がった場所で偶然ですよ、自分でもビックリですね〜」
 山の手小学校や山の手南小学校の授業の【読み聞かせ】に地域参加で行っています。生徒の皆さんの「おはようございます」、「ありがとうございました」挨拶の良さに私達大人も見習うべきだと思いましたね。
 現在は自宅兼三角山文庫ですが、【道民カレッジ】(北海道生涯学習)連続講座として、【三角山文庫の寺子屋塾】を一般方々含め開催中です。これらの活動が出来なくなってもそれはそれでOK!と。「今、自分に出来ることをするだけ・・・」
 札幌西高の玄関の掲示【やるときはやる・やることはやる・やれるだけやる】と。
 自分自身を鼓舞しながら、その言葉が原点かもですね〜」
 続いて第3部に入り有塚広之副支部長(昭和63年・法・札幌市子ども未来局子ども育成部長)が壇場に立ち「今、札幌市役所の子ども未来局という所におりまして、育てやすい街ということでいろいろと事業を進めているところでございます。札幌で子育てするのが、しやすいという事で人が集まって来るというような事をやっております。札幌も今幸いにも人口がまだ減っておりませんけれども、全国的に人口が減っているという事でこのまま札幌も減っていくと予測をされております。そういった中で、中央大学の方に進学される学生を私としては、増やしたいと思っておりますけれども、是非大学で学んだ事を札幌に戻って来て活かして頂きたいと思っております。 それでは皆様ご唱和頂きたいと思います。」


 しばらく歓談後、司会者より新規入会者の紹介に移りました。今回新たに会員となった学員は総勢12名で壇上に立ち自己紹介を兼ねご挨拶を頂きました。


・伊藤考一氏(平成12年・法)伊藤・大出法律事務所
・片倉重文氏(平成19年・文)千歳市総務部職員課


・吉川尚人氏(昭和55年・商)道銀カード(株)
・小林誠一氏(昭和51年・理工)(株)アイム環境ビル管理


・小山尚人氏(平成15年・商)キャリアバンク(株)
・四方学氏(平成23年・文)札幌市議会事務局総務課庶務係


・巽豊氏(平成12年・法)千歳市総務部総務課
・逵本秀久氏(平成1年・理工)(株)NTTデータ北海道


・中村健一氏(昭和51年・法)オフィス中村
・南知秀氏(昭和56年・文)公益財団法人千歳青少年教育財団


・山田真由美氏(平成23年・法)北海道教育大学札幌校
・山田浩氏(平成8年・法)北海道公立大学法人札幌医科大学事務局管財課

 続いて大村理事長から「北海道に来るのは、私は3〜4回目くらいですが、空港で飛行機を出て直ぐにああ身体が楽だなあと感じました。昨日あたりその前あたり東京は大変な暑さでしたけれども、大変過ごしやすい一日を今日は過ごさせて頂きます。
 私理事長を拝命しましたのは5月の末でございます。まだ理事長と呼ばれますと一瞬と惑いがありまして誰か他の人の事かと感じる事がございます。
学内の教員が理事長に選ばれたのは48年振りだそうで、そういう意味で他大学では教員が理事長になる事はしばしばあるのですが、本学では長らく外部の有力なOBの方が理事長を務めて来られました。 この非常に変化の激しい時代、大学もいわば冬の時代でありまして、18歳人口がどんどん減ってきている、いわば教育産業というのは斜陽産業ですねそういう意味ですね、どんどん市場が小さくなってきている。そういう中でも、しかし大学は全国で700位ありますので、その内半分位は過激な事を言いますと将来潰れてもしようがないかもしれませんが、やはりそうはいっても高等教育、日本の高等教育を支える大学というのは当然必要であります。
 中央大学は当然その中に入ってそして今後とも繁栄していかなければならない、皆様の母校中央大学が永遠に続く、これは当然やっていかなければならない事であります。昨年中央大学の中・長期事業計画、CHUO VISION 2025 策定致しました。あの原案は総合戦略会議委員として携わり取り纏めたものでございます。その計画づくりだけではなくて、それを遂行していく役割を今回与えられたと、この様に捉えて前向きにこの重責を担うと覚悟を固めた次第であります。 微力ではありますけれども中・長期計画の内容を一つ一つ、一歩一歩実現していきたいと思っておりますので、どうぞ札幌の皆様方のご支援を宜しくお願い申し上げたいと思います。
 それから後で学員会の大木田副会長から申し上げると思いますが、今年の10月にはまた恒例のホームカミングデーがございますので、ご都合のつく皆様は是非多摩キャンパスにお出で頂きたいと思っております。
 最後になりましたが、この札幌支部のご発展そして皆様方のご健勝をお祈り申し上げまして私の拙いご挨拶とさせて頂きます。今後とも宜しくお願い申し上げます。」



 続いて学員会の大木田副会長から「本日は札幌支部の盛大な総会おめでとうございます。先程は初めて参加する学員が11名壇上で挨拶されましたけれども大変札幌支部の勢いを感じました。 今、大村理事長が挨拶をされましたが大学の教職から理事長になるのが48年振りという、いよいよ中央大学も含めて大学の生き残りの時代に入ったというような事で、学員会といたしましても、大村新理事長を大きく支えて中央大学の再びの発展のために尽くしていこうと何時も久野会長と話しをしております。
 先程、大村理事長から10月22日(日)のホームカミングデーの話がありました。私も実行委員会の委員長をやっておりますので、その内容だけ簡単にご紹介させて頂きます。昨年は「君の名は」でヒットした新海誠さんの講演が大変好評でございまして卒業生6,400名の皆さんが母校に帰って来て頂きました。 第一点目今年は第26回という事で目玉は秋元康さんが初めて母校に来て講演をするという事であります。時代の波を見つける人もいますし、時代の波に乗る人もおりますけれども。秋元康さんは時代の波を作っている人なのですね。AKB48の事もそうですし、歌詞もたくさん作っておりますし、美空ひばりさんが唄った「川のながれのように」もそうですし、秋元さんの講演が皆さんから大変期待されております。
 第二点目の企画は、中央大学132年の歴史の中で様々な歌が生まれて、歌は不思議な力を持っておりまして、中央大学の発展に校歌、応援歌がありますけれども「中央の歌、白門の響き」という事で1時間に亘ってバックに中央大学の歴史の映像を流しまして、様々な校歌、応援歌、「中央の若き日に」を初めとしてそういう歌を1時間流します。
 第三点目はいよいよオリンピック迄後3年という事で世界一の東京オリンピック・パラリンピックを目指すという事で昭和42年卒の青山さんに基調報告をして頂きまして、次いでリオの銀メダリスト飯塚翔太選手、パラリンピック大日向さんからも報告をお願いする事になっております。また中央大学としはオリンビックに20名の選手団を出そうという事で、その活躍する皆さんも紹介して是非オリンビックの晴れの舞台で活躍をして頂きたいと考えております。
 最後に箱根駅伝ですがいよいよ10月14日(土)に予選会がありますので、この予選会で是非勝ち上がって貰いたいとおもいます。この箱根駅伝を応援するために「箱根駅伝とわが青春」という事で6連覇の時の皆さん、あるいは平成8年に優勝した時の皆さん、藤原監督世代の若い皆さんに青春時代の金字塔である箱根駅伝の様々な事例を語って頂いて中央の魂であるこの箱根駅伝古豪の復活ないという様なものを天下にとどろかしていきたいと、こんな事も考えております。
 大村理事長がスタートして中央大学も前へ、前へとこういう合い言葉で進んでおりますので、どうぞ札幌の皆さんよろしくお願い致します。」



 懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み会員同士名刺交換をし、杯を交わしながら笑顔で語り合う姿や、久し振りの再会を喜ぶ姿があちこちで見受けられました。










 会の最後は恒例となっている校歌・応援歌・惜別の歌の合唱に入り、全員が輪になり、肩を組み合ってそれぞれ3番までフルコーラスで熱唱し誰もが過ぎし学生時代へ思いを馳せている様子でした。







 結びは平野正昭副支部長(昭和60年・経済・北海道総合政策部 知事室長)が壇上に立ち「今日今校歌を唄い、皆さんと肩を組んで惜別の歌を唄って、皆さんの絆がより深いものになったなあと思います。 そして今日も新入会員の方が大勢入って頂きましたが、次回に向けましてこの輪をもっと広げていきたいので、皆様方一人、一人中央大学出身の方にお声掛けをして頂きたいなあと思っております。 最後の締めという事ですので、一本締めで締めたいと思いますので、宜しくお願い致します。また12月5日(火)に皆様とお会い出来る事を楽しみにしております。」



 懇親会は和やかに終了し散会となりました。尚、札幌市役所白門会、小畑悟学員会副会長より飲み物の寄贈がありました。

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平成29年7月31日
中央大学学術講演会の開催

 中央大学主催、学員会札幌支部・父母連絡会札幌支部共催、札幌市教育委員会・札幌商工会議所・(協)中小企業振興センターの後援による学術講演会が北海道経済センター8階Aホールにおいて午後1時30分から開催されました。講師に阿部正浩氏(本学経済学部教授)を迎え「人工知能(AI)やロボットとこれからの仕事」−これからの働き方はどう変わるか−と題した講演に札幌市民、札幌商工会議所会員、学員、父母連絡会会員136名が熱心に聴講されました。講演に先立ち檜森学員会札幌支部長の開会の挨拶に続き講演に入りました。
 阿部教授の講演は「将来の予測は不可能!」という真面目かつユーモア溢れる言葉に始まり、しかし過去から現在までを振り返ることにより近未来を予想することは出来る、と話を展開されました。
 続いて正面スクリーンには、聞いたことのある有名上場会社名と、中高年には全く馴染みのないIT系の会社名が映し出され、最近の研究によると日本の労働人口の約49%が技術的には人工知能で代替可能になるということで、昭和60年と平成22年との間で製造業や農業で従事者が減少しているなど職業別就業者数の変化の状況を説明され、同時に人が減少していない職種の存在も指摘されました。
 ITの普及によりイノベーションの進展が急速で、革新的技術・革新的アイディアが起こり、ソフトやコンテンツの役割が増し、また名画や重要文化財などの複製が容易で本物そっくりの劣化しないデジタル財が増えていることに言及されました。
 インターネットのプラットホームが整備されてマッチングがし易くなり、スペシャリストやプロ向けの仕事から初心者向けの仕事までのクラウドソーシングサービスが発展し、雇われない働き方という方向性を示されました。
 講演の終わりに、通勤時の優先道路使用などのシェアリングエコノミーに触れ、アマゾンジャパンが配送に個人事業者を活用して宅配便のヤマト運輸を中抜きしようとしていることや、その目線の先にロボットの利用や時間のある一般人に配送を委託するなど、物流のあり方を変えようとしている事にも言及されるなど、時間が足りないくらいに働き方の最先端の話をして頂きました。(舟橋健市副支部長記)

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平成29年7月22日
第57回ゴルフ大会の開催

 本年度第2回の大会は近郊の北広島市にある「ゴールド札幌カントリークラブ」において会員14名参加のもと開催されました。
前日の大雨が嘘のように絶好のゴルフ日和に恵まれ楽しい大会になりました。恒例により競技終了後は表彰式を兼ねて懇親会を行いました。優勝は伊藤宏二氏(昭和56年理工・ZEKKOINC.アウト:45 イン;36)、準優勝は辻田眞人氏(昭和45年法 アウト:41 イン:45)またベストグロス賞は工津輝雄氏(昭和39年商・(株)エミック アウト:42  イン:39)がそれぞれ獲得し、会長から優勝者並びに入賞者全員に賞品を授与しました。優勝の伊藤氏から「パートナーに恵まれ優勝出来ました。楽しい大会で次回も是非参加したい。」旨挨拶がありました。続いて事務局より8月10日(火)支部総会、9月9日(土)開催の小樽との交流ゴルフ大会への参加を呼びかけ、和気あいあいの内に散会しました。今回景品の寄贈者は下記の通りです。
・工津輝雄氏(昭和39年商・(株)エミック 代表取締役)、西山眞吾会長
・檜森支部長・柴田副支部長・西原幹事長、高橋恭平会計監事
・田代信一氏(昭和56年文・(株)京王プラザホテル札幌 リスク管理担当支配人)


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平成29年6月18日
中央大学父母連絡会札幌支部総会並びに父母懇談会へ出席

 ニューオータニイン札幌において開催の「2017年度父母連絡会札幌支部総会・父母懇談会」へ当支部より西原幹事長が出席されました。
 当日は在校生の父母111名が参加されました。午後12時30分より総会に入り、百井元幸支部長の挨拶に続き「2016年度事業報告・決算報告」、「2017年度事業計画案・予算案・役員改選」が審議されました。その結果新支部長に小沢知文氏、副支部長に平石知輝・山口富士男の両氏他新役員が選任されました。
 引き続き「父母懇談会」が開催され、理工学部教授の石井靖氏からは「大学の近況について」、商学部事務室副課長の山川陽介氏から「学業・学生生活について」、キャリアセンター北澤竜一氏からは「最新の進路・就職事情について」お話がありました。
 次いで佐々木与三郎氏(昭和45年・法・イワクラホーム((株)代表取締役社長)からはご自身の生い立ち、大学時代の事、これからの若者に求める事等についてお話しがありました。終了後は希望者に対して個人相談会、続いて懇親パーティも開催され参加した父母の親睦・交流を図る事が出来ました。

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平成29年5月27日
第56回ゴルフ大会の開催

 本年度第1回のゴルフ大会(通算56回)は西山会長、檜森支部長参加のもと12名の会員から申込みがあり、市内にある札幌南ゴルフクラブ駒丘コースにおいて開催されました。
当日は午前11時30分にアウトコースをスタートしましたが、生憎前日からの雨天と当日も朝から雨が降り続き、通算56回にして初めてハーフで競技を取り止めました。
 全員入浴を済ませ、さっぱりしたところで表彰式を兼ねて懇親会を行いい結果、優勝者は由良比策志氏(昭和59年・経済・(株)北洋銀行・アウト:42 )で同氏はベストグロス賞も併せて獲得、また準優勝は西山会長(昭和41年・商・西山製麺(株)アウト47 )が獲得しました。
西山会長より参加者全員にそれぞれ賞品と参加賞を授与しました。また他にニアピン・ドラコン・大波・小波・平和の各賞が用意され、チーム内でじゃんけんをして勝った人に賞品を渡しました。尚檜森支部長、工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)、田代信一氏(昭和56年・文・(株)京王プラザホテル札幌リスク管理担当支配人)、柴田龍副支部長(昭和56年・理工・(株)北洋銀行代表取締役副頭取)の4名から賞品の寄贈がありました。
懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み優勝者の由良氏から「初参加で、パートナーにも恵まれ、優勝出来ました。次回も是非参加したい。」との弁、続いて初参加の岡部好浩氏(昭和63年・商・(株)北洋銀行)からは「同門の先輩と回り、楽しいゴルフ大会でした。次回も是非参加したい」の弁に続いて、最後は事務局から次回7月22日(土)開催の第57回ゴルフ大会、7月31日(月)開催の「中大学術講演会」、8月10日(木)開催の「支部定時総会」への参加を要請し和気あいあいの内に散会しました。


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平成29年5月11日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において、午後12時より柴田副支部長・舟橋・平野正明副支部長(昭和60年・経済・北海道総合政策部・知事室長)、西原幹事長出席のもと開催致しました。
 議案第1号 :「平成28年度事業報告並びに収支決算報告について」
 幹事長より別添資料に基づき報告了承されました。

 議案第2号 :「平成29年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
 幹事長より別添資料に基づき説明し学員ネットワーク拡充の一環として、「第4回学員会全道支部交流会議」を帯広市において下記により開催する旨の提案があり了承されました。
@ 日 時  平成29年8月25(金)午後4時30分〜
A 場 所  ホテル日航ノースランド帯広
(帯広市西2条南13丁目1番地  пi0155−24−1234)

 議案第3号 :「平成29年度支部定時総会の開催について」
 幹事長より当日は大学本部より深澤武久理事長、学員会本部より久野修慈会長、小畑悟東北・北海道担当副会長を迎え下記日程により開催する旨の説明があり出席者全員了承しました。
 総会は下記の日程に決まりました。
@ 日 時  平成29年8月10日(木) 午後6時より
A 場 所  京王プラザホテル札幌3階「扇の間」
B 会 費  懇親会費7,000円  支部年会費2,000円
尚、総会終了後恒例の卓話は三角山文庫・代表堂前綾子氏(昭和42年・文)による「女性のキャリアについて」と題したお話を頂く予定。

議案第4号 :「学術講演会の開催について」
幹事長より本件については札幌市教育委員会、札幌商工会議所、協同組合中小企業振興センターの後援、本学父母連絡会札幌支部の共催の承諾を頂いており、本講演会のPRと参加者の動員を図るためポスター、チラシを制作し下案の要領で周知をしたい旨報告了承されました。
@ A1サイズのポスターを25枚、A4サイズのチラシ20,000枚印刷。
A 札幌商工会議所・協同組合中小企業振興センターの会員向けに毎月配布している資料の中に20,000枚を入れ参加者を募る。
B 学員会札幌支部会員等向けにチラシをDMにて送付し参加者を募る。
C 札幌市民向けのPRとして、札幌市営地下鉄の15の駅等の掲示板にポスターを貼り参加者を募る。
D 北海道新聞、毎日新聞、読売新聞等を中心に市民向けのPR版コーナーに掲載し参加者を募る。

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