平成9年7月21日
中央大学音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
本学音楽研究会吹奏楽団による演奏会が、18日の北見市20日の旭川市に次いで35年ぶりに本市で開催。本吹奏楽団は創部以来55年と、我が国で最も歴史のある吹奏楽団のひとつに数えられており、過去に全日本吹奏楽コンクールに於て10回の金賞を受賞している。当日札幌は、5年振りの連日30度を超す猛暑のうだる中、堀北支部長の挨拶後演奏に入った。会場は市民会館の大ホールで、一般市民、学員、吹奏楽関係者が入場、1,500人収容の会場はほぼ満員となった。一部海の歌、二部喜歌劇「天国と地獄」より序曲等ポピュラーな曲目を含め7曲。演奏は素晴らしく恒例のアンコールも3度に亘り、会場と演奏者が一体となった感じで盛会裡に終了。
「指揮者の林 紀人氏」
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「会場全体が一体となった心のこもった演奏」
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−札幌会場での後輩たちの演奏を聴いて−
ブラスの後輩たちが札幌に来ることを聞いたのは昨年夏のこと。
法学部3年に在学中の次男の『中大父母懇談会札幌会場』でだった。
その時、小生はOBであることをいわず、ただ一年後に後輩の演奏を聴けることを楽しみに待った。
小生は1959年(昭和34年)入学と同時に吹奏楽部に入った。入学式の会場でブラスの音を初めて聴き、感激したからだ。それまで楽器を持ったことはなかったが、部のクラリネットで音出しを始めた。部員の大部分が中学、高校で楽器の経験を持っていたから、小生のような初心者は少なかった。半年もしないうちにおふくろに手紙を書き中古の楽器を買った。後にも先にも毎月の仕送り以外に無心したのはこの一回だけである。
在学当時は吹奏楽コンクールで”大学日本一”を続けていたが、4年生’62年秋、室蘭市で行われた同コンクールでその連続記録は消えた。そして再び”日本一”に返り咲くまでに21年かかっている。室蘭の帰り、今回の会場となった札幌市民会館で演奏会を行った。この時が道内初の演奏会であり、道内出身者は小生のみだった。
’83年に返り咲いた時は在京のブラスのOBが集合。後輩たちを呼んで祝賀会を開催。失ったタイトルを取り返してくれた後輩にOBだれもが感謝した。
待ちに待った当日、胸をワクワクさせて会場に入った。『どんなアンサンブルなのか』『自分たちのころの音とどう違うのか』との期待感の高まる一方、事前のPRが少なかったので『会場にくるお客さんがいるのか』・・・といった心配もチョッピリあった。しかし、それは取り越し苦労だった。1,500人収容の会場はほぼ満員。演奏内容についても期待以上だった。
昔と同じように校歌が初めに演奏されたが、急に胸が熱くなった。
総勢110人はいるだろう部員の作り出す音の厚みに感心した。十分な練習量と各パート毎の専門トレーナーがいるための証しだろう。小生の時代と比較にならなかった。音づくりが丁寧で、しかも難しい技術を必要としている曲でも、十分に聴かせてくれた。中でもバレエ組曲『青銅の騎士』では遺憾なく発揮していたと思う。全体を通して感じたことは、パーカッションの高度な技術が抜きんでていた。
今年の課題曲についてもこれから秋に向け更に磨きをかけ”金賞”の報告をしてくれることだろう。指揮者・林 紀人氏の指導を受けられる部員が羨ましかった。長男は小金井の付属高校から、そして次男も地元札幌から父親と同じ白門を目指してくれた。その度、オーバーホールしてあったクラリネットで吹奏楽部の入部を勧めた。しかし、小生の夢だった”親子2代ブラス部員”の実現は2人の息子には聞いてもらえず、これのみが心残りである。
札幌演奏会での熱い思い出を作ってくれた後輩に感謝。手の痛くなるほど拍手した。ありがとう。
長谷川 研二
(昭和38年商学部卒)
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