CONTENTS



小樽支部との交歓会の開催
第1回ゴルフコンペの開催
麻雀大会の開催
ゴルフコンペ優勝者一覧
文化講演会の開催
中大音楽研究会吹奏楽団演奏会の開催
中大アメリカンフットボールチーム:自転車競技部への応援
北海道平和セミナーへの参加
第49回札幌国際ハーフマラソンへ応援参加
中央大学音楽研究会吹奏楽部演奏会の開催
中央大学札幌支部史〜明治・大正・昭和〜
中央大学札幌支部史〜平成〜
平成17年度事業活動
平成18年度事業活動
平成19年度事業活動
平成20年度事業活動
平成21年度事業活動
平成22年度事業活動
平成23年度事業活動
平成24年度事業活動
平成25年度事業活動
平成26年度事業活動
平成27年度事業活動
平成28年度事業活動
平成29年度事業活動
平成30年度事業活動
平成31・令和元年度事業活動
令和2年度事業活動
令和3年度事業活動





支部の活動報告・・・令和3年度事業活動

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令和4年2月
2022年道内就職相談会の開催

 コロナウイルス感染拡大防止のため中止にしました。

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令和3年10月15日
中央大学学術講演会の開催

 中央大学主催、学員会札幌支部・中央大学父母連絡会札幌支部共催、札幌市教育委員会、札幌商工会議所、(協)中小企業振興センターの後援による講演会が午後2時から開催されました。
 昨年はコロナウイルス感染拡大防止のため中止となった本講演会はオンラインによる講演会となりました。
 講師に村岡晋一氏(本学理工学部教授)を迎え「西洋人はそう考える、日本人はこう考える」と題した講演に84名の参加を頂きました。 講演に先立ち西原幹事長の開会挨拶に続き講演に入りました。
「わたしたちの若いころとちがって、最近の学生たちは気軽に海外旅行をしたり、留学をしたりできるようになりました。また大学としても内向きになりがちな学生に海外留学を奨励して います。それにつれて、帰国後めずらしくも私の研究室にやってきて、「日本」のことを教えてくれと言ってくる学生が増えてきました。どうしたのかと聞くと、外国人にこの質問をされて 困ったというのです。まず問題なのは宗教です。ヨーロッパに行った学生がお前の宗教はなんだと聞かれて「無宗教」だと答えるとぎょっとされたというんです。西洋で「無宗教」というと 無神論者、つまり神を意図的に否定している人とみなされてしまいます。これは信仰心があるかないかに関係がありません。また日本が経済大国になったり、アニメの大流行などによって 「日本文化」そのものにたいする関心も高まっています。私自身も外国にいくとそういう質問をされます。これは日本が諸外国に注目されるようになったせいもありますが、じつは ヨーロッパの人々が自分たちの文化に以前ほど自信をもてなくなったせいでもあります。それだけに、日本や東洋にたいする関心にはいままでにない真剣なものがあります。とはいっても、 いきなり日本文化の特徴はどこにあるかなんて聞かれても、ほとんどの人は答えに窮してしまうのではないでしょうか。そこで、こうした文化の違いを生み出すような、西洋人と日本人の 基本的な考え方のちがいがどこにあるかということを、お話しさせていただきたいと思います。
 ところで、哲学という学問の研究を商売にしていますと、しばしば哲学はむずかしいという苦情をいただきますし、自分でも難解だと思います。その理由のひとつは、哲学が私たちの 日常生活とはあまりかかわりがない問題をあつかうからです。たとえば、哲学は「なぜ世界は存在するのであって無ではないのか」とか、「<私>とはだれか」といった、答えがでそうにない 問題、答えが出てもなんの得にもならない問題に頭を悩ましています。哲学がむずかしく感じられるのは、私たちがふだん使っている思考の回路とはまったく違った回路を使うからだと 思われます。しかし、日常的な考え方とはかけはなれた考え方をするというだけなら、ほかの学問だってそうです。たとえば物理学だってむずかしい。なにしろ、現代の宇宙物理学の ビッグ・バン理論などは、誕生したばかりの宇宙の状態を知ろうというのですから、日常的関心から遠くかけはなれています。
 哲学が難解に思えるもうひとつの理由があります。ごぞんじのように、哲学は明治になって輸入された学問です。それは約2500年にギリシアに生まれ、それ以来西洋に連綿と受け継がれ てきた学問です。ですから哲学がむずかしいと感じられるのは、それを生みだし育ててきた西洋人のものの考えかたが、私たち日本人の考えかたとはきわめて異質なのではないでしょうか。
 いま西洋の代表的な哲学者をふたり例にあげてみましょう。ギリシアの哲学者プラトンは「イデア」論という奇妙な理論を唱えました。イデアとはギリシア語のイデイン(見る)という 動詞の過去分詞形なので、「見られているもの」というごく普通の意味です。ところがプラトンによれば、私が目の前の机を見ているとき、私が見ているのは肉眼で見ている机ではないと いうのです。私は立体の机を見ていますが、肉眼ではけっして立体そのものを見ることができません。私に見えるのはこちら側だけで向こう側は見えないからです。 さらに私は同じ机を見ていると信じていますが、私が見ているものが肉眼で見ている机でしかなければ、目をつぶる前とつぶった後の机は同じ机だと保証するものがなくなります。 だからプラトンによれば、わたしが本当に見ているのは、完全な立体をしていて永遠に変化しない理想的な机、つまり机の「イデア」であって、現実の世界を超えたところにあるイデアを 介して現実の机を見ているというのです。
 また近代ドイツの哲学者ヘーゲルは「絶対精神(der absolte Geist)」なるものを主張します。精神とは言っても、これは人間の心や頭のなかの心理的な働きではありません。 人間の歴史を貫き導いている超越的な原理であり、個人のどうこうできるものではありません。そのかわりに、ある個人がこの絶対精神を体現することができたら鬼に金棒、向かうところ 敵なしです。彼は世界を思うがままに動かすことができます。 ヘーゲルはこうした個人を「世界史的個人」と呼び、その例としてナポレオンを挙げています。彼らの言うことをよく読めばそれなりに理屈は通っているのですが、そもそもどうして そんなことを考えるのかがよくわからない。
 しかし、哲学を職業をしているものとしては、それがわからないではどうしようもない。かなり長いあいだ悩みましたが、そのうちひょっとしたら西洋人そのものがわれわれからみると かなり異質で奇妙な考えかたをしているのではないかと開き直るようになりました。そう開き直ってみるとたしかにかなり違います。
 西洋人と日本人の考えかたの素朴な違いをもっとも簡単に知るには、「創世神話」を読み比べてみるとよい。
「創世神話」とは自分たちの住む世界がどのようにできたかを説明してくれる神話体系であり、どの民族もこの神話をもっています。丸山真男の『歴史意識の古層』によれば、すべての創世神話を〈つくる〉、〈うむ〉、〈なる〉という三つのタイプに分けられます。
<つくる>…人間の制作行為をモデルとし、世界は制作者によって一定の計画のもとにつくられたと考える。
<うむ>…生物の生殖行為、世界は男性的原理と女性的原理の合体によってその子どもとして生まれたと考える
<なる>…植物の生長をモデルとしており、世界は植物がその種から成長するように、いわばおのずから成りいでたと考える。
 まず〈つくる〉というタイプの典型例は、ユダヤ・キリスト教の聖典である『聖書』です。その第一巻『創世記』にはこう書かれています。「はじめに、神は天地を創造された。神は光を あれといわれた。こうして、光があった」。これによると、世界はひとりの神によって「つくられたもの」です。
 しかし、世界を造った神は聖書の神以外にもいます。聖書において特徴的なのは、神が「光をあれ」と言っただけで、光ができることです。すべては材料をつかわずに作られたものです。 これを神学では「無からの創造(creatio ex nihilo)」といいます。材料を使ってつくるのであれば、すでにあったものを変形するだけですが、無からの創造はなにもなかったところから つくるのですから、いまあるすべてのものは例外なく「つくられたもの」です。 これはとてもショッキングなかんがえかたです。なぜなら西洋人は、机やいすだけでなく、庭にはえる草木も、動き回る動物もすべて「つくられたもの」と考えるからです。
〈うむ〉というタイプの典型は、お隣の中国です。中国の『淮南子』などには、乾坤説とか陰陽説が登場します。男性的原理と女性的原理の二元的原理で世界の成立を説明します。
〈なる〉というタイプの典型例は、われわれ日本の神話が書かれた『古事記』です。 それがどのように書き始められているかを見てみましょう。 「あめつちはじめておこりしとき、高天原に成りませる神の名は、天の御中主神」。まず最初の登場する日本の神は「なりませる神」です。日本の神様はだれのたすけもかりずに、 いわば植物が自然に生長するように出現するのです。それが出現するさまはつぎの文章でもっとはっきりします。「つぎに、国わかくうける脂のごとくして、くらげなすただよえるとき、 葦芽(あしかび)のごとく萌えあげるものによりて成りませる神の名は、・・」。 まだ天地がさだまらず、油やくらげが漂うような混沌とした沼のなかから、葦の芽が成長するようにあらわれるというのですから、ものごとの成立が植物の成長をモデルとしてイメージ されているのはあきらかです。沼の植物がどんどんはびこっていくように、つぎからつぎに神様や国々や動植物があらわれて、世界をうめつくしていくのです。
 次に最初に登場する神様の名前に注目しましょう。「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、もじどおり宇宙の真ん中におられる神という意味ですからこれはいいとしても、 次に登場する「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」と「神産巣日神(かみむすひのかみ)」に注目してください。「高御」と「神」は敬称ですからこれを別にすると、意味をもって いるのはいずれも「産巣日」です。『古事記』は万葉仮名で書かれているので、漢字の意味は関係ありません。「ムスヒ」という音が重要です。ムスとは「苔ムス」、「草ムス」というふうに 植物が成長することを意味します。ヒは霊的な力です。したがって、この二人の神様は植物の成長をつかさどる神なのです。このように日本の創世神話は〈なる〉のイメージがちりばめられて います。
 創世神話
 このように、創世神話から見れば、西洋と日本は対極にあることがわかります。こうした違いは、おそらく風土の違いから生まれてくるものと思われます。
 風土の違い
 西洋思想の二つの源泉は、古代ギリシアの思想とユダヤ・キリスト教ですが、ユダヤ・キリスト教の誕生の地であるパレスチナはもちろんのこと、プラトンが生きていたころのギリシアも 農業に適さないでした。だから、ギリシア人は海洋貿易で生計を立てなければなりませんでした。さらにパレスチナとなると文字どおり砂漠の地であり、ユダヤ人は遊牧の民でした。 ユダヤ民族の祖であるアブラハムは自分のことを「ゲーリーム・シェ・トゥシャーブ(寄留民あるいは旅人)」と紹介しています。
それにたいして、日本はアジアのモンスーン地帯に位置します。日本の風土は、わたすたちにとってはじめじめしてじつに不快なことがありますが、植物が育つにはじつにいい風土です。
 自然観の違い
 こうした風土に違いから、西洋と日本の自然観の違いが生まれてきます。
 西洋の自然観はいわば「砂の思想」ということができると思います。こうした不毛の砂漠地帯では、形あるものは放っておくと、風に吹き飛ばされて影も形もなくなってしまいます。
だからなにかが存在しつづけるためには、意図的に外から力を加えて、それをしっかりと踏み固めておく必要があります。子どものころの砂遊びを思い出してみてください。 つまり、こうした風土からは、「すべての存在するものは、意図的につくられたものだ」という発想が生まれがちです。そして、こうした背景を考え併せれば、プラトンがイデア論を主張したことも それなりに理解できます。
 それにたいして、日本の自然は「繁茂する自然」です。日本の風土は植物が成長するには適していますが、植物は放っておいてもどんどん繁茂し、知らぬまにあたりを覆ってしまいます。 こうした風土からは、いま存在しているものは「みずから成りいでてきたもの」だという発想が生まれがちです。
 こうした発想はわたしにはじつにしっくりします。わたしは少年時代を熊本県の田舎で育ちました。まだ高度成長期以前でまわりは一面水田だらけです。水田のあぜ道を通ると近道なので、 よくそこを使って通学していました。ところが、このあぜ道が冬はいいのですが、春から夏になると雑草がどんどん生えてきて、みるみるあぜ道を埋め尽くしてしまいます。そしてそのあいだからは 昆虫やかえるなどがいわばつぎからつぎへとわきでてきます。そして、すべてがどんどん繁殖し、はびこりますので、ぼんやりしていると、道がなくなって学校にいけなくなってしまうほどでした。 すべてがつぎつぎに「なり出でる」のですから、こんなところではプラトンのイデア論など考えつくはずはありません。
 神についての考え方
こうした西洋人の〈つくる〉論理と日本人の〈なる〉論理の違いから、いろいろな考えかたの違いを説明することができます。まず神についての考えかたが基本的に違ってきます。 西洋の神様は「超越神」であり、この神様はわれわれの世界に住み着くことができません。いま私が机を作るとします。私が机を作ったからといって、私が机になるわけでなく、むしろ机は私から 独立しなければなりません。私が手をはなしたすきに机がこわれてしまえば、私はダメな製作者です。だから神と世界には断絶があり、神は世界の外に存在することになります。
 それにたいして、日本の神様は「内在神」です。植物は外からの力をいっさい借りずに、ひとりでに成長していきます。したがって、植物の成長をつかさどる神様は植物そのものに内在することになります。 『古事記』の八百万の神はいつでも私たちの近くにいて、いつでも私たちと交渉します。
 死生観の違い
 西洋人にとって「死」とは、魂が肉体を離れることです。肉体がばらばらにならずに美しい秩序を維持できるのは、魂がそとからそれをがっちりとまとめあげているからです。
 その証拠に、魂が離れてしまうと、肉体はまたたくまに崩れ去ってしまいます。死生観にもあの「つくる」論理が一貫しているのです。
 中国の「死」についての考え方はきわめてリアリスティックであり、ペシミスティックです。「死」という漢字は、人間が死んだあとに残る残骨を形象化しているのだそうです。
 それにたいして日本人においては、植物の繁茂し増殖する原イメージが、私たちの「死」のイメージまで影響を与えています。「死ぬ」という言葉は文字こそ漢字を借用していますが、「しぬ」という音は、 「しなう」「しなびる」と意味します。私たちにとって死ぬということは、いままで勢いの良かったものがしだいに「しなび」、勢いの失うために、あとからあとからおしよせてくるものによってその場を おしだされてしまうというふうにイメージされているようです。これで思い出すのは、『フーテンの寅さん』という映画です。京まちこふんするマドンナのおかあさんは、死病におかされています。 そのおかあさんが縁側にすわりながら、空をみあげて「ねー、寅さん人間はなぜ死ぬんでしょうね」と突然聞くんです。すると寅さん、しばらく考え込んだあげくにこう言うんです。 「そうねえ、そりゃだれも死なねえと、人間であふれかえちゃうからじゃないかね。この世はちぃっちゃな島みたいなもんで、つぎからつぎにあとからやってくるものだから、どんどん押されていって、 だいぶがんばってるんだけど、ついにははしっこのところから落っこちまうんですよ」。これはけっこうぼくらの考え方をいいあてているんじゃないでしょうか。西洋人は存在するものが砂のように 消えてしまうものを恐れているのにたいして、日本人は存在があふれかえるのを恐れているみたいです。「もののあわれ」とか「世のうつろい」とか日本的無常観といいますが、それは西洋とはちがって、 存在の充実感に裏打ちされているのではないかと思います。いずれにしろ、「植物のようにひとりでに繁殖して、そこになりまかったものだという」考え方は、日本だけではなく、アジアの特にモンスーン地帯には 自然な考えかたです。
 歴史観の違い
   つぎに、西洋と日本の歴史観の違いを見てみましょう。
 西洋の歴史観の特徴は「神の世界計画」ということです。神はすべてのものをつくったのだから、歴史もつくったにちがいありません。
 つまり神は歴史がどのように進行するかをあらかじめ設計していたのです。そして、神様ですから、歴史を完全なものへ向かって近づくように設計されたにちがいない。
 この神の世界計画の世俗版が、18世紀のヨーロッパに登場した「進歩思想」です。進歩思想とは、歴史はいっけんするとさまざまな人物や事件が現れては消える雑然たる劇場みたいにみえるが、 じっさいには歴史にはただひとつの究極の目標があって、どの歴史現象もそれをめがけて右肩上がりに進んでいくものだという主張です。
 ここでもここの歴史現象に共通な普遍的な到達点がさきにあって、このいまだないもののほうからじっさいの歴史現象が意味づけされていくわけです。だから、歴史の進行は人間によって変えられるもの ではありません。
 ただし、たまたまこの神の世界計画を体現する人物が現れたら、彼は無敵です。彼はなにをやっても成功しますから、この世界を大胆に変革することができます。ヘーゲルのいう「世界史的個人」です。 こうして西洋には大胆な「革命思想」が生まれやすくなります。
 それにたいして、日本人は歴史をも植物的成長をモデルとして考えてきたようです。日本最初の歴史哲学を展開したのは、慈円の『愚管抄』だといわれておりますが、 彼は歴史のことを「成りまかる世のことども」といっております。
 日本人は、歴史は植物が春にいきおいよく生長し、秋には衰えて枯れるように、成長と衰退のリズムをくりかえすと考えてきたみたいなんです。この端的なあらわれは「時勢」とか「天下の大勢」といったことばに 表れています。時勢とはもじどおり、時間そのものがもつ勢いのこと。時のながれには勢いが上向きのときと、下降気味のときとがあって、下降気味のときにはどんなに人間ががんばっても無駄です。
 わたしたちはこんないいかたをします。「時勢にさからってもしょうがない」。逆になにかに成功するためには、時勢が上向きにときでなければいけません。「時流にのる」ことが大切です。 そうすれば「天下の大勢はわれにあり」ということになります。そうすると、わたしたちの関心はそのつどの時間にしばられてしまって、歴史の最終目標なんてものはどうしても視野には入ってきません。 わるくすると、ある種の日和見主義が生まれてしまいます。
 さて、こう考えてきますと、西洋人の発想のほうに分がありそうです。西洋人の考え方のほうがいさましいような感じがします。しかし、西洋人の考え方にはある危険性がひそんでいるように思います。
 西洋人たちは、まずイデアとか神の世界計画といったただひとつの普遍的な価値を掲げ、それによって自分たちの生活や人間関係を導いてきました。だが、人類普遍の価値とはだれが決めるのでしょう。
 西洋人とアジア人とアフリカ人とではその考え方は違うはずです。結局それを決めるのは、そのときたまたま力をもっている人、西洋人です。しかし、ここで問題になっているのは人類普遍の価値ですから、 それに逆らうものは人類にもとる人たちということになり、強い差別主義と排外主義を生みだしてしまいます。西洋の人たちは二度の世界大戦や文明間の対立のつうじて、自分たちの考え方の危険性に気づきはじめているように思います。しかし2500年のあいだこれでやってきたのですから、どうしていいかわからない。
 普遍的なものなしに、どうして人間同士がうまく意思疎通し、うまく暮らしていけるのだろうか。ところが、ふと遠くをながめるとアジアのとくに辺境の地には、そんなものなしにのうのうと生活している 日本人という民族がいる。まず驚くべきなのは、神様がひとりじゃないということ。やたらたくさんいる。神道もありだし、仏教もあり、それどころか最近ではキリスト教もあり。
 それでも、日本人は仲間割れせず、日本人としての結束を保っている。つぎに西洋人が驚かすのは、日本人の芸術観です。西洋の考え方によれば、芸術作品には特定の製作者がいなければなりません。
 ところが日本の芸術はそんなものにおかまいなしです。俳句が5・7・5のわずか17文字のうちに無限な意味をこめることができるのは、たとえば季語が伝統的にいくえにも積み重ねられてきた意味の層を ともなっているからです。それにもともと俳句は俳諧からはじまりました。俳諧は前の人が詠んだ句に即興的につぎつぎに句をつぎたしていくわけですから、ひとりの読み手が全体の意味をあらかじめ コントロールすることはけっしてできない。それにもかかわらず、ちゃんと芸術として成立しているわけです。
 最後にもっと通俗的な例をあげましょう。日本人はけっしてはっきりとYESともNOともいわないのに、ちゃんと意思疎通ができているらしい。これが不思議だというのです。
 しかしよく考えて見れば、わたしなどはこちらのほうが自然だと思います。人生を長く生きてくると、ぜったいに「黒」だとか「白」だとかいえることはまずなくて、ほとんどは「灰色」です。 なかには自信たっぷりに「黒」とか「白」とか断言する人はいますが、そういう人は、無批判にある権利や権力にのっかって、われに大儀ありと思い込んでいる人が多いものです。
 じっさい最近ある偉い人が、NOといえる日本人になろうとさかんにいきまいていますが、こうした主張の裏には権力思想がひそんでいそうで、まず用心したほうが無難です。なぜこれに用心しなければならないかと いうと、われに大儀ありと思っている人たちとはほんとうの対話がなりたたないからです。
 そうだとすれば、現代日本人の課題は、YES、NOをはっきりいえる民族になることではなくて、YESとNOをはっきりいわない「まあまあ」の精神の利点をもっとよく考えてみることではないでしょうか。
 現代の国際社会では、アメリカとイスラム原理主義の対立や、さまざまな民族対立が登場していますが、そんな状況のなかで大切なのは、あんたの言い分もわかるが、そちらの言い分もわかるといったはなはだ 心もとない態度であいだに割って入ってくれる文化ではないかと思うのです。はなはだ心もとない結論になってしまいましたが、このへんでお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。」
 講演終了後には2名の方から質問も出され盛会うち終了しました。
 今後オンライン講演会を開催するに当たっての反省点は、@平日の開催では集客が難しく土曜日か日曜日の午後からの時間帯が参加しやすいのではないか。A開催の周知とPR等についても検討したい。



 

 


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令和3年10月6日
第69回ゴルフ大会の開催

 本年度3回目を昨年に続いて北広島市にある「札幌リージェントゴルフ倶楽部トムソンコース」において開催されました。
 小樽支部との交流を兼ねた本大会は本年で8回を迎えましたが、今回は小樽の関口支部長から都合により参加は出来ない旨の連絡があり、西原幹事長以下13名が参加致しました。
 あいにく当日はスタート時に雨に当たりましたが、その後は雨も上がり絶好のゴルフ日和となり楽しい大会となりました。恒例により競技終了後表彰式を兼ね懇親会を行いました。
 優勝は富樫正浩氏(平成5年・商・公認会計士富樫正浩事務所・アウト44、イン38)、準優勝は常連の山口統氏(昭和57年・商・(株)東洋札幌営業所・アウト46、イン47)がそれぞれ獲得し、 富樫氏はベストグロス賞も併せて獲得しました。
 その他にニアピン・ドラコン・大波・小波・平和賞等の各賞を盛り沢山用意し、幹事長から賞品を皆さんに授与しました。
 優勝した富樫氏からは「初優勝した感激・パートナーヘのお礼、来年も是非参加したい」旨の挨拶を頂きました。
 会は終始和やかな雰囲気の中で進み、次年度の再会と健闘を期して和気あいあいの内に散会しました。今大会の賞品の寄贈者は下記の通りです。
・檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長
・山口潔氏(昭和37年・法・(株)ヤマグチモータース代表取締役会長)
・工津輝雄氏 (昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)代表取締役)
・西山眞吾氏(昭和41年・商・西山製麺(株)相談役)
・山口統氏 (昭和57年・商・(株)東洋札幌営業所 所長)



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令和3年9月16日
支部三役会議の開催

 北海道経済センター3階特別談話室において午後1時30分より舟橋健市・知野学(平成3年・法・札幌市総務局市長室長)・山岡庸邦(昭和60年・法・北海道経済部長)副支部長(代理木村重成氏・平成7年・経済・北海道総務部教育・法人局学事課長)、西原幹事長出席のもと開催致しました。

 議案第1号 :「令和2年度事業報告並びに収支決算報告について」
 幹事長より別添資料に基づき報告し了承されました。

 議案第2号 :「令和3年度事業計画(案)並びに収支予算(案)について」
 幹事長より別添資料に基づき報告し了承されました。

 議案第3号 :「支部定時総会・年末懇親会の開催について」
 幹事長より本件については三役会議でご審議・ご了解を頂いた後、会員宛関係資料を送付し「書面による審議」を行いハガキによる決済を頂く旨報告し了承されました。

議案第4号 :「学術講演会の開催について」
本学理工学部教授の村岡晋一先生を講師にオンライン(Zoom)により開催する。
@ 日 時  令和3年10月15(金)午後2時00分〜
A テーマ 「西洋人はそう考える、日本人はこう考える」
   幹事長より本件については札幌市教育委員会、札幌商工会議所、協同組合中小企業振興センターの後援、本学父母連絡会札幌支部共催の承諾を頂いており、本講演会のPRと参加者の動員を図るためポスター、 チラシを制作し下案の要領で周知をしたい旨報告了承されました。
@A1サイズのポスターを20枚、A4サイズのチラシ23,020枚印刷。
A札幌商工会議所・協同組合中小企業振興センターの会員向けに毎月配布している資料の中に22,300枚を入れ参加者を募る。
B学員会札幌支部会員等向けにチラシをDMにて送付し参加者を募る。
C札幌市民向けのPRとして、札幌市営地下鉄の掲示板にポスターを貼り参加者を募る。
D札幌支部事務局が入居している北海道経済センター中央正面玄関前に立て看板(縦1.8m×幅0.9m)を制作し、参加者を募る。
 尚当日欠席された檜森支部長、柴田副支部長については報告を兼ねてそれぞれ伺い了解を頂きました。


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令和3年8月25日
第68回ゴルフ大会の開催

 本年度第2回の大会は札幌近郊の北広島市にある「札幌リージエントゴルフ倶楽部新コース」において会員16名参加のもと開催されました。
 当日は朝から予報は雨降りで現地もあいにく雨模様でした。スタート時にはそれほど雨の降り方も強くなく定刻通り前半のインコースを午前8時30分にスタートしました。
 途中からは雨脚が強くなりましたので、プレイの続行は無理という事になりハーフで中止に致しました。
 食事終了後は恒例により表彰式を行いました。優勝は西山眞吾氏(昭和41年・商・西山製麺((株) イン:43)が、準優勝は井門義貴氏(平成23年・経済・札幌アポロ(株)・イン;41)また井門氏はベストグロス賞も併せて獲得しました。
 幹事長から入賞者全員に賞品と参加賞を授与しました。
 久し振りに西山氏から優勝の弁を頂き会は和気あいあいの内に終了・散会しました。
 事務局より10月6日(水)開催の小樽支部との交流ゴルフ大会への参加と、来る10月15日(金)午後2時からズームによるオンラン学術講演会への受講を呼びかけました。
 尚、今回は檜森支部長・柴田副支部長・西原幹事長の他3名の会員から賞品等の寄贈がありました。
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)・代表取締役)
・島田骼(昭和61年・経済・ヤマサ醤油(株)営業本部副部長・札幌支店長)
・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役













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令和3年8月10日
第8回学員会全道支部交流会議の開催

 コロナウイルス感染拡大防止のため中止にしました。

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令和3年6月29日
第67回ゴルフ大会の開催

 本年度第1回のゴルフ大会は13名の申込みがあり、近郊の石狩市にあるシャトレーゼカントリークラブ石狩において開催されました。
 当日は午前8時30分に前半の西コースをスタートし、後半は中コースを回りました。スタート時から気温も温かく、多少の風がある絶好のゴルフ日和に恵まれました。恒例により食事終了後表彰式を行いました。
 優勝者は富樫靖子氏(平成7年・商・公認会計士富樫正浩事務所・西:49 中:46 )がゴルフ同好会初めて女性の優勝者になりました。
 同氏はニアピン賞も2個獲得しました。また準優勝は中山正治氏(昭和39年・法・フジサービス(株)・西:44 中:45)が獲得しました。西原幹事長より参加者全員にそれぞれ賞品と参加賞を授与しました。
尚ベストグロス賞は由良比策志氏(昭和59年・経済・独立行政法人日本学生支援機構北海道支部・西:38 中:44)が獲得しました。その他に大波、小波、平和の各賞も用意され該当の会員がそれぞれ獲得しました。
 今回は檜森支部長、柴田副支部長、西原幹事長の他3名の会員から賞品等の寄贈がありました。
・紫藤正行氏(昭和49年・商・大黒自工(株)代表取締役)
・工津輝雄氏(昭和39年・商・(株)エミック代表取締役)
・山口潔氏(昭和37年・法・(株)ヤマグチモータース会長)
 懇親会は終始和やかな雰囲気の中で進み優勝した富樫靖子氏からは「今回はパートナーにも恵まれ優勝出来ました。実は私の娘達(長女・次女)も現在中央大学在学中でございます。」と挨拶がありました。
 最後は事務局から次回8月25日(水)開催の第66回ゴルフ大会への参加を要請し和気あいあいの内に散会しました。







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令和3年6月5日
中央大学信窓会北海道支部総会への参加

 コロナウイルス感染拡大防止のため中止になりました。

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