CONTENTS



小樽支部との交歓会の開催
第1回ゴルフコンペの開催
麻雀大会の開催
ゴルフコンペ優勝者一覧
文化講演会の開催
中大音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
中大アメリカンフットボールチーム:自転車競技部への応援
北海道平和セミナーへの参加
第49回札幌国際ハーフマラソンへ応援参加
中央大学音楽研究会吹奏楽部演奏会の開催
中央大学札幌支部史〜明治・大正・昭和〜
中央大学札幌支部史〜平成〜
平成17年度事業活動
平成18年度事業活動
平成19年度事業活動
平成20年度事業活動
平成21年度事業活動
平成22年度事業活動
平成23年度事業活動
平成24年度事業活動
平成25年度事業活動
平成26年度事業活動
平成27年度事業活動
平成28年度事業活動
平成29年度事業活動
平成30年度事業活動
平成31・令和元年度事業活動
令和2年度事業活動
令和3年度事業活動
令和4年度事業活動
令和5年度事業活動





支部の活動報告・・・令和4年度事業活動

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令和5年1月24日
札幌支部若手懇談会の開催

 グランド居酒屋 富士において午後7時から、黒坂 頌胤氏(平成7年・法)、半田 武大氏(平成7年・商)、中村 剛大氏(平成23年・商)、西川 宗助氏(平成27年・法)、 澤本 美紀氏(平成29年・法)、渡邉 秀氏(令和3年・法)、佐藤 善宣氏(平成14年・理工)の出席のもと開催しました。
 司会は黒坂氏にお願いしました。冒頭黒坂氏から「中央大学学員会札幌支部が設立されて125周年になり、若手の皆さんに集まっていただき、「中央大学学員会札幌支部の今とこれから」開催の趣旨を説明し自己紹介に続いて 懇談に入りました。
「渡邉 秀」
2021年卒、中央大学法学部卒業の渡邉 秀と申します。出身は東京墨田区で片道2時間くらいかけて大学に通っていました。そもそも、中大杉並高校出身でして、エスカレーターで大学へ進学しました。 北海道にゆかりはなく、はじめての札幌、はじめての1人暮らしです。本日はよろしくお願いします。
「澤本 美紀」
平成29年3月、法学部卒の澤本と申します。しがない公務員なので、面白い話はできるか不安ですが、よろしくお願いします。
「西川 宗助」
平成27年3月に法学部を卒業した西川です。今、北海道庁におりまして、自分が入ったときは、道庁に中大卒が100人くらいいて、当時の人事課長も中大卒でした。勤務地は、はじめは札幌にいて、その後、桧山振興局に異動して、 また札幌に戻ったという感じです。出身は七飯町です。よろしくお願いします。
「中村 剛大」
2011年に商学部を卒業しましたが、当時は東日本大震災の影響で卒業式はありませんでした。高校は中央大学付属高校で、実家は小岩です。普段は、ファイターズとかレバンガとかコンサとか、スポーツ関係の アナウンサーをしています。北海道マラソンとか競馬とか、北海道のスポーツはほぼすべてやっています。なので、顔が出るというより、声の仕事が多いです。今回は、素敵な会があるということで、 中央大学とZOZOTOWNがコラボして作った完全受注生産のスウェットを着てきました。中大愛の強い中村です。よろしくお願いします。
「半田 武大」
 私は黒坂さんと大学の同級生で、商学部を2005年に卒業しました。出身は苫小牧で、高校まで過ごしました。その後、大学で4年、就職して3年、東京で過ごしまして、2008年から札幌に住んでいます。 実は黒坂さんには会社の顧問弁護士をしてもらっています。父も中大、妻も中大でして、子どもも中大しかないだろうと思っています。 今日はよろしくお願いします。
「佐藤 善宣」
私も、澤本と同じく、札幌市におります。2002年卒で、皆さん、多摩キャンパスですが、私は理工学部なので後楽園キャンパスに通っていました。不思議なつながりで、小さな職場にもかかわらず中大が3人もいます。 生まれは札幌ですが、父が転勤族で、全国を転々として中学から大学まで埼玉にいました。札幌市生まれということで、鮭のように生まれ故郷に戻って、今、札幌にいるということです。 今日は、サポートということで、しっかりと撮影と録音をさせていただきますので、よろしくお願いします。

では、最初のテーマに行きたいと思います。まず、なぜ中大を選んだのかというジャブ的なところからお聞かせください。
「半田 武大」
 正直でいいんですか(笑)私は苫小牧東高校なのですが、中大を目指せるが学力なかった。たまたまトイレで友人と話していた時に、指定校推薦の立候補者が誰もおらず流れそうだという話があり、条件を見たら自分が基準を クリアしていたので、学校に相談したら学校も半田でいいだろうということで決まった。父も中大で、私も中大に入るのが小さいころからの夢だった。あの日あの時、トイレにいなければ、指定校推薦の話も知らず、 大学で知り合った妻にも会わず、かわいい子供もいなかったかもしれない。中央大学には感謝しかありません(笑)
「渡邉 秀」
 高校受かった時点で、中大に行くことは決まっていた。中杉は内部進学率が95%。法学部は難しいイメージがあるが、附属だと1学年300人のうち、100人の枠があり、3人に1人は法学部という内部事情がある。法学部に入ったが、 もともと法曹界に行きたいというより、民間企業で働きたいという考えがあったので、法律学科の企業コースを選択し、ゼミも会社法をとっていた。
「澤本 美紀」
 某国立大学が第1志望で、正直なところ、滑り止めで受けた。1浪して、後がない中で拾っていただいたのが中大。入学した結果、その後もいろいろと出会いがあってよかったと思っている。
「西川 宗助」
 私も指定校推薦です。もともとは某国立大を目指していたが、高校から紹介されて進学を決めました。
「中村 剛大」
 中学が男子校だったのですが、ある時、共学に行きたいという思いが芽生え、附属に行けば、前倒しで共学になると思って親を説得しました。中附は制服もなく、自由な校風でした。高校時代からアナウンサーになりたかったので、 ずっとその勉強を続けてきた。あまりOBはいないが、同期で生田斗真の弟の生田流星がいる。

次に、学生時代の過ごし方てきなところを聞かせてください。
「西川 宗助」
 古本屋でバイトしていたのですが、バイト三昧だったので、サークルも部活も入っていません。ゼミも入ったのですが、3年生の時ちょっと行けばいい感じだったので・・・。時間のある時は図書館で本を読むなど孤独な 学生生活を送っていました(笑)。バイト仲間はフリーターや主婦など、訳ありの連中が多く、いろいろな人間模様が垣間見れて面白かったです。総じて楽しい中大ライフでした。
「澤本 美紀」
 私も西川さんと状況が近くて、サークルに入っておらず、はじめレジャー施設でバイトして、公務員試験のため辞めて、その後、古本屋でバイトしていました。古本屋は確かに訳ありの方が多かった印象です。 学生生活では、中大の制度で「やる気応援奨学金」という、お金をもらって海外に行くみたいな制度があって、エントリーシートにやりたいことを書いて通れば、数十万円もらえる。ほぼ自由に使えて返金も不要。 私は、この奨学金を使ってインドとオーストラリアにインターンシップと称した現地視察に行きました。オーストラリアはLGBTに寛容で、シドニーでLGBTのパレードを見たのは衝撃的でした。滞在期間は、ケアンズとか いろいろ回って3週間くらい。中大は無償で学生を応援してくれるいい大学です。申し込む人が少ないのか倍率もそんなに高くなくて、2〜3倍くらい。回数制限はないから、最高4回いける。中央大学の制度を利用して海外留学したのが いい思い出です。古本屋 「渡邉 秀」古本屋  小中とサッカーをやっていて、大学でもフットサルのサークルに入っていました。ゼミは2つ入っていて、その1つが「FNP(ファカルティリンケージプログラム)」、これは学部横断のゼミで、「国際協力」「地方創生」など いろいろなテーマがあり、私は国際協力に入り、韓国とマレーシアに調査をしに行った。ゼミは同期で6人。商慣習的な観点からみる国際協力、観光やJETROの担当とインバウンドの調査などをした。 就職活動では、海外志望が強かったので、グローバルに活躍できる会社にしぼった。今の会社も世界に38か国拠点あり、会社の制度で向こうの大学に行ける制度がある。私もいつかはアセアン地域への異動を狙っている。 学生時代のアルバイトは、日本橋のフレンチレストランでホール担当をしていた。大学2年の時にはアメリカのホテルでアルバイトしていた。
「中村 剛大」
 サークルは2つ入っていた。アナウンス研究会とアカペラサークル「ズーイットユアボイス」。アナウンス研究会は勉強ではなく友達作りがメイン。たまり場が食堂の「和おん」。キャリアセンターのマスコミ対応講座では、 中大のOBが来てくれた。巨人の中継をしていた、日テレの吉田真一さん。ゼミはマーケティングに入っていたが、マスコミは3年の7月から試験が始まり、3年の2月で内定をもらえる。ゼミが必修でなかったこともあり、 4年のときはゼミに出なかった。私も海外に興味があって、父がシドニーで飲食ビジネスをやっていて、高校から大学の春休みには父の店でバイトをしていた。まとまった休みにはゴールドコーストに行って、ナイトクラブ、 札幌でいうところのニュークラブのスタッフとして働いていた。お客は韓国人や中国人がメイン。ゲイストリートがあって、ゲイの店はおしゃれ、ハイセンスな店が多い。知らなくて入ったら、すごい視線を感じた。 目が合ってトイレに行ったら、おじさんがついてきて、そういう交渉をされたり・・・(笑)。アルバイトとしては、GAPや面白いところではお見合いパーティの運営をしていた。お見合いパーティは男女によって参加費用が違う。 男性のステータスが高いほど、女性の負担が多く、逆に女性の条件が良いと男性の参加費が高くなる。1パーティで時給4000円くらい。受付やプロフィールカードの配置、司会など、すべてを1人でやらないといけない。 お気に入りの相手の名前を書く場面では、男性はたいてい書いてくれるが、女性はシビアなので気に入った人がいないと書いてくれないこともあって、そのときはこっちで記載したり・・・(笑)、当然成立はしないけど、 イベントを盛り上げるためにいろいろと苦労した。人間の欲望渦巻く世界を垣間見れた貴重な経験だった。ちなみに彼女はGAPで作りました(笑)。
「半田 武大」
 はじめ、高校の地元で仲の良かった友達とサークルを作った。頑張ってメンバーを勧誘したところ、50人くらい集まった。その後、ほかのサークルからも人を引き抜きにいこうということで、向かったのが「アスレチック同好会」という オールラウンドサークル・・・、そして、そっちのほうが楽しかった(笑)。それで、自分たちでサークルを作っておきながら途中で抜けてしまった。そして、そこで出会ったのが、黒坂さん。3年になりサークルの運営側になってくと、 サークルが忙しくて、なかなか大学に出れなかった。サークルに参加する人が少ないとだれも来なくなるので、自分たちも含め常時20〜30人はいるようにした。サークルは、つくるのは簡単だけど、維持するのは難しい。自分も今、 会社を経営する立場にあるが会社と同じ。今になって、サークルでの活動が役に立っている。サークルには全部で100人のメンバーがいたので、会長を決めるにも講堂を借り切って選挙をしたりした。今でも大学の友人はみんなサークルの 人間です。
「黒坂 頌胤」
 私のことでいうと、学生時代は司法試験の勉強は一切していなかった。大学4年間はサークルやバイト中心の楽しい生活を送っていて、卒業してから、司法試験の勉強をすれば受かるだろうという変な自信があった。 卒業して札幌の実家に戻って、勉強を始めて、でも全くできなくて、25、6歳のときに、諦めて司法試験やめることにした。それで、一旦中国の西安に1年3か月くらい中国語の語学留学に出たんですが,その後、28歳で ロースクールに入学して、3回目の司法試験で受かった。32歳のときだった。そこまで司法試験を続けることができたのも半田さん始め、中大時代のサークルメンバーやクラスメイトの支えがあったから。 学生時代の友達との出会いっていうのはやっぱり大事ですよね。

中央大学白門会は全国に支部があって、ここ札幌支部は設立125周年を迎え、ここ数年はコロナの影響でできていないが定期的に懇親会などを開いています。では、札幌支部に入ったきっかけと支部をこれから盛り上げるためには どうしたらいいか。
「中村 剛大」
 今日、はじめて125年ということを知ったが、それだけ歴史と伝統がある集まりはそうそうないんじゃないか。入ったきっかけは、黒坂さんです(笑)
「半田 武大」
 みんなでスポーツ観戦をしてみては。ことし開業するエスコンフィールドに行ってみましょうよ。
「中村 剛大」
 飲み会以外にも、何か催しを企画してみるとか。1泊2日の温泉旅行に行ってみるとか、納会の開催。希望者募って、年に2回ぐらいやったらいいんじゃないですか。
「黒坂 頌胤」
 イベントみたいがないと、そもそも集まらないんじゃないか。
「渡邉 秀」
 私が入ったきっかけも、はじめて札幌に来て誰も知り合いがいない状況だったので、人脈作りのために入ってみようと思って入った。イベントとか、そういう参加しやすい場があった方が、参加者も広がるのではないか。
「半田 武大」
 旭川も支部総会やってる。そういうところとの交流もいいんじゃないか。司会は中村さんにお願いして、いろいろな職種の方もいるし、楽しくできそう。
「中村 剛大」
 一体感出すために、お揃いのTシャツを作るのもいいですね。
仕切る人がいれば、いくらでも手伝います。
「黒坂 頌胤」
 みんな意外と声がかからないから参加しないだけで、今回の若手飲み会も、全然面識のない人に声をかけたところ、こんなに集まってもらえた。これまでのような大きな集まりだと、コロナの関係でなかなか開催するのは難しいし、 もう少しこぢんまりとしたものがいいのかもしれない。今年の上半期中にでも、何かやりたいですね。
「半田 武大」
 キャンプとか温泉とかもいいですよね。
「黒坂 頌胤」
「今とこれから」ということで世代を繋ぐ、世代間が交流できるようなイベントがあるといいのかもしれない。
「佐藤 善宣」
 支部レベルの懇親会だと、どうしても人数が多いので、若手の人はなかなか交流しにくいところがあるのかもしれない。
「半田 武大」
 支部会の後にやっている、若手の平成会のほうだと、人数的にも割と参加しやすかったりする。そういう小さいところで繋がりができたら、大きいところに繋がるかなと。
「中村 剛大」
 支部総会のようなオフィシャルなイベントも必要だけども、やはり若手が参加しやすいイベントが必要ではないか。
「西川 宗助」
北海道は、かつて道議会に中大出身が2人いて、道庁白門会があった。課長級、部長級が幹事をやっていて、年2回ぐらい集まりがあった。今は中大出身の議員がいなくなって、コロナが流行りだしたこともありやらなくなってしまった。
「半田 武大」
中大サークル的なものを作ってもいいのではないか。サークルと一緒で、ある程度固定して出席する人がいないと、あの人を知っているっていう事がないと、そういう人がいれば参加しやすくなるのではないか。 あと女性が来ると行きやすくなる。
「佐藤 善宣」
 市役所にも市役所白門会があって、今コロナでやってないけれども、例年、納涼会と新年会の年2回開催していた。30人ぐらいはいつも集まる。自分が市役所に入る前までは、何年かに1人入るかどうかぐらいだったようで、 自分が入ったときには、数年ぶりに4人同時に市役所に入ったということで、すごく先輩方に面倒を見てもらって、若手で懇親会を開いてもらったりして、それで今があると思う。
「中村 剛大」
 こういったイベントは、機会があったらと言っても、なかなか開催できない。機会は自分で作るもの。
「黒坂 頌胤」
 早速、支部の役員の皆さんとも相談して、令和5年度の上半期にでも、何か世代の垣根を超えたイベントをできるように考えていきたい。その際は、またお声掛けをさせていただくので、よろしくお願いしたい。

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令和4年11月30日
第四回札幌支部記念史編集委員会の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において知野・舟橋・田辺(代理・木村重成氏)副支部長、西原幹事長、石本・阿部・小川・黒坂委員出席のもと開催しました。 前日に有馬委員から支部史編集について下記の項目についてご提案を頂きましたので幹事長から報告し資料として提出しました。
@ 学術講演会は削除を前提として、記録には期日・場所・講師名・演題名称と内容を簡述するにとどめる。
A 総会・年末懇親会、ゴルフ大会、役員会、父母連絡会、全道支部交流会及び企業説明会、市役所白門会の出席者と肩書きを整理し削除考慮。
B 三役会等役員会は開催日時等にとどめる。
C 総会、懇親会の卓話・講演は内容を整理し簡略にしたい。
D 字句の整理と「てにおは」の変更は出来る範囲でやりたい。
E 写真の挿入を活用したい。記録を連動するもの・往時を彷彿させるもの
F 削除と整理が大幅に出来るかが「鍵」だと思います
※年表式が一番見やすいのですが

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令和4年10月25日
第三回札幌支部記念史編集委員会の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において知野・舟橋副支部長、西原幹事長、石本・阿部・小川・黒坂委員出席のもと開催しました。
議案「さっぽろ支部125年の歩み」について
幹事長より「本支部史の編集は石本委員にお願いし進行状況については、編集会議の席上で報告させて頂きたい。またこの機会に今後の当支部活動のあり方を考える意味で平成・令和の時代に卒業された 後輩6〜7名による若手座談会を開催しその記事を記念史の中に掲載したい。尚座談会の日時・場所・メンバー等の選考等については黒坂委員に一任したい。」旨諮り全員の了承を頂きました。

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令和4年9月21日
第二回札幌支部記念史編集委員会の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において檜森支部長、知野・舟橋副支部長、幹事長、石本・阿部・小川・黒坂委員出席のもと開催しました。支部長の挨拶に続いて議事に入りました。
議案「さっぽろ支部125年の歩み」について
幹事長より前回資料として配布の「中央大学学員会札幌支部史」について各委員からその目的・狙い。そして発展等忌憚のない意見を頂きました。
@ 札幌支部としての125年の歴史を振り返る。
A 同窓会を取り囲む札幌の変遷、時代の変化を知る。
B「会員にとって125周年とは」を今一度考えるきっかけにしては。
C 同窓会の活性化、交流の親密化
D 同窓会をもっと身近な存在とする。
E 同窓会活動の魅力作りとは。
F 同窓生のクラブ活動、同好会、サロン
G お互いを知る事による親近感の醸成


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令和4年9月7日
第72回ゴルフ大会の開催

 本年度3回目を昨年に続いて北広島市にある「札幌リージェントゴルフ倶楽部トムソンコース」において開催されました。 小樽支部との交流を兼ねた本大会は本年で8回を迎えましたが、今回は小樽の関口支部長から都合により参加は出来ない旨の連絡があり、西原幹事長以下14名が参加致しました。
 当日は真夏日の暑い絶好のゴルフ日和に恵まれ楽しい大会となりました。恒例により競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。
 優勝は久し振りに西山眞吾氏(昭和41年・商・西山製麺(株)・アウト50、イン48)、準優勝は常連の伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKO INC アウト41 イン44)がそれぞれ獲得し、伊藤氏はベストグロス賞も併せて獲得しました。
 その他にニアピン・ドラコン・大波・小波・平和賞等の各賞を盛り沢山用意し、幹事長から賞品を皆さんに授与しました。
優勝した西山氏からは「パートナーヘのお礼、来年も是非参加したい」旨の挨拶を頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気の中で進み、次年度の再会と健闘を期して和気あいあいの内に散会しました。今大会の賞品の寄贈者は下記の通りです。
・檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長 
・工津輝雄氏 (昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)代表取締役)
・西山眞吾氏(昭和41年・商・西山製麺(株)相談役)


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令和4年9月5日
第一回札幌支部記念史編集委員会の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において午前11時より檜森支部長、知野副支部長、西原幹事長出席のもと開催しました。
 議案第1号「支部記念誌編集委員の委嘱について」
 支部長の挨拶、幹事長より「記念史を刊行するに至った経緯、編集委員会の構成については支部長・舟橋・柴田・知野・副支部長・幹事長、金井重博氏(昭和38年・商)、有馬清喜氏(昭和38年・文)、 石本玲子氏(昭和42年・文)、阿部浩文氏(昭和57年・法)、小川義博氏(平成7年・商)、黒坂頌胤氏(平成17年・法)の12名を委員にお願い致しました。」旨の報告がありました。
 続いて幹事長から別紙に記載の「中央大学学員会札幌支部史」資料を基に来年10月末を目処に記念誌を発刊し総会を兼ねた会合で会員にご案内を致したい。」その後質問等が出されました。次回は9月21日(水)11時を予定。

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令和4年9月3日
中央大学文化講演会の開催

 中央大学主催、学員会札幌支部・中央大学父母連絡会札幌支部共催、札幌市教育委員会、札幌商工会議所、(協)中小企業振興センターの後援による講演会が午後2時から開催されました。 昨年に続き本年もコロナウィルス感染拡大防止のためオンラインによる講演会となりました。 講師に宇佐美 毅氏(本学文学部教授)を迎え『NHK「朝ドラ」の魅力』−その主人公像と放送形態から考える−と題した講演に55名の参加を頂きました。
 講演に先立ち西原幹事長の開会の挨拶に続き講演に入りました。

1.「朝ドラ」の歴史と作品
「朝ドラ」は1961年開始のNHKのテレビドラマで、正式名称は「連続テレビ小説」です。テレビなのに「小説」とあるのは、「連続ラジオ小説」を継承したためについた名称だからです。 原則は「月曜〜土曜1回15分」、「女性主人公」、75年以降は「1作品半年」、「東京放送局・大阪放送局交替制作」ということですが、原則ということで、そうでない作品もあります。 毎朝15分ずつの放送は世界的に珍しい番組形態です。
 「朝ドラ」と呼ばれていますが、現在1日4回放送 (BS含む)で、「朝」は正式名称にはありません。主役選びはオーデションが多かったのですが、実績ある女優が選ばれることもあり、 近年はそういうケースが多くなっています。全国の地域が舞台となり、今日までで、全都道府県が少なくとも1回は描かれています。1974年まで1作品1年間。75年以降1作品半年間となりましたが、 『おしん』(1983〜1984)は例外で1年間放送でした。2010年からの朝放送は、それまでの8時15分から8時に早まりました。視聴率は2010年頃まで低下傾向でしたが、その後回復傾向を見せ、 現在でも全ドラマ中1位のことが多くなっています。
 多くのテレビドラマや、ドラマだけでなくほとんどのテレビ番組が視聴率を下げている中で、なぜ「朝ドラ」だけが高視聴率をとり続けられるのでしょうか。そのことを考えるために、まず「朝ドラ」にはどんな人が 描かれているのかを考えてみましょう。
2.「朝ドラ」の働く主人公
「朝ドラ」の主人公のほとんどは女性です。男性主人公の場合もありますが(『ロマンス』『心はいつもラムネ色』『いちばん太鼓』『凛凛と』『走らんか!』『マッサン』など)、男性主人公の作品数は多くありません。 多数を占める女性主人公の場合ですが、「朝ドラ」の女性主人公には2つのタイプがあると私は考えています。それは「1.新しい職業に挑戦する女性」「2.専業主婦で周囲を支える女性」の2タイプです。
 初期「朝ドラ」に「1」は少なかったのですが、その後は「1」「2」両方の作品が放送されています。近年の作品で、女性の少ない職業に挑戦する主人公を描いた作品と、その主人公の職業を挙げてみます。
『ひまわり』(1996) 弁護士
『ふたりっ子』(1996〜1997) 将棋棋士
『天うらら』(1998) 大工
『あすか』(1999〜2000) 菓子職人
『ほんまもん』(2001〜2002) 料理人
『ちりとてちん』(2007〜2008) 落語家
『カーネーション』(2011〜2012) デザイナー
『梅ちゃん先生』(2012) 医師
『花子とアン』(2014) 翻訳家
『あさが来た』(2015〜2016) 実業家
『べっぴんさん』(2016〜2017) 会社経営者
『スカーレット』(2019〜2020) 陶芸家
では、こうした主人公像が描かれる背景には何があるのでしょうか。「朝ドラ」の女性主人公と現代社会の関係を考えてみます。
「朝ドラ」の約60年で女性の立場は大きく変化しました。「雇用機会均等法」(「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」(1986年施行)と「改正均等法」(2008年施行)によって、 女性の社会進出が大きく促進されました。ただ、法的な整備がなされたからといって、それで問題がすべて解決したというわけではありません。日本の場合、女性の社会進出は進みましたが、西欧諸国より女性管理職比率が低く、 男性より非正規労働形態が多いのが特徴です。結婚・出産・育児にともなう困難さも残っています。もちろん、管理職・正規雇用を望む女性ばかりではないとしても、女性が「働くこと」の困難さは必ずしも解消していません。
 そのような状況の中で、「朝ドラ」が描く新しい職業に挑戦する女性主人公は、現代女性にとってのパイオニアであり、憧れの存在でもあります。古い時代(明治・大正・昭和初期)を描いていたとしても「終わった話」では ありませんが、現代を描く作品ほど、生々しくは感じられないと思います。新しい職業に挑戦する「朝ドラ」主人公は、現代女性の困難を先取りする「親近感」と、それを克服する「憧れ」の両方を持った存在です。 だからこそ、現代の視聴者にとって、「応援したい」「毎朝会いたい」と感じられる主人公たちであり、元気をもらえる存在なのです。
3.「朝ドラ」の専業主婦主人公
 このように、「朝ドラ」では女性の少ない職業に挑戦する主人公を描く作品が多いのですが、それだけではありません。近年の「朝ドラ」の中で、いわゆる専業主婦主人公を描いた作品を挙げてみます。
『ゲゲゲの女房』(2010) 漫画家・水木しげるを支えた妻がモデル。
『おひさま』(2011〜2012) 教師をやめ、家業と家族を支えた女性。
『ごちそうさん』(2012) 料理で夫の家族や周囲を支えた女性。
『マッサン』(2014) 酒造家の夫を支え続けたスコットランド人女性。
『まんぷく』(2018〜2019) 発明家・食品会社創業者の夫を支えた女性。
 女性の社会進出が進んでも、「専業主婦願望」を持つ現代女性は、実は少なくありません。これに関しては過去にさまざまな調査結果があります。調査する対象や質問のしかたによって違いはありますが、 現代の女性たちにとっても「働くこと」が唯一の選択肢というわけではないことがそれらの調査からわかります。もちろん、専業主婦願望は働くことの困難さと表裏一体という見方もできますから、 専業主婦願望を無条件に受け入れていいかは難しいところがあります。ただ、そうだとしても、過去の時代に比べて女性の生き方の多様化を見ることは可能です。それは「社会進出して職業を持つ=進歩的」「専業主婦=家族への奉仕」 といった定型からの脱却を意味しているともいえます。女性の生き方の多様化、つまり自発的な選択として、外に職業を持たないという自由も考えられるということです。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災などの災害時には、 ボランティア活動の意義が見直されました。他者のために活動することは自分を犠牲にすることではなく、主体的な選択であれば自己実現の一つの手段だとも考えられました。このように、人びとの考え方の変わらない部分と 変わる部分を、「朝ドラ」の女性主人公像は受けとめてきたのだと思います。
 ここまでの話から「朝ドラ」の主人公像をまとめてみます。
「朝ドラ」は女性主人公の一代記が多いといえます。「朝ドラ」は日本最長の放送時間ドラマです。民放連ドラは約8時間、「朝ドラ」は半年で約37時間(土曜日が総集編になった現在は約32時間)。大河ドラマもほぼ同じです。 視聴者はドラマを見る感覚よりも主人公の人生に立ち会い、見届ける感覚を持ちます。大河ドラマは史実があるので大筋も結末もある程度先にわかってしまいますが、モデルがいても「朝ドラ」はそれと異なります。 「朝ドラ」は主人公を応援したくなります。つまり、「朝ドラ」はドラマではない…ように視聴者には思えるということなのです。
4.「朝ドラ」の放送・視聴形態
 ここまで「朝ドラ」の主人公像から考えてきましたが、「朝ドラ」の特徴はそれだけではありません。実は放送・視聴形態にも特徴があり、「朝ドラ」というのは、世界一不自由なドラマ枠だと私は考えています。
そもそも現代のテレビドラマには競争相手が多くあります。ゲーム、携帯、インターネットなどがあり、テレビがつまらなければすぐ消されてしまいます。ですから、現代のテレビドラマはテンポが速く、速くない作品は生き残れません。 その点で、1回15分と短い「朝ドラ」は、その短さを活用しています。ヒロインの人生を半年かけて追いかけながら、毎日15分、1週90分(現75分)単位で話を作っていきます。複数の話を同時に扱いながら展開することもあります。 毎朝15分放送のテレビドラマというのは、世界でも珍しい放送形態です。そして、これからはオンデマンド視聴に移行していくので、放送時間にあわせてテレビに向かうのは「時代遅れの視聴形態」と考えるメディア研究者も多くいます。 だとすれば、現代ではもっとも支持されないはずの視聴形態が「朝ドラ」になるはずです。ですが、実はその不自由さが現代の生活には必要です。「朝ドラ」は趣味・娯楽ではなく「日課」のようなもので、 仕事前、家事の前、帰宅後、就寝前などに毎日「同じ時間」に「同じ人に会う」ことが「朝ドラ」の本質です。
 ORICON STYLEのアンケート(2014年)で「朝ドラを見るきっかけのドラマ」を調査しています。その結果を見ると、第1位「あまちゃん」など上位10作品中7作品が2010年以降の作品です。つまり、近年になって「朝ドラ」を 見始める視聴者もかなり多く、近年の意欲作の効果が認められます。朝放送時間の繰り上げ、1日4回放送(現在はBS深夜枠がなくなりました)、短縮版放送、週末放送など、放送形態が近年多様化され、視聴者はそれぞれの 「生活リズム」に合わせて視聴時間を選択できます。「朝ドラ」は生活のリズムであり、出勤前に朝食をとりながら(7時30分)、 夫と子どもを送り出したら(8時00分)、家事の間に昼食をとりながら(12時45分)、寝る前にリラックスして(23時00分…現在はなし)など、さまざまな視聴時間を選べます。見逃したら再放送もありますし、 週末に1週間分の再放送もあります。視聴者は自分なりの生活に合わせて視聴形態を選ぶことができます。つまり、「朝ドラ」はドラマというより生活のリズムなのです。
 先にも触れたように、これからのテレビ番組視聴は、オンデマンド方式へ移行することが避けられません。リアルタイム視聴は時代遅れと考える研究者も多くいます。しかし、同じ日時にテレビに向かう「生活リズム」としての 視聴形態は意外にしぶといと私は考えています。労働形態は少しずつフレックス化しています。街は24時間眠りません。インターネットで常に世界中の情報が手に入ります。そんな中で生活にリズムを作るものが一方で必要になります。 1日15分しか見られない不自由なドラマだからこそ、その時間にテレビの前に座ることが「生活のリズム」として必要になるというわけです。
5.まとめ 「朝ドラ」とは?
 これまでの話をまとめさせてください。
「朝ドラ」の女性主人公には2タイプあります。「新しい職業に挑戦する女性」と「周囲を支えて生きる女性」です。豊富な放送時間で女性の生涯を描いてきました。女性と「働くこと」の関係は現代的な課題で、 新しい職業に挑戦した女性は現代の働く女性たちにとって手本にすべきパイオニアです。その一方で、女性の社会進出とは別に専業主婦願望も根強く残っています。「朝ドラ」は働くこと以外の「自己実現」を描き、 女性の生き方の多様性を吸収してきました。
 また、毎朝15分は世界でも珍しい放送形態です。仕事前、家事の前、帰宅後、就寝前などに「同じ人に会う」ことが「朝ドラ」の本質です。現代は働き方も多様化し、深夜放送、24時間営業の店、 常時情報更新されるインターネットなど、生活リズムを作りにくいのが現代人の生活です。フレックス化する現代人の生活において、1日15分テレビの前に座るという不自由な時間が、むしろ生活にリズムを与えてくれています。
 そのように重要な役割を果たしてきた「朝ドラ」ですが、テレビ番組のオンデマンド化、リアルタイム視聴率の低下は避けられません。一方で、生活リズムとしてのドラマ視聴は簡単にはなくならず、何でもオンデマンドで 「イッキ見」とはなりにくいでしょう。SNSによる「感想」「口コミ」、ネットニュースの共有、という新しい楽しみ方も生まれています。まだ放送中の番組について、あれこれ言い合うという現代的楽しみ方が急速に普及しています。 「朝ドラ」は時代とともに変化しながら楽しまれていく、その変化をこれからも注意深く見つめ、研究対象にしていきたいと考えています。」講演後には3名の方から質問も出て、盛会のうち終了しました。

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令和4年7月20日
第71回ゴルフ大会の開催

 本年度第2回の大会は札幌近郊の北広島市にある「札幌リージエントゴルフ倶楽部新コース」において 会員16名参加のもと開催されました。
 当日の予報は朝方傘マークで雨模様との事でしたが、スタート時にはそれほどでもなく定刻通り前半のインコースを午前8時28分にスタートしました。 途中からは雨も上がり絶好のゴルフ日和となりました。
 食事終了後は恒例により表彰式を行いました。優勝は伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKO INC イン:44 アウト:41)が、 準優勝は由良比策志氏(昭和59年・経済・独立行政法人日本学生支援機構北海道支部・イン:40 アウト:43)また由良氏はベストグロス賞も併せて 獲得しました。
 あいにく西原幹事長は欠席になりましたので中山正治氏(昭和39年・法・フジサービス(株))から入賞者全員に賞品と参加賞を授与しました。
 久し振りに伊藤氏から優勝の弁を頂き会は和気あいあいの内に終了・散会しました。
 事務局より9月7日(水)開催の小樽支部との交流ゴルフ大会への参加と、来る10月3日(土)午後2時からズームによるオンラン学術講演会への受講を 呼びかけました。
 尚、今回は檜森支部長・柴田副支部長・西原幹事長の他3名の会員から賞品等の寄贈がありました。
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)・代表取締役)
・島田骼(昭和61年・経済・ヤマサ醤油(株)営業本部副部長・名古屋支店長)
・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)



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令和4年7月1日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において午後12時より檜森支部長、舟橋・知野・田辺副支部長、西原幹事長出席開催しました。
 議案第1号 : 記念誌「さっぽろ支部125年の歩み」刊行について
幹事長より「来年10月頃をめどに記念史を発行するため資料等の準備を進めており9月下旬頃には第1回の編集委員会を開催したい。 また編集委員については数名の会員にお願いをしております。」旨報告し了承されました。
議案第2号 :「記念史編集委員の委嘱について」
幹事長より記念誌の編集委員として正・副支部長・幹事長の他に別紙に記載した6名の会員をご委嘱したい」旨報告し了承されました。
議案第3号 :「令和4年度支部総会・年末懇親会・学員会全道支部交流会議の開催について」
幹事長より「本件については、ご承知のように新型コロナウイルスは、オミクロン株より感染力が強くワクチンが効きにくいBA.5株へ置きかわり全国的に 感染者が急増している状況を鑑み会員の安全、安心の観点から中止としたい。つきましては本年度の総会は昨年に続き「書面による審議」とする事に致し、 8月中頃に会員宛令和3年度事業報告書等を送付しハガキにてご回答を頂きます。」旨報告し了承されました。
起案第4号 :「中央大学文化講演会の開催について」
幹事長より「本講演会については札幌市教育委員会・札幌商工会議所・(協)中小企業振興センターの後援を頂きホスターの制作・チラシ等を印刷・配布し 各方面にPRに努めております」旨報告し了承されました。


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令和4年6月11日
 中央大学父母連絡会札幌支部総会並びに父母懇談会への参加

 市内にあるANAクラウンブラザ札幌において開催の総会・懇談会に西原幹事長が出席されました。総会はWebによる資料の電子提供形式により行われました。
 冒頭河合久学長からご挨拶に続いて「大学の近況・学業・学生生活について」、池田浩二キヤリアセンター副部長からは「最新の進路・就職事情について」のお話しがありました。その後個人相談も実施されました。
 懇談会終了後は24階に移動し懇親会は各年次別にテーブルに集まり情報交換も行われました。尚当日の参加申込者数は47名。


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令和4年6月4日
中央大学信窓会北海道支部総会への参加

 市内にあるホテルポールスター札幌において午後3時から開催の「信窓会北海道支部総会」へ西原幹事長が 出席されました。当日は会員13名に来賓併せて15名が出席されました。
 総会に続いて学員の菅澤紀生氏(平成7年法・すがさわ法律事務所)から札幌地方裁判所が5月31日(火)に判決した「泊まり原発廃炉訴訟」ついての 講演がありました。引き続き懇親会が行われました。会は終始和やかな雰囲気の中で進められ出席者から一言ずつご挨拶を頂き散会しました。


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令和4年5月21日
第70回ゴルフ大会の開催

 本年度第1回のゴルフ大会は、十数年ぶりに参加の村木靖雄氏(昭和43年・商・社会福祉法人光の森理事長)に 石本玲子氏(昭和42年・文)と初参加の会員2名を併せて16名の申込みがあり、近郊の石狩市にあるシャトレーゼカントリークラブ石狩において 開催されました。
 当日は午前7時50分に前半の西コースをスタートし、後半は中コースを回りました。ゴルフ場が日本海に面している関係でホールにより浜風が強い場面も ありましたが、天候は晴れで絶好のゴルフ日和にとなりました。恒例により食事終了後表彰式を行いました。
優勝者は今回初参加の中村博昭氏(昭和57年・経済・西:45 中:42 )が優勝しました。同氏はニヤピン賞も1個獲得しました。
 また準優勝は常連の伊藤宏二氏(昭和56年・理工・ZEKKO INC.・西:43 中:41)が獲得しました。幹事長長より参加者全員にそれぞれ賞品と 参加賞を授与しました。
 尚ベストグロス賞は工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック・西:42中:42)が獲得しました。また同氏は平和賞も併せて獲得しました。 その他に大波、小波の各賞も用意され該当の会員がそれぞれ獲得しました。
今回は檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長の他2名の会員から賞品等の寄贈がありました。
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)代表取締役)
・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み優勝した中村氏からは「今回はパートナーにも恵まれ優勝出来ました。次回以降も是非参加したい。」 また初参加の小林誠氏(昭和55年・法・明治安田生命保険相互会社)・宮内智也氏(平成7年・経済・(株)トーエネック北海道支社)の両氏からも それぞれ挨拶を頂きました。
 最後は事務局から次回7月20日(水)の第71回ゴルフ大会、9月7日 (水)第72回への参加を要請し和気あいあいの内に散会しました。





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令和4年4月20日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において、 午後12時より檜森支部長・舟橋・知野・田辺きよみ(昭和62・法・北海道環境生活部くらし安全局長)副支部長に 北海道の人事に伴い局長の補佐として木村重成氏(平成7年・経済・北海道総務部法人局学事課長)、西原幹事長出席のもと 開催致しました。
・議案第1号 :「令和3年度事業報告並びに収支決算報告について」
別添資料に基づき報告し了承されました。
・議案第2号 :「令和4年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
 別添資料に基づき報告し了承されました。
・議案第3号 :「支部総会・年末懇親会の開催について」
 別添資料に基づき報告し了承されました。
・議案第4号 :「学術講演会の開催について」
 幹事長より昨年の反省を踏まえて本年は平日ではなく土曜日の午後 に開催する。講師には文学部教授の宇佐美毅先生にお願いをしております。
・議案第5号 :「札幌支部記念誌の発刊について」 来年10月頃を目処に本誌の発刊を予定しており発行部数は500冊、 印刷費用は会員各位に広告の掲載を依頼しその原資に充当したい。
議案第6号 :「第8回学員会全道支部交流会議の開催について」
別添資料に基づき報告し了承されました。

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